どうした、家電メーカー!
◇日々の生活の中で思ってこと、感じたことを書いていきます。
1.流通権力
◇シャープが音を立てて崩れていきます。NECもひどい状況のようです。パナソニックも大きく揺らいでいます。戦後社会は、家庭の電化によって、ライフスタイルそのものを大きく変えてきました。メディアの日常化、音楽に満たされた生活、家事労働の減少による女性の社会進出、インターネットの登場による世界コミュニケーションの実現など、戦後社会は、家電業界の成長と平行して進んできました。その家電メーカーが瀕死の状態になっている。理由は、いろいろ語られているでしょう。技術の流失や円高の問題も大きいと思います。しかし、僕は、何か釈然としない気持ちがあります。
◇新宿に行くと、家電量販店が大型店舗で街を埋め尽くす勢いです。ヨドバシカメラは、駅前の不動産を買いまくり、新宿の厚生年金会館まで買いました。学生の時に、天井桟敷の芝居を見た会館で。新宿三越はビックカメラになり、ヤマダ電機も大型店舗を作り続けています。
◇家電メーカーがこれだけ瀕死にあえでいるのに、なんで家電量販店はこれだけの栄華の時代を迎えているのでしょうか。そのことに不思議に思わない人がいることが不思議です。
◇流通業界が儲けるな、とは言いいません。しかし、この利益の本質は、実は家電メーカーが新しい商品を開発するための資金なのではないかと思うと、暗然とします。流通は、商品を売ることには長けていますが、商品に対する愛情はありません。すくなくとも、商品を生み出す、産みの苦しみを知りません。よく売れる商品だけを愛するだけです。
2.豊かな時代の商品販売
◇こうなってしまった原因は分かっています。1970年代まで、日本が戦後の飢餓状態の中から、豊かさを求めてものづくり立国の流れを作ってきた時代は、製造メーカーに価格の決定権がありました。価格は、製造原価や人件費コストなどに利益をのせて出荷していました。工場に定価の決定権があったのです。それでも、消費者はモノが欲しかった時代ですから、メーカーの価格に従いました。
◇やがて、日本が豊かになり、商品が溢れだし、必要な商品から付加価値のついた商品へと進化していきました。付加価値というのは、実は、本来の必要性以外の要素です。あってもなくてもよいことに、消費者が価値を見出しました。日本の商品社会は、豊かな消費文化に発展しました。
◇その頃になると、メーカーと流通の戦いが発生します。ダイエーの中内功さんと、松下電器の松下幸之助さんの長い戦いがありました。豊かな商品社会は、メーカーよりも消費者に近い流通業者の力が強くなって行きました。メーカーがいくら、この価格で売ってくれと言っても、「消費者がこれでは買ってくれないよ」と言われればおしまいです。1990年頃からはじまった「オープン価格」というのは、メーカーの設定価格と実勢価格の落差を誤魔化すための方便でしたが、このことによって家電メーカーは定価の決定権を完全に失いました。流通の下請けになってしまったのです。
3.市場はある。
90年ぐらいから、家電メーカーは、消費者の声を吸い上げて商品開発に反映するというマーケティング調査を軽視するようになってきました。それよりも、企業の効率を高め、利益の最大化を目指すという経営コンサル会社と組みはじめました。その結果の「集中と選択」が、シャープのように液晶デイスブレイ事業の破綻になったのだと思います。
東芝は、コンシューマー向けの家電には見切りをつけています。日立もそうでしょう。しかし、その判断が本当に正しいのでしょうか。
家電量販店には、平日でも多数の客が押し寄せています。大型店舗を増設しても、それだけ客が集まるということは、そこに限りないマーケットが存在しているのです。
家電メーカーが1970年の時代から再びやり直すつもりで、商品開発を行えば、そこにはかならず拓かれる世界があるはずだと思います。
○このへんの話は長くなるので、以下続く。
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橘川幸夫放送局通信
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