エドワード・モースは一八三八年生まれ。一八七七年来日し大森貝塚を発掘。彼の著書「日本その日その日1」には次の記述がある。
「(日光から東京へ。きたならしい町の旅籠屋で)部屋に掛けられた書き物は古典の一部であることが判った。私は米国の同じような場所の壁を飾る物―拳闘、競馬、または裸の女を思い浮かべ、我々はいずれも、日本人の方が風流の点では遥かに優れていることに同意した。この繊細な趣味の全てが、最も貧しい寒村の一つにあったのである。」
 日本の多くの人々は芸術に接してきた。それは「田舎」と位置付けられる人々の中にも浸透していた。私は石川県小松市、米つくりの村の出身であるが、農家の床の間には掛け軸があり、季節ごとに変えていた。陶器も飾ってあった。家で客が集まり酒盛りがあると、徳利や盃に「これは初代(浅蔵五十吉)のものよ」と自慢しあっていた。
 考えてみると、私の赴任地は陶芸と関係があった。最初の大使は