私は最近ほぼ毎日ツイッターに花の写真を載せています。きっかけは日課の変化です。
私は長く皇居一周ジョギングを行ってきたのですが、左右の足の親指の付け根から赤く腫れ出し、痛風の様な症状を招き、一、二か月休む、再開すると他の部分を痛めるということでなかなか走れない。ということでジョギングを中止し、散歩と階段上りに切り替えたのです。千鳥ヶ淵緑道→九段坂公園→千代田区役所前→坂下門→北の丸公園→代官通りと回る。途中に様々な花があるので写真をとってツイッターにアップしたのです。
幼い頃、田舎のどの家にも花が活けてあったような気がします。外務省に入ってソ連勤務の時にはロシア人が花をとても大切にするのを見ました。ロシア人には冬が長い。中央アジアなどから送られる花は長い冬の圧迫感からの解放だったのでしょう。
転勤の多い私は、本はあまり保持しません。それでも手元に、1983年発行『日本の名随筆1 花
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米軍8月末までにアフガニスタンから全軍撤退表明、これをうけ、タリバンは次々と武力で制圧。早晩カブールは陥落し、全域タリバン制圧下になろう。米が二兆ドル以上投じ、開戦以来2300人以上の米兵が死亡。これら投資は全く無駄に帰す。何の戦争だったか
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横浜市長選挙は何故重要か。一つは小此木氏が敗れれば同氏支援の菅首相で衆議院選挙が戦えるのかの疑念が強く出る。今一つはカジノ誘致への影響。当初小此木氏が優勢であったが、コロナ深刻化と呼応して山中氏支持が増え、神奈川新聞は山中氏リードと報道
コメント
>>5
確かに、そう言われれば、そうなんですね。
ただ、今の自民党政治を観察してると、日英同盟時の桂太郎や西園寺の政治に似ていて、当時あって今無いのは統帥権だけです。米国の戦争屋はそれを離さないでしょう。又、いろいろ言われるが、戦前も一応選挙してましたし。
もう一つ、天皇好きというより、天皇の国民の象徴としての役割は何かを真面目に考える姿は平和主義者の私には評価できると考えているのです。
私は共和制が優れていると考えてます。
孫崎さんの随想にケチをつけるつもりはまったくありません。「美しいものを愛する」点はそのとおりです。しかし、以前から孫崎さんの随想で少し気になっていたポイントを端的に述べたいとおもいます。
「自然」をどう考えるかということです。孫崎さんは、「日本人は世界で最も自然と親しんできた」とお書きですが、都会のまんなかに住んで余裕のある暮らしをし、まちを散歩し、スマホやデジカメで、だれかが栽培している植物等の写真をとり、ネットにアップする、というのは、たぶん日本の多くの高齢者がうらやましがるような最先端の文明生活なのではないでしょうか。ある意味では、「不自然」な生活です。美しいものを愛しているのはまちがいないですが、自然を愛しているのかどうか。「自然」をどのように考えるのか、考えるべきことが、ここにはあるとおもいます。
(ID:18367902)
孫崎さんは、「日常的批判」といっておられるが、自他とも優秀とみられている人は、「リスペクト」の言葉が、その人の基盤である場合が多い。
他人に「リスペクト」の言葉を求め、「リスペクト」の言葉がないと、毒のある言葉というより、「嫌みな言葉が出てくる」のはよく経験することである。素直に「リスペクト」ある言葉があれば、相手を「リスペクト」して、相互の信頼関係が築かれる。私の仲間は、そのような人が多い。
今回「花」の話が出ているが、外国旅行し、西欧の人に花の名前をお聞きすると、「花」としか答えが返ってこない。日本人は、花の種類だけでなく、花の形状、数量に対しても、繊細な表現で花をめでるのである。「3本は直であり、2本は曲である」という表現で多数の花をめでている。「多即個であり、個即多である」が、この表現は日本人でなければ理解できないでしょう。
先のオリンピックの空手の型で、日本人の心を理解した選手を見つけ、日本の心を日本人以上に理解している人がおり大変驚いた。スペインの選手であり、153cm、48kgというように日本人と変わらないが、日本人の相手のコーチに対して正座して両手で握手を求める姿を見て感動したのは私だけではないでしょう。
日本人のその時にすべてをかけて生きる「生即死、死即生」の精神が、スペインの人に生きている姿は、驚きであると同時に、日本が理解されていると嬉しくなった。