「はるちゃん。『好き』って何?なんで『好き』だからほかの人とは違うの?それ、傍から見たら、全部一緒だよ。言動が一致しない。あたしには、はるちゃんの事が、よくわからない。」
――よく、わからないんだ。自分自身のことが。
「うち。自分でも、自分のことがよくわかんない。確かにみちゃんから見たら、うちの言動は伴ってないと思うよ、わかってる。でも『好き』なんだもん。優弥のこと。優弥優しいから、うちのそばに、それでもまだ寄り添ってくれるから、だから、傍にいたいって、思うから、だから。」
「だから、『好き』なの?」
「わかんない、そんなの定義できない。じゃあみちゃんは何で今好きな人のことが『好き』なの?」
「え?」
「じゃあなんでみちゃんは今も好きな人のことが」
そもそも、『好き』と言う感情のメカニズムが、もうあたしにはわからない。と言い聞かせるも、段々と抑えていた感情が、あたしの中で氷解していくのを、あたしは感じ取ってしまった。溶けていく、バランスが、溶けていく、崩れていく。
さっき火をつけた煙草は、もう既に全て燃え尽きて、灰になっている。
――『♪頭の中の僕が 我慢できない声で』
「みちゃんはさあ、好きな人に会いたくないの?会ってその人の肌に触れたいとかさ、一緒にいたいとかさ、思わないの?だって大学生の時、みちゃん…」
――『♪バランスが』
「いや、私だってわかんないよ。今もまだ『好き』かどうかもわかんないよ。だから何も言わないんじゃん!そもそももう、もうすぐに、あいつは…。」
――『♪崩れても』
「『好き』かどうかわかんないんじゃなくて、『好き』であることを認めたくないんでしょ、みちゃんが。余裕がないんじゃないよ?傷つくから?怖いから?でもまだ『好き』としか、ねえ、思えないよ。みちゃん。」
「そんなことない本当にわからない。だって、もう、『本当に好き』だとしても、『好きでいても』意味ないもん。意味、ないんだよ。」
――『♪誰も』
あたしは、言葉に詰まった。かと言って、此処で涙を流すわけには行かない。沈黙を埋めるために、もう一本吸おうと箱に手を伸ばすと同時に、はるちゃんがゆっくりと、あたしを諭すように言葉を放った。
「人って、何も言わなくても、意外と雰囲気で、その人が何考えてるかわかるもんだと思う。言葉が先じゃない。言葉よりも前に、身体は感情を放出するよ。」
――『♪見て見ぬ』
「だから。もう吉岡くん、多分今のみちゃんの気持ち、大体気づいてるよきっと。素直にさ、『好き』って言っても、いいんじゃないかな。」
――『♪振りさ』
「だって。吉岡は、もうすぐ死ぬ。もうすぐ死ぬ人のこと、『好き』で居ても、仕方ない。死後の世界から、迎えなんてこないんだ。」
「死ぬ?死ぬって何?」
「とにかく、死ぬんだよ。あいつは、夏に。死ぬんだよ。だから、意味が、ないんだよ。」
あたしは小声で、言葉を絞り出した。それが、今の、全てだ。これ以上、言いたいことも、言えることも、ない。
「みちゃん。どうした?大丈夫?」
――息が上がっている。
「今の、聞かなかったことにしてくれていいから。・・・てか、なんか。はるちゃんの話、聞いてたのに。」
はるちゃんは、こくんとうなづいた。
悔しいが、はるちゃんの言うことの大体はあたしに当てはまる。そういえば、いままではるちゃんに此処まで言われたことがなかった。
「みちゃんにさ。いま『意味わかんない』って言われて、ちょっとすっきりした。みちゃん、自分が思ったことを直ぐ口にするでしょう?」
「割と。」
「うち、すぐに相手に対して嘘付くからさ。言えないんだ。はっきり。だから、みちゃんのそういう部分、羨ましいと思うし、嫌いじゃないの。だから、思ったこと言われるのが嬉しい。」
「そうなの?」
「うん。でも、いまみちゃんに強く言ったのは、自分の気持ち、隠し通すことで、みちゃん自身が傷ついてるように見えたから。」
