私は 『小説外務省』のプロローグで次のように書いた。
「日本は、「正しいこと」を「正しい」と言えない国になってきたのだ。日本の社会は、あちらこちらでギシギシ音を立て、変容してきている。その音は日増しに大きくなっている。
一方、「おかしいこと」を「おかしい」と言っても、摩擦が生じ、ギシギシ
音がする。西京寺はその音の一つだ。たまたま音を出す場所が外務省だった。彼の心にはあるべき外務省員の姿がある。しかし、それを貫こうとする時、摩擦が起こる。
強力な相手に対峙する中で異なった意見を発することに意義があるか――彼は自らの生き方そのものを問うことになる。その模索の旅がこの物語のテーマである。」
そして、「行動は成果を求めるのではない。行動自体に意義を求めることだ」という生き方をソ連時代の小説を引用したり、キリストの生涯に触れながら書いた。キリストが現世で得たものは何であった
コメント
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おかしいことをおかしいといえる社会ではなく、おかしいことをおかしいといえる自己改革ができるかどうかに係っているといえるのではないか。若者の責任というより、自己を見つめる教育でなく、絶対評価教育などと言って、競争を悪ととらえるところに、自己の甘えが生まれ、正常な判断を阻害させていると思います。競争の中で、自分の立ち位置がわかれば、物事に対する批判精神が養われるが、競争無くしては、社会を見る目が曇ってしまいます。平和ボケ、予算のかなりの割合を借金で国民生活維持しており、今後は国内では販売が期待できないので、国外の投資家に国債を買っていただくようにPRするとか報道しています。軍備以外は、国は何をやろうとしているのかさっぱりわかりません。TPPに反対ですが、外圧である競争の原理であるTPPで変わることになるのでしょうか。日本自身で自己改革できない変な国です。
(ID:19005377)
とてもいい話です。感動しました。孫崎先生の教育者としての成果が現れたのです。ご同慶のいたりです。
私みたいな才のない人間はどうすればよいか、その手がかりを模索しています。ナチスがフランスに侵攻したときヴィシー政権が成立しました。その時代の一端が映画カサブランカで見ることが出来ます。私が出来そうなのは、ちょっと格好良すぎるけど、ハンフリーボガートが演じたレストラン経営者が行う活動家への側面支援なんかなとか、又、帝国陸軍が中国に侵攻した時、ワンジンウエイの南京政府下の上海で反日レジスタンスを行った暗黒街のボスであるトウユイシェンみたいな決して卑しくない侠客を思い浮かべては消えていきます。
上記のようなことを言うと、友人たちは私を侮蔑の目で見て「米国の日本支配は当時のナチスじゃない。米国の日本へのプレゼンスを当時の中国における帝国陸軍と同一視するなんてけしからん」と言って罵倒します。しかし、本質は同じだと思うのです。説明しだすと長くなるからやめます。
当時の米国は反共という観点から少なからずナチスにシンパシーを持っていた。しかし、やはり全体主義は金持ちにとって危険だという認識を得るに至って反ナチスに転じたのです。一方、当時の帝国陸軍の中国経営には傀儡政権を作ることは必須だった。傀儡政権下で中国は更なる深刻な苦境に堕ち込んだ。この苦境から中国人を救い出したのは米国。
フランスでも中国でも強烈なレジスタンス運動が起こったのですが、ナチスや帝国陸軍を倒せなかった。米国がナチスと帝国陸軍を倒したのです。そして両国民を解放した。日本の今の状況は強いレジスタンスを構成することが出来ない分、悪性です。問題はこの悪性の状況下で当時の米国みたいな解放者、或いは救助者はあるのかという問いかけと回答です。ちゃんと回答はあるんです。それは元外交官の村田光平氏が唱える「天地の摂理」です。これこそが解放者なのです。
その間、我々はハンフリーボガートのレストラン経営者やカサブランカの警察署長や上海の卑しくない侠客を実践し、出来るだけ若者に接し、自分の信条を話して行こうではないですか。