高山辰雄氏は独自の幻想的な画風の日本画家であった。私は日展で死亡を示す黒いリボンのついた作品を見た気がするが、別人かもしれない。
彼の画集『存在追憶 限りなき時の中に』を見ていた。引用してみたいと思います。
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・終戦後、日本画滅亡論ということがしきりに言われるようになりました。
世の中全体がそうした風潮だったのですが、当時は欧米の文化が最高で、日本の伝統的なものはもういらない、といった意見が声高にいわれるようになっていたのです。(省略)日本画なんて時代にそぐわない、もう古い、というのです。
体制などというものは、実に簡単にひっくり返るものだと思いました。
先輩たちkらも「君、どうしたらいい」と訊かれたりしたこともありました。
しかし私は、終わりだろうと始まりだろうと、自分の絵をやっていればいいと思っていま
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人間の本性や真価は究極の場で現れる.それを基礎に置いてその人の真価や価値なりを判断基準にすることが大切.いつの頃からかそんな感覚を持つようになっている.
楽な時や時流に乗っている時は,何とでも調子の良いことや勇ましいことが言えるものだ.いわゆるリップサービス,勝ち馬に乗るとか勝ち組などと呼んでいる行動や表現の類いだ.でも普通は調子の良い楽な選択をしがちなので,ちょっとした戒めモットーとして,”大切な人が暴漢に襲われそうになった時に,その瞬間に暴漢との間に自分の身を投げ出せる事”を口癖に,ちょっとした美学にしている.そうしておかないと咄嗟に本能的に逃げてしまいそうだ.それでは格好悪いし男じゃァない.
2月14日(日)に,若者・学者・弁護士など市民の連合体が主催の「民主主義を取り戻せ!戦争させるな! 安倍政権NO!★0214大行進in渋谷」に個人参加した.非力で人脈や金を持っていない「SEALDs」や「T-ns SOWL」などの若者が頑張っている.原宿の駅横ではお医者さんと思われる白衣を着た方々が横断垂れ幕を持って歩道で応援していてくれた.感謝.
孫崎さんの2月10日頃のツイッターに「若者が政治に参加しないわけ」の言及部分があったが,良く考えれば「若者が政治に参加しない」のは若者の参加意識が低いのではなく,これまでの選挙法の諸改正(改悪?)で意図的に年配・支配層が,若者に多くの人々に政治参加をさせないようなシステムを築いて来たことが根本の原因と思われる.立候補者の資質が見えるような,立候補者一同に会しての有権者参加の「討論型選挙・政治」になっていない.ただのボス選挙・人気投票選挙になっている.
民主党の議員の皆さんその支援者の皆さん.自由の無い独裁政治が好きと考えているのならば別ですが,もし,民主主義が大切と考えているのでしたら,今がその本性や真価が試されている場です.迷いなく「野党は共闘」を選択して,人々の多くの国民の未来への幸せの期待に応えていただきたい.(2016年2月16日)
(ID:11773811)
フーコーは、近現代の知の根底をなすのは「規格化」だという。つまり、ステレオタイプの思考は何も日本人に限らないということらしい。それと資本制が結びついているのは明らかだ。
だから、多くは、自ら「規格化」にはまりこんでいく。それもいいが、その自覚がないところに悲惨がある。
(ID:2197362)
蛇が生命力の象徴なのは、気持ち悪いからではない。何度でも自分の殻を脱ぎ捨てて脱皮を繰り返すからだ。規格化された人間などロボットと同じ。銀河鉄道999の終着駅だ。