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先輩からしっかりしてほしいと言われ...... あがり症で苦しんだ私の話 [体験談]

2016/05/01 20:00 投稿

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言葉が出ない


声が出ない。体か動かない。頭が真っ白。

そんな場面に、私は今まで何度も直面しました。

就職面接や会社でのプレゼンテーション、

「絶対に失敗は出来ない!」

と、分かっているのに人前に出ると心臓がばくばく……。

まるで内側からカナヅチで体が叩かれているかのように、自分の心音が聞こえてくるのです。

「相手に伝わっているのだろうか?」「周りから変に思われていないだろうか?」

などと思うと、途端に周囲の視線が気になり、きょろきょろ、おどおどと挙動不審。

考え出すと悪いイメージばかりが先行して冷や汗が止まらなくなってしまいます。

「自分は今、椅子に座って話をしている」

と分かっているはずなのにめまいで倒れそうだと感じてしまったり、声や手だけではなく全身が、まるで自分の場所だけ地震が起きているかのように、かたかた震えてしまうのです。

こうなって意識したら最後、頭は真っ白になり、うまく言葉が出てこなくなってしまいます。

あがり症になったきっかけ


つい最近まで人前に出ることが辛くて辛くて仕方がなかった私なのですが、幼い頃からずっと「あがり症」だったわけではないのです。

おそらくきっかけになったのは、長年の積み重ねと、たったひとつの出来事でした。

私の親は父も母も、ともに厳格で、それこそ幼稚園の頃から習字や水泳、ピアノ、英会話など、たくさんの習い事を私はしていました。

そのおかげで多くのスキルを身につけることが出来ましたが、長年のスパルタな指導を通して私は

「失敗してはいけない」「一位でなくてはならない」

という、イメージを持つようになりました。

小学校に上がってからは、学校の成績までも管理され、かといって両親に弱音を吐くこともできず。

今考えると少し異常なくらいに、「成功した結果」だけを求められていたのだと思います。

そんな私が「あがり症」だと意識し始めたのは、小学校最後の水泳の大会の時でした。

飛び込み台に上がってスタートの合図を待つ間、私の頭の中は

「失敗してはいけない」「ベストの記録を出さなければいけない」「一位にならなければいけない」

という緊張でいっぱいでした。

観客席から名前を呼ばれ、ハッとした私が我に返ると、他の選手は既にはるか前方を泳いでいました。

目を閉じていたわけでも、眠っていたわけでも無いのに、合図が聞こえているのに、私の体は動きませんでした。

社会人になって


それからの私は、人前での発表をうまくかわすために、不真面目な態度を取るようになりました。

中学や高校に通うようになってもそれは同じでした。

周りの生徒から頼られることがなければ、代表発表などもしなくて済むからです。

両親は何も言わなくなり、当時の私は兄弟の中でも孤立していたように感じます。

ただ、人前に出ることが避けては通れないことも、歳を重ねるごとに増えてきました。

社会人になり、営業で取引先の方と話す時。

また、電話応対で話をする時。

新入社員のころは初々しいで済まされていたことも、歳を重ねるにつれて周りの反応はかわるもので、それがより一層、私のなかに焦りを生んでいました。

私の中で仕事は「当たり前のように完璧に出来なければならないもの」であり、「他の同期に劣る」ようなことがあってはならない、と頭のなかで決めつけていたのです。

対処するきっかけ


入社して数ヶ月後。

周りの同期たちは仕事にも職場環境にも慣れ、先輩たちとうまくやっているようでした。

ただ私はそうもいかず、ただただ焦っているばかり。

そんな時にとある先輩から業務後、声をかけられました。

「〇〇さん、先方から頼りないって言われたんだよね」

「担当があんなんじゃ不安だって言われるの初めてだからさ、もっとちゃんとしてもらえる?」

「会社の社風にも慣れた頃でしょ、緊張するだろうけど気合いれてどうにかしてくれない?」

どうにかできるものなら、とっくにどうにかなっているのですが……。

空回って失敗ばかりだった私はただ悔しくて、焦りは募る一方で。

でもいつかは、この人を見返してやりたい、と思いました。

そこでようやく、行動を起こすことにしたのです。

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