今度の知事選挙で様々な考えるべき要素があったが、その一つに 20代の世代で田母神氏支持が高かったことにある。
朝日新聞の出口調査の結果(9日報道)(%)を見てみたい。
桝添 田母神 宇都宮 細川
20代 36 24 19 11
今改めて気づいたが、この順は、年齢の順である。だから、年齢順になじめない結果が出たともいえるかもしれない。
しかしこの選挙は原発をテーマにしての選挙であった。
実は原発の再稼働について、20代は一番支持している世代である。多分学校教育で原発は不可避のエネルギーと学んできたことであろう。
しかし、事故が起これば、若い世代順に被害にあう。福島では次の報道が出ている。
「原発の事故当時に18歳以下だった子どもの甲状腺検査で、結果がまとまった25万4千人のうち75人が甲状腺がん
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コメント
NakaBB さんへ
「自分の目に移る~右目で愛する世界を信じて生きる」。
これでは、幸せなときは、幸せであり、不幸なときは不幸でしかありません。自分を心を相対化させ、「心が心を見る」ようなもので、何時までも安心が得られるときがないといえます。即ち、見聞覚知する現象は、あなたの言っておられるとおり虚像であり実体があるものではありません。幸せも不幸せもありません。勝手にあなた一人が考えているだけで、他の人は関係ないのです。絶対的な今を除いて、私というものはなく、今を生きることが、その人がその人としていきることにほかなりません。今なる絶対世界を生きることが重要なのに、相体的な現象世界に捉われるから「生死」が重大化するのです。「死」は時であって、そのときが来れば必ず訪れるものであり、自らが命を絶つなどは、絶対避けなければならないことです。
tsutomizuさん
ご助言ありがとうございます。僕に取って右目で見える世界とは今のところ虚像でも構わない世界で、いつ消えても構わないものです。でもあった方が自分の人生にとってよいもので積極的に消す必要のないものです。それでも僕に取って右と左は等価であり、またつながっている世界です。あなたの言うように目に見える世界がすべてなのかもしれません。またそう信じる人にはそれが真理であり、また目に見えない世界が現実世界と平行して存在すると信じる人にとって、それは自分の人生を豊かにするものなのです。右と左は対立せず、補い合っていくものです。
僕にとってそのことは疑う必要もない真実であり、自分がその全体像を見ることができなくても、いずれは完成することが自明のものです。いつか誰かがその全体像を見渡す時が来ると思います。まるでマトリックスの世界ですね。自ら命を絶つということはないですが。ただやはりよりよい選択はすると思うのです。ベストは尽くすつもりですがそれは覚悟しておいてください。そういう意味では他の人は関係なくても構いません。それがその人間の選択なので尊重すべきことだと考えます。
>>10
「なんというコメントなのか、耳目を疑いました。さまざまなご意見は、そのまま聞き流すことは出来ても、このような発言は見逃すことは出来ません。傲慢な生き方、それはあなたの自由です。しかし、他の人の言葉を逆手にとって、「死ね」に等しい言葉は限度を超えています。」と仰いますが、私は「死ね」とは行ってませんよ。文明の利器、たとえば、自動車、航空機、プラスチック、セメント(プラスチックやセメントは時を経ても自然消滅しませんし、セメントは古くなると圧縮強度、接着性が弱まり、建築物の崩壊を招きます)などに潜む危険性があるのはけしからんと仰るなら、文明の利器を使わなければ良いのですが、今の世の中でそれは常人には無理ですね。だから全ての文明の産物を捨て、仙人のような原始生活を送るか、それも厭なら自殺するしかないと言っているだけで、事実、私がそう言わなくても世をはかなんで自殺する人は昔からいっぱいいますね。私にはそういう人の生き方(死に方?)には責任がありません。どうぞご勝手にと言っているだけです。それともtsutomizu氏は私に生き方を指示して欲しいのですか?それならはっきりと言ってください。授業料をとる契約ができて、契約金を払ってくださればいつでもお教えしますよ。
(ID:18367902)
日本が評価されてきたのは、平和憲法による話し合いによる外交的解決を国是として歩んできたからである。勤勉な国民性もあいまって経済大国になったが、これはひとえに謙虚さの賜物であると考えるべきでしょう。
私達70才台の人間は、子供のころは、食料は配給であり、少ないおコメを雑炊にして兄弟仲良く頂いた思い出は深く心に刻まれています。社会に出たらお金を稼いで豊かな暮らしをするのだと、勉強した思い出も懐かしい。朝鮮戦争など戦争の漁夫の利を得ながら,画期的奇跡的経済発展を遂げました。戦後のひもじい生活から現在の生活を考えるとき、我々世代は恵まれていたと思わざるを得ません。
私が、今、若者と同じ環境に立たなければならないとすると、さまざまな条件が違います。先ず、就職です。正規と非正規などの差別的入社はありませんでした。世界の人々と競って入社を争うということもありませんでした。年功序列賃金で年数による給与差はありましたが、同年入社の格差は制限されていました。
官僚の企業に対する理解は徹底していて、国家的経済発展が国内の隅々までいきわたったと言っていいのでしょう。
経済成長を遂げる日本全体が一体となって世界の市場を席巻していく姿は、世界から驚異の目で見られたものです。
同じ姿を、勇ましい田母神氏の発言から読み取ることが出来るので、若者の支持することをあながち否定できるものではない。ただ、徹底的に違うことがある。戦後の発展は平和的な経済発展であるが、田母神氏の発言は強い日本であり、武力を誇示することでしかない。いちがいに国民の生活が豊かになるわけではないといえます。
私たちの責任でもあるが、一時的な言葉行動に動かされることなく、この国は豊富な貯蓄があり、海外での債権は世界一であり、現実的に巨大な利息などの収入を得ているのです。政府は、貿易赤字のことばかり宣伝しますが、貿易赤字を消し去っておつりの来るぐらいの状態にあるのです。今日本は、福島の復興はあり、オィンピック特需が期待でき、介護分野の需要は待ったなしの情況であり、エネルギーの新規開発促進とあいまって、国が輸出とか法人税減税など大企業中心の施策から国民主体にシフトすれば、内需で発展できる環境にあるのです。開発途上国が力を増している既存大企業関連の政府支援はやめるべきなのです。お金ばかり食って見返りが発展できないからです。発展するところに予算配分をシフトすれば、これからの時代にも明かりが見えているのですが、推し進めようとする先覚者がいないのが寂しい限りです。