4月11日付東京新聞「筆洗い」はタラス・シェフチェンコのある詩を引用した後、次を記述した。現在のウクライナ問題の本質を見極めている。

*******************************

「こういう詩を読めば、かの国で民族主義が高揚すればするほど、帝政ロシアの圧政の下、ウクライナ語で民族の悲劇と自由への渇望をうたったその名の輝きが増す理由が分かる▼だが、彼はこんな詩も書いている。<なんのために 槍でロシア兵の肋骨を/犂き返すようなことをしたのか。種を蒔き、/血で潤し、/サーベルで均した。/畑には 何が生えてきただろう。/芽生えたのは 毒草だ。/わたしたちの自由を損なう 毒草だった>▼これらの詩を訳したシェフチェンコ研究家の藤井悦子さんは「ウクライナ人が真に自立し、解放されるためには、他民族との共存が不可欠なのだと、彼は考えたのではないでしょうか」と話す▼隣人を憎む