「そうだね。傷ついてる。でも、いい。大丈夫。自分の中でなんとかするよ。」
「みちゃん、優しいから。でも、無理しないで。」
あたしを諭す言葉からも瑞々しさは消えないままだった。何だろう。
「傷ついてる?」そりゃああたしから見たらあんたの方がそう見える。しかしきっと、あたし以上に傷ついてきたからこそ、あたしが抱えている「諦めにも似た、捻くれ曲がった」気持ちなど、直ぐに見通せる。
「みちゃん、もう、うちは大丈夫。」
大学時代、そこまで一緒にいたかと言われたら、そうでもない。嫌いではなかったけれど、何処かはるちゃんは常に『別の空間』にいるような子だった。強そうに見えて、本当は触れると壊れそうな、お砂糖菓子で出来ているような子。本来はそう言う子なのに、自前の頭の良さで、自身の思考と感情をどんどん品種改良していったような。なんだか『人工的な儚さ』と言うものを醸し出しているみたいだ。
――はるちゃん、なんとなくありがとう。
でも、『好き』の向こう側なんか、全然まだあたしには見えない。見たくない。はるちゃんみたいに、あたしにはもうなれない。傷つきたくない。でも、『傷つきたくない』一心で、あたしはあたし自身に傷を付けていたことに気づかせてくれて、ありがとう。だからと言って、答えは出ない。
はるちゃんが携帯をちらちらと気にしだす。
「昔ここら辺のパン屋でバイトしてた。」
「ああ、アンゼリカ。」
「そう。パン大好きだからね。あ、『パンは裏切らない』って、あったよね、うち、言ってたよね。懐かしい!」
「言ってた言ってた。懐かしい。『パンは裏切らない』 人間は、裏切るんでしょ。」
「そう、でもパンは裏切らないから。そろそろ出ようか。うち、これから渋谷に向かう。」
「相変わらず忙しい人だね。」
そう言いながら、あたしたちは帰り支度をして、お会計を済ませる。
「みちゃん、本当にありがとう。」
「うん、じゃああたしは小田急線に乗ります。またね。」
「じゃあ、また。」
はるちゃんと別れて、改装された下北沢駅の地下まで、あたしは下っていく。
崩れたバランスは崩れっぱなしで、緊張が溶けたその瞬間から、もう階段の位置がよく把握できない。兎に角、長い、地下深くまで、あたしは潜っていく。
――パンは裏切らない。
本当に、パンは裏切らないのだろうか。
いや、パンだって、放置しておけば腐る。腐ったパンを食べる訳にはいかない。そう言う意味では、パンだって余裕であたし達のことを裏切る。
放置しておけば腐る。
今あたしの胸の中を這いずり回る言葉たちも、このまま放置しておけばそのうち腐るだろうか。腐るのならば、あたしはそれを願う。いや、放置することも痛々しく、無理矢理に殺しているのだけれども。吉岡が、この夏に、7月7日に死ぬまで、待てない。いや、吉岡が死んでもなお、死んだらなお、あたしは『想いを』殺し続けて生きていくのだろう。例え、別の誰かに『想い』が移ったとしても、それも、全部。
だけど、はるちゃんの、あの品種改良されたような科白の瑞々しさは、何処かそのまま腐らせていくには、勿体ない。「所詮は他人事」だから。だろうか。
――貴女の科白を、砂糖漬けにしてやろう。腐らせることの、裏切られることの、ないように。呪いをかけるかのように。砂糖漬けに、してやるよ。
そうするより他に、バランスを保つ方法が、見当たらないから。
終わり
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この春から、大学に通い直しています。
襲い来る定期試験期末レポートが嫌で仕方がありません。
●「パンは裏切らない」 たかなしみるく 深呼吸歌人153
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