引用「ハーバード大「ヒトは180歳まで生きられる」…逆に言うとそこまで死ねない人間がすべき老化を防ぐ5つの習慣」(プレジデント)
■老化のスピードが決まる3大要因とは
近年、老化のメカニズムについての研究が進み、120年以上生きることさえ可能になると考える研究者も増えています。世界中の第一線の研究者が集う、健康長寿をテーマにしたハーバード大学のシンポジウムでは、概して「医学の進歩で、ヒトはいずれ150から180歳まで生きられるようになる」という結論になります。
とはいえ、医学の力で老化を止めて寿命を延ばすことは、がんなどの深刻な病気を引き起こすリスクが伴うため、すぐに実用化されることはないでしょう。一方、生活習慣を改善することで、細胞内にある「テロメア」という「命の回数券」とも呼ばれる遺伝子の構造を節約し、老化を予防できることがわかりつつあります。
「大人になってから起こる生理機能の衰えにより、さ
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随想㉓「アメリカ・インディアン(ネイティブ・アメリカン)」の視点で米国を見る
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世界経済GDPでは、中国は購買力ベースで米国を抜いた。輸出額でも中国は米国を抜いた。だが金融では米国が圧倒的に強い。BRICS貿易決済で自国通貨の割合を高める動き。特に中国。国際銀行間通信協会SWIFTの割合昨年3月2.26%、今年3月4.69%
コメント
呼吸、睡眠、運動、食事
このいずれも金を掛けずに済みます。
>>1
AIは関係無い。今日のテーマは生理学の問題です。
> …逆に言うとそこまで死ねない
人生180年で、定年165才...「あーあ、やってらんねぇーよ...」でないか。サラリーマンは そこまでドレイ人生を続けるのである。AIがどれだけ進化/普及しようが、日本人大衆は革命でも起こさない限り、決して「誰も働かずに済む時代の到来!」とはなるまい。
> 幸せホルモンの「セロトニン」が分泌されて自律神経が整う効果もあります。
このようにセロトニンについては「濃度を高めることで健康になる」が「定説」のようだが、それを否定する少数派の医師が日本にもおられ、その根拠に「セロトニンは対人恐怖症/社会不安障害等、不安を掻き立てる作用がある」との報告も挙げている-
JAMA Psychiatry, 2015; DOI:10.1001/jamapsychiatry.2015.0125
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/26083190/
また、係る医師は、「いくつになっても色艶がよく、目は輝いて若々しく見える、加齢を感じさせない人の特徴として、日常的に新しいことにチャレンジしたり、創造的なことに取り組んだりしていることが挙げられる」とし、実際にこのような人は、「糖のエネルギー代謝(基礎代謝)が高まる」という研究結果が出ているとのこと。
更に同医師曰く―創造的なことに取り組んでいる状態では、脳もドーパミンというホルモンで満たされている。
そして、「このドーパミンを分解する酵素をブロックすることで、基礎代謝が高まり、痩せる」との報告をご紹介-
(Hypothalamic GABRA5-positive neurons control obesity via astrocytic GABA. Nat Metab. 2023 Sep;5(9):1506-1525)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/37653043/
「あらゆる病態に絡んでいるセロトニンは、ドーパミンが増えると減り、ドーパミンが減ると増える。現代人に多いセロトニン過剰症(低ドーパミン症)は、権威・権力に従順で弱者に滅法強く、利己的で前向きでなく、太りやすく、あるいは病的に痩せやすく、かつ老化が早い傾向になる」
*
「コロナワクチンは有効かつ安全」―当初はこれが「定説」だった。だが、昨日sagakaraさんご指摘の「(日本国民も)アメリカ原住民と同じ運命になる」―これを一笑に付せなくなった人も今や相当数に上るのでないか。
孫崎さんも分野は違えど、殊に日本での「定説」に異論を唱え続けてこられたわけである。「定説」が嘘と詭弁だからだ。
医療/健康分野でも―実に厄介だが―ウソを見抜けないと生き抜けない時代なのだろう。
(ID:18367902)
孫崎さんの趣旨を超えているかもしれない、私には「死生観」が頭に浮かんだ。
中國の禅師の言葉に「知而故犯」という言葉がある。
今ここに提起されているのは、「人間」を超えたAIによる「知而故犯」であり、言面的捉え方でありかなり抵抗感が強い。
「人間」には「知而故犯」の中には、「生きようとする生命力」だけでなく、己の体の状態を知って「死の時期」を知るということもある。
「死」の時期を知り覚悟する機会を無視し、AIの求めるまま己の身体をゆだねることに抵抗感がないのであろうか。
「唯物論者」に抵抗なくとも、「唯心論者」には知るということの領域で「死の選択」をAIに委ねて生きるということはかなり抵抗があるというよりAIに任せたくないというのが本音である。また、その境界線をどこに置くかは人によって、年齢によって異なってくるのでしょう。