吉田茂はこの時代、重要な役割を演じています。彼は戦後数々の著作を行っていますが、戦前の軍部との協力関係についてほとんど記述していません。
従って吉田論には戦前の軍部との協力についてすっぽり抜ける場合が非常に多いのです。
吉田茂著『日本を決定した百年』では、あたかも自分が部外者であったかのように記述しています。
・植民地は国力の重要な源泉であった。それゆえ、狭い国土と貧弱な資源しかもっていないことは日本の弱味であったし、それを憂うる人も少なくなかった。
・内戦のもたらす混乱状況と、その中で行われる排日運動は中国と満州を圧迫していた。満州のシナ側軍閥は日本人に対して極めて高圧的な姿勢をとり、日本政府はこれに対して十分に日本国民の利益を保護しなかった」
すでに見てきたように、中国に対峙するのに、外務省には二つの流れがありました。
小村寿太郎―山座円次郎―広田弘毅の系統です。これは満州の利権を
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コメント
歴史にはそれほど詳しい訳ではないので、明治維新の坂本龍馬とか高杉晋作とか調べても、武器商人だったり、高杉晋作などテロリストとしか思えず、ラインがどうも掴めなかったのです。ところが最近明治維新はマイノリティーを使って政権を転覆させ植民地化していく欧米の政策という見方を知り、納得することばかりです。田布施システムという同じ地域の人ばかりが政治の重職につき、彼らを東京地検が調べることもない。本当かどうか調べ続けていますが、調べれば調べるほど新たな真実にまた納得するばかりです。
吉田茂は田布施出身ではなかったが、マセソンの養子だったのですね。龍馬が武器を調達したのもマセソン商会、マセソン5と呼ばれる英国留学組の一人が伊藤博文。そして武器、アヘンといえば、岸信介とともに巣鴨プリズンから無罪放免された笹川・児玉両氏もつながります。そしてそれが現在の安倍首相まで続いているとは。田布施システム大成功ということでないでしょうか。
そこまで馬鹿にされなければいけないことだろうか?陰謀論ではなく可能性の話をしているわけで、点を線でつないだわけじゃない。性的マイノリティーを使ったシステムの話をしたわけでもない。田布施に関しては分からないことが多いが、やはり長州や薩摩に何らかの拠点を作った可能性は排除しかねる部分はある。なぜマセソンがフィンガーファイブの留学を斡旋する必要があるのだ?井上馨ファミリーの鮎川や久原は怪しすぎだ。久原はコードネーム付きのCIAエージェントだぞ。イギリスからアメリカにどこかで(戦後)鞍替えしただけではないのか?
陰謀論に組するのではなく、怪しい部分があるのを排除しかねるといっているのだ。
吉田氏も1人の日本人に過ぎず、日本国という、辺境国家の外交官僚が持つ限界のなかで努力し、その後も、総理大臣として国のため、半分は自分のために努力した人物だろう。その吉田氏を、別の外交官としての経歴を持つ孫崎氏が分ったふりをして批判するのは勝手だが、外交官として次官にもなれなかった孫崎氏の解析には自ずと限界がある。うだつが上がらずに終わった人間が、もと勤務した会社の社長を批判するのと台差はない。
(ID:19005377)
いやいや、驚きです。吉田茂は白洲次郎と同じく根っからの英米派の男で軍部に対して反骨を通した剛の者と思っていました。この記事に接し、吉田茂の長男の健一がケンブリッジをドロップアウトして文士に生きた理由が分かったように感じます。
思うに、敗戦後、満州経営に積極的に関わった諸君が集団でマッカーサー政権に身売りする、いや就職する変わり身の速さは今のサラリーマンや若手官僚の鏡ですかね。まー考えて見れば、一人で乗り込んできたマッカーサーも彼らのゴマスリには抗しきれなかったのでしょう。兎に角、彼らは裏金操作も上手で事務能力も抜群、使い勝手が良い。彼らの指導のもとに、日本人は、戦後、いち早く米国市場に適応し、経済ナンバー2になったわけですから。しかし、大きなものが抜けていました。つまり、ドイツが育んだ懺悔の精神です。そういう精神が育まれなかったから、デーモンみたいな安倍、麻生体制が生まれた。これは日本人が精神を育まなかったために抱え込んだツケです。ツケは我々が払わなくてはいけない。早く払わないと延滞金利が嵩む。
出来るだけ早くまず大メデイアの権力からの離反を促す。それしか方法はない。