1990年代米国は日本の経済を、米国に対する脅威とみなし、工作や傍受を行ってきた。
関係部分を私の『日本の「情報と外交」』から関係部分を引用する。
*********************************
一九九五年一〇月一五日ニューヨーク・タイムズ紙は「CIAの新しい役割―経済スパイ(Emerging Role For the C.I.A.: Economic Spy)と題する記事を掲げた。
「 昨年春の自動車問題をめぐってのクリントン政権の日本との激しい交渉の中で、情報機関のチームは米国交渉団に随行した。
毎朝、情報機関のチームはミッキー・カンター通商代表に東京のCIA部
局と国家安全保障局(第六章「スパイより盗聴」参照)の盗聴設備で集めら
れた情報が提示された。
経済的優位を求めて同盟国をスパイすることがCIAの新しい任務である。
クリントン大統領は経済イ
ここから先は有料になります
ニコニコポイントで購入する
チャンネルに入会して購読する
- この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
(ID:18367902)
米国CIAなどの傍受は、同盟国、非同盟国に係わらず、米国一国主義即ち世界の警察としての役割として、当然の義務を果たしてきたのでしょう。日本の江戸時代「隠密」の行動原理に類似しているのではないだろうか。北朝鮮のことをとやかく言うが、米国と北朝鮮は、情報管理においては、同じ穴の狢といえる。
同じ独立国としてドイツは激しく国民的な反発に発展しているが、日本においては、マスコミの発信は極めて控えめであり、情報報道機関としてとしてのプライドを捨てているのは情けない。日本人は、昔からお上に従順であるDNAが、秘密ごとをつくらないというより、お上に逆らう発言をしないような習慣が自然に身についているのであろうか。また、日本には独立国でありながら、米国様様であり、秘密などないに等しいので、米国に抗議しないのでしょう。