私は 『小説外務省』のプロローグで次のように書いた。

「日本は、「正しいこと」を「正しい」と言えない国になってきたのだ。日本の社会は、あちらこちらでギシギシ音を立て、変容してきている。その音は日増しに大きくなっている。

一方、「おかしいこと」を「おかしい」と言っても、摩擦が生じ、ギシギシ

音がする。西京寺はその音の一つだ。たまたま音を出す場所が外務省だった。彼の心にはあるべき外務省員の姿がある。しかし、それを貫こうとする時、摩擦が起こる。

強力な相手に対峙する中で異なった意見を発することに意義があるか――彼は自らの生き方そのものを問うことになる。その模索の旅がこの物語のテーマである。」

そして、「行動は成果を求めるのではない。行動自体に意義を求めることだ」という生き方をソ連時代の小説を引用したり、キリストの生涯に触れながら書いた。キリストが現世で得たものは何であった