私は1943年生まれ。多分最もテレビに影響されてきた世代だろう。中学時代にテレビが家庭に普及し始め、紅白歌合戦、巨人戦、プロレスを夢中で見、夕食時には「てなもんや三度笠」を見ていた。随分多くのテレビ番組を見た。テレビ番組を見て、自分の考えを180度変えた経験が一度ある。BBCが行った安楽死についての番組である。
1966年夏から68年夏まで私はロシア語を学ぶため英国にいた。当時BBCは面白い番組を持っていた。争点が分かれる案件を裁判形式で討議する。一方が検察、一方が弁護側に立ち、最後に聴衆が判決を下すという仕組みである。そして安楽死が取り上げられた。私はそれまで、「安楽死は認めてもいいではないか」と思っていた。検察側(多分)が「安楽死は認めていい」と主張した。「人生の最後位自分で決めさせていいのではないか」という主張だった。私の考えを変えたのは一組の家族だった。
一人の中年女性、夫、そして
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転載・日刊ゲンダイ:孫崎享著「学問の自由」を抑圧することは、社会の発展を阻止する動き」
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ブラックジョークか。菅首相、所信表明演説「人類がウイルスに打ち勝った証しとして、オリンピック開催する決意。23日は米国では85000人過去最高。仏は4万1622人過去最多、パリ等夜間外出禁止。英、独も各々措置。どこから打ち勝った証しの考えが出るのか。
コメント
安楽死の問題は深く考えなければ結論は出せないですね。
それこそ総合的、俯瞰的に。
ああなってまで生きるのなら自分だったら死にたい、という
短絡的な擬似当事者視点から安直に結論を出してはいけないと
思います。
大きく社会全体に影響を与えることがらですから。
社会が、穀つぶしは生きているべきでない、という方向に
舵をきる可能性があります。
>>4
確かにそうですね。
>>5
同意いただきありがとうございます。
ただこの問題は悩ましくいまだに結論を出せていません。
人は自殺できて、それは違法でもなんでもないのだから
本人が望む安楽死ができてもいいだろう、という考えは
依然わたしの中で有力です。
ただそれに伴って派生することがら、あのひとはいさぎよく
死を選んだのになぜあなたは家族や社会の負担になってまで
見苦しく生きることに執着するの、という心理的圧迫は当然
当該者に発生します。
生ある個体がその存続を希望するのが基本的に当たり前という
真理が軽視される世の中にならないともかぎりません。
本当に悩ましい問題です。
(ID:19005377)
<本人から安楽死させてくれと依頼がありますか>
<答え。殆どありません>
なるほど、そういうことですか。
私の限られた経験では「死にたい」と強く要望するケースは少なからずあるように思えますね。そういう強い要望には応えて上げればいいのではないでしょうか。
その詳細は知りませんが、オランダにはそういう制度があって、イギリス人はその恩恵を享受している、とも聞いてます。
それは、ともかく、問題は意識を殆ど喪失した患者の扱いです。意思表示が出来ない訳ですから非常に難しい。こういうケースは医学の見地で意識の回復が難しいと判断されたら、安楽死を行えるように取り決めしてもよいと思うのです。
以上のように言えば、きっと、種々の哲学、宗教が私を断罪するのでしょうね。