辺野古承認取り消しの翁長知事を支持する。理由は次の通り。
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13日、翁長知事は普天間基地の辺野古移転承認を取り消した。翁長知事は知事選挙
で辺野古移転反対を掲げ当選した。これは政治的決断である。
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対象は海兵隊である。海兵隊の任務は奇襲で、特定地域の防御ではない。したがって基地は沖縄に置かなければならない問題ではない。
米国本土や、ハワイ、グアム島を含め世界のどこでもよい。
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中国の大陸間弾道弾とクルーズミサイルの数量、性能のアップにより、米軍基地は極めて中国の攻撃に極めて脆弱になった。特に沖縄はそうである。したがって、海兵隊の日本防衛への貢献はさらに低まった。
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辺野古移転による利益は基本的に海兵隊と言う極めて狭義の利益である。それが米国国防省の主張、ホワイトハウスの主張になっているが、米国全体の利益にどこまで供しているかとなると、大きくない。
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上記の事実が辺
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コメント
>>6
私に対する問いかけではないが、哲学的素養のある人と見ていただけに、あなたの問いかけは、非常に寂しい気がします。
答える必要はないが、答えざるを得なくなるのが、私のいかんともしがたい気質です。
私たち存在する人間は、絶対的普遍的であり、一時の位を得たものでしかありません。しかも、位を得ている間、自由に言動できる存在ではあるが、他人と無関係で生きるわけにはいきません。他人と生きれば必ず紛争闘争が起きがちですが、自分らしく生きるには、相手のことを十分理解しながら、一回の人生を、大自在に生きることが大切ではないか。
この存在性に対する理解があれば、「傍若無人」も「天上天下唯我独尊」も、同じとみてよいが、理解がなければ、どちらも傲慢になってしまう。
正しいかどうか、と問うていますが、正しいとか間違っているという問題でなく、心の安定を得るにはこれしかありません。わからないというのであれば、1年でも2年でも考え続けてほしい。必ずわかる時が来るはずであり、来ると信じることです。
>>9
反応していただけるだけでも有り難く思わなければいけませんね。名無しのゴンベエは無視を決め込んでいますから。
唯我独尊などと書いたから傲慢に思われたのかもしれませんね。釈迦がどういう気持ちで放った言葉かは知りませんが、多分そこには彼一人しか人間はいなかったのだと思います。自分がどう生きるか、どういう哲学を持って生きるのか、そしてどう行動するのか、すべて一人で決めなければいけなかったのだと思います。そこには彼を助けるものはいないし、逆に悪霊に満ちた世界ではなかったかと思います。
人間は関係性の中で生きていると言うのは真実だと思いますが、それは関係性が存在する世界の話です。自分には関係ないと思っている人間は他人です。あるいは社会的な意味だけでの知り合いです。そこに深い関係性を求めることはありません。相手のことを理解するとかしていないとか、そういう話でしょうか?その次元の話でしょうか?その前の前提すら存在しなければそこには意味も存在しません。可能性を信じれるかどうかは、その人間の判断です。それも含めて唯我独尊の世界だと自分は思います。
>>10
その通りだと思います。自分の人生であり、自分が責任を取るのですから、自分が確信した生き方が大切だと思います。
(ID:18367902)
孫崎さん、ご指摘のとおりでしょう。私も強く翁長知事を支持します。
①海兵隊の沖縄集中化は、米国が戦略的にとる策ではない。ありえないことである。
②沖縄に基地集中化は、本土に及ぶ被害を沖縄にかぶせるエゴでしかない。先の大戦における本土前線基地として、沖縄の人々がどれほどの苦しみを受けたか、本土は他人事のように考えている。歴史を直視しないのです。
ロシアの残虐性は日本では広まっているが、日本が行ったオーストラリア兵収容所捕虜に対する非道残虐性が伝えられることがない。2,500人の捕虜で戦後まで生き残った人は、たったの6名です。オーストラリア人の痛みを痛みとしないように、沖縄の痛みを日本の痛みとしなければ、沖縄の人たちに申し訳ない。