>>21>>23 >わたしは「エルサレムのアイヒマン」も読めないほどの文盲なのでそれを読んだことはなく 私が「文盲」でないことは、これまでの経緯から明白と思われるが、にも関わらず「文盲」を揶揄のために敢えて使用するところに、オヌシの差別的人間性が現れている。 「読めないほどの文盲」という表現の愚劣さ。高齢者の一部には、今も、貧困、差別故に文盲の人もいる。 ハッキリ言うが、オマエ、バカじゃないのか? それとな、私は『われらはみな、アイヒマンの息子』(ギュンター・アンダース著、晶文社)を読んで、凡庸な悪という用語を使っている。従って、一般的用法だ。 本の紹介にはこうある。 「ナチスドイツのユダヤ人大虐殺=ホロコーストで大きな役割を果たし、1960年、逃亡先のアルゼンチンでイスラエルの秘密警察によって逮捕され、絞首刑になったアドルフ・アイヒマン。本書は、アイヒマンの息子にあてた公開書簡の形式をとっている。世界がグローバル化し、誰もが組織の歯車になりかねない時代に、個人の責任とはなにか、上意下達の組織、社会でいかにしてアイヒマン的存在から抜け出すか。自分で考える力の必要性を問う哲学の本。」 アイヒマンがどういう人間だったか、そんなことは関係ないという所以だ。
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孫崎享チャンネル
(ID:119568177)
>>21>>23
>わたしは「エルサレムのアイヒマン」も読めないほどの文盲なのでそれを読んだことはなく
私が「文盲」でないことは、これまでの経緯から明白と思われるが、にも関わらず「文盲」を揶揄のために敢えて使用するところに、オヌシの差別的人間性が現れている。
「読めないほどの文盲」という表現の愚劣さ。高齢者の一部には、今も、貧困、差別故に文盲の人もいる。
ハッキリ言うが、オマエ、バカじゃないのか?
それとな、私は『われらはみな、アイヒマンの息子』(ギュンター・アンダース著、晶文社)を読んで、凡庸な悪という用語を使っている。従って、一般的用法だ。
本の紹介にはこうある。
「ナチスドイツのユダヤ人大虐殺=ホロコーストで大きな役割を果たし、1960年、逃亡先のアルゼンチンでイスラエルの秘密警察によって逮捕され、絞首刑になったアドルフ・アイヒマン。本書は、アイヒマンの息子にあてた公開書簡の形式をとっている。世界がグローバル化し、誰もが組織の歯車になりかねない時代に、個人の責任とはなにか、上意下達の組織、社会でいかにしてアイヒマン的存在から抜け出すか。自分で考える力の必要性を問う哲学の本。」
アイヒマンがどういう人間だったか、そんなことは関係ないという所以だ。