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「体臭・口臭」は自覚しにくく、親しい人間同士であってもなかなか指摘しづらい問題です。
しかし、「良い匂いがするか・不快なにおいがするか」は、その人の印象を大きく左右する重要な要素であることも事実です。
幼少期から年弱に渡って自分のにおいについて直視できず改善できなかった私がそのことに心から気付き、他人から「良い匂いがする人」という印象を持ってもらうに至るまでの体験談をお話しします。
まず「におい」の問題以前に、私はもともと様々なコンプレックスと付き合いながらこれまで生きてきました。
数々のコンプレックスの中で大きなウェイトを占めていたのは「口元」です。
私は少し特徴的な歯並びをしており、小さな頃からまわりの子と違う口元であることを気にしていました。
恥ずかしがり屋な性格も手伝って、「口元を隠して話す癖」が20歳を越えるまで抜けないほどコンプレックスでした。
全てを容姿のせいにしていた
なぜか男子にからかわれる。なぜか女子にはぶられる。そういった原因のはっきりしない人間関係の悩みは、全て私の容姿が悪いからだと決めつけていました。
ですので、幼少期から人と話すときはできるだけ口元が見えないように手やハンカチで隠していました。
人前で口を開けて食事することも非常に恥ずかしかったため、昼食もろくに取らない学生時代を送りました。
メールを使ってのコミュニケーションはできても、誰かと面と向かって「口」を使って話すのは本当に苦痛でした。
そうこうしているうちに、周囲からは当然の如く「暗い人・無口な人・変わった人」という印象を持たれ、実際に性格はどんどん内向的になり、声も小さくなり、今思い返しても暗い青春時代でした。
他人からあまり良い印象を持たれない原因は、私の口元の造形がどうこうという問題ではなく、上記のような挙動不審な態度が引き起こす不信感やその奥に渦巻く「におい」だった、という事実に気付くのには、少し時間が掛かりました。
幼少期〜学生時代の私は、手で隠せば自分の悪いところをごまかせると信じて生活をしていたのです。
しかし、口元を隠すという癖を繰り返して生活しているうちに、私はもうひとつ重大な癖を身に付けてしまっているのでした。
自分の「におい」を気にしないという癖です。
人に近寄る際には必ず口元を手で隠していたので、「におい」もあまり相手に届いていないだろうという妙な思い上がりをしていたのです。
じっくりと歯磨きをすることが苦手な上に、家族全員も同様にずぼらな性格なせいで家族内で解決することもできず、見えないならいいだろうと十分なケアの仕方を習得しないまま、中学・高校を過ごし、大学に進学しました。
コンプレックスからの開放
大学という私のことを全く知らない人間だらけの新天地に飛び込み、新しい世界の中で、精力的に活躍する人たちを観察して感じたことは「誰も人の容姿をさほど気にしていない」ということでした。
「世の中で活躍している人たちというのは、人の容姿の悪さを理由に差別しない」、このことを肌で感じました。
本気で自分のやるべきことを頑張っている大人達を見て、人より少し顔が整っていないくらいで全ての人間に対して萎縮し人生に絶望していた自分を強く恥じるようになりました。
かといって、すぐに自分の容姿が気にならなくなったかというとそうではありません。
頭では気にすることではないと理解していつつ、どうしても自分の容姿を許す事ができない日々が続き、その頃縁があって付き合っていた恋人にふいに容姿のコンプレックスについて打ち明けました。
当時自分が思っているよりも根深い問題だったようで、打ち明けるときは声はかすれ、身体は震え、涙が止まらなかったことを今でも鮮明に覚えています。
すると恋人は「そんなの全く気にしたことがないし、むしろ気に入っている」と言って、その話はさっくりと終了しました。
男子にからかわれたり、孤独にならざるをえなかった原因は私の容姿の悪さのせいだと思い込んで、生まれてきたことすら悔やんでいた私の魂は、その一言でやっと一気に救われたのでした。
その後、「どうしても治したければ黙ってプチ整形すればいい」という考えに行き着き、口元を含めた私の容姿に関する強いコンプレックスは徐々に緩和されてゆきました。
それに伴い、口元を手で隠す癖も少しずつ治ってゆきました。
そうしたプロセスを経て新たに浮き彫りになった問題が「自分からにおいがしているのではないか」ということでした。
口を覆い隠す手がなくなったことで、はっきり「におい」と直面することとなったのです。
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