ソ連が崩壊した。世界の歴史を見ると、一旦王政が退けられ、再び王政が復活する例はしばしば起こる。ではロシアで、仮に「皇帝」を復活させるとしたら、誰が「皇帝」に相応しいのか。プーチン大統領ではない。当然、ロマノフ朝の血統を継ぐ者となる。2007年の世論調査で「ロマノフ朝の復活に賛成の国民が37%」という報道もある。
1918年7月17日午前2時33分、元皇帝一家7人(ニコライ2世、アレクサンドラ元皇后、オリガ元皇女、タチアナ元皇女、マリア元皇女、アナスタシア元皇女、アレクセイ元皇太子)は幽閉先のウラル地方エカテリンブルクで射殺され、直系の血筋は途絶えた。この内、アナスタシアが難を逃れ、米国に移住したという説がある。この説に基づき映画もある。
だが通説では直系は全て射殺されたとされている。では、直系がなき場合誰が皇帝になるのが相応しいか。フレデリック フォーサイス著『イコン』の中で、最適任者とし
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今次米国大統領選の本質:グローバリズム→米国国内格差社会→トップ50人の資産2兆ドル=下位50%の1億6500万人分に匹敵。選択①金融資本、グローバル企業、軍産複合体中心②大多数利益追求(皆保険)、③アメリカファースト。その中無自覚に①選択。
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トランプは米国に「ディープステート」が存在し、自己の政策実施を阻止と発言。ディープステートは公的国家を操作することを求める非公然組織。軍・情報機関等が構成。米国国民の48%存在するとみなす。NYT紙トランプの様な者と戦う為に存在するとの論評。
コメント
米国大統領選挙とチャイナ肺炎でかすみがちだったが、立皇嗣の礼がとりおこなわれ、これで皇位の継承に関する儀式はすべて終わった。今回の記事は、そこから連想されたのかもしれない。
わたしは右寄りと自称することはあるが、右翼とかネトウヨと自称したことはない。ネトウヨは蔑称(しかももともとの意味とはかけはなれている)だから論外だが、右翼であれば、自分にそのアイデンティティがあれば、右翼とよばれても別にいやではない。
しかし、本当に右翼なひとびととは、天皇についてのはなしがあわない。彼らの中には、簡単に、天皇に主権をかえすとかそれに似たことをいうひとがけっこう多い。しかしわたしは現在のようなありかたが、むしろ日本の(少なくとも江戸時代以降の)伝統であろうと考えている。
伝統であるという以上に、天皇とか国王がいることのひとつの「現代における」効果は、権威と権力とを分離できることだろう。いまの日本ではせっかく分離しているものを、ふたたび一緒にする必要はないとおもわれる。
天皇や国王の存在するもう一つの意味は、愛国心の中核になることであり、ロシアで国王が求められているとしたら、そちらの意味ではなかろうか。共産主義によって処刑された国王を、ナショナリズムに目覚めた国民が希求するというのは、共産主義とナショナリズム、そして共産主義と反ナショナリズム(グローバリズム)との関係に示唆するものがあろう。
そもそもわたしは世襲というのが好きでない。
だから歌舞伎が嫌いで一度も見たことがない。
世襲の役者だらけだから。
反対に落語が大好き。世襲が皆無でないとしても
実力が全てだから。
王制に至っては古代人ならともかく現代人に好きな人が
多いのはかなしい。
人間というものは進歩しないものだということをこれほど
端的にしめすものはないから。
天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず、という
福沢諭吉の言葉に反対する人はいないと思うのに日本は
天皇を好きな人でいっぱい。
ふしぎだと思いませんか。
わたしが天皇制に反対するのは、実は天皇を好きな人の
内面に仄暗い暗黒の一面を見るせいなのかもしれない。
>>2
小田にたいする敬意をふくめてすべてに同感です。
(ID:18471112)
また様々な思いが過ぎる随想。
> 一旦王政が退けられ、再び王政が復活する例はしばしば起こる。
アベ/スガ政権よろしく、私利私欲、圧政で配下は何時しか上から下までヘーコラ人間だけ━それで早晩潰れる。
だが、「おそらく今後も何度でもだまされるだろう」(伊丹万作氏)、「人間は反省しない」(石川文洋氏)を思えば、同じ類の専制がまた復活、そしてまた潰れる...21世紀の人間社会もこの繰返しに終始するのだろう。
以下、アレックス・カー著「美しき日本の残像」より-
“...ローズ奨学金は歴史的にも古く有名なものですから断る訳にはいかず、一九七四年の秋にイギリスに行きました。エール大学はオックスフォードをお手本にしたところが多いので、オックスフォードはエール大学みたいなものと簡単に思い込んでいたのですが、それは大間違いでした...まず寮に案内され、次にハンドシェイキング...という古い儀式で...学長と面会するのです。ハンドシェイキングといっても決して握手するようなことはありませんでした。中世のおかしな学服を着せられて大きなホールに案内されました...部屋の遠くのほうには学長と先生たち四人が座っていました。その先生たちは部屋に入って来た僕を見ることもなく話し始めました。
「次は誰ですか」
「ミスター・カーです。アメリカ人です」
「そうか。植民地の者か。こちらに来て何を学ぶのかね」
「中国学です」
「中国学? それは古典的な勉強だね。ラテン語のようなものだ」
そう言って学長はやっと僕に向かって話し始めました。
「植民地の者よ。君は中国の古典をこちらで勉強する気か? 古典というのは厳しいものだ。なまけるではないぞ! では下がってよろしい。次の人を呼びなさい」
部屋を出ながら僕は怒りを感じつつ、考えてしまいました。「植民地の者っていうのは一体、何の話なのだ? アメリカは二百年も以前に独立しているではないか。それに中国学がなぜ死語であるラテン語のようなものであると思わねばならないのだ」...オックスフォードの文明の目盛りは数百年が単位であるということなのでしょう...やはりオックスフォードはエール大学ではなかったのでした。”