孫崎享のつぶやき

随想⑧ 死の前に犬への別れの詩 エセーニン「カチャーロフの犬に」(訳・孫崎享) 「カチャーロフの犬に」(1925年)(出典1961年版『セルゲイ・エセーニン』

2020/08/02 07:37 投稿

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「カチャーロフの犬に」(1925年)(出典1961年版『セルゲイ・エセーニン』

よこして、ジム、お手を私に

私はこんな足を見たことがないよ

一緒に、ほえようよ

静かな、音のしない、天気の中で

よこして、ジム、お手を私に

 

ねえ、おまえ、なめないで

最も簡単なこと位一緒に解ってくれ

お前は生きることって何か知らないだろ

この世で生きるってどんな価値があるか、お前、しらないだろ

 

お前の主人は優しくて著名だ

主人の家に客がいっぱいだ

みんな、笑みをたたえ、

お前のビロードの毛に触ろうとする

 

お前は犬では悪魔的に美しい

優しい、信じやすい、心地よさで、

どんなに酔っぱらっているか一言も聞かず

お前は、接吻に、舐めてくる

 

愛すべきジム、客の中に

とてつもなく多くの、様々な客がいる

でも、誰よりも無口で、憂いある彼女が

たまさか、突然入ってくることがないかい

 

彼女は来るよ。そしてお前

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コメント

「犬」を超えて、一人の人間として考えれば、「生死」の問題は、「寂静」な分別を超えた(離れた)所に見出すしかないのでしょう。

国と国の諍い「戦争」は、相手との関係を断ち切れればいいが、断ち切ることなどできない。両国関係は人間の生存とともにある。分別から脱皮できず、果て無い関係が続くといえる。相手に対して、「ガンジーの無抵抗主義」は一つの在り方であることは肯定できる。米国に支配されているから、ほかの国に支配されてももいいのではないかと考え方の根拠となりえる。

民族としての独立した国家を考えれば、米国に支配されるのも他国に支配されるのも支配されるのは同じであり、受け入れられない。日本人自身としての「戦争」に対する考え方が出てくるのが当たり前であるが、被支配国であり、無抵抗主義から脱皮できない。自縄自縛に陥っている。
民族の問題は民族の問題として、自縄自縛の罠から抜け出すためには、憲法改正議論を深めていく必要性が不可欠な時代になっている。

No.1 52ヶ月前

 先日の猫の死のお話しといい、今日の犬のお話しといい、孫崎さんは随分ロマンチストですね。

No.2 52ヶ月前

ちょっとウィキペディアを当たってみたらなんとイサドラ
ダンカンのもと夫とは...

それにしても散文よりずっと難しい 詩の翻訳が見事。
孫崎さんにこんな才能がおありとは。

孫崎さんが書かれた小説も読んでみようかな。

No.3 52ヶ月前
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