A-1 事実関係「安倍首相、敵基地攻撃で議論主導 防衛政策の「空白」解消急ぐ」(時事通信、20日)
安倍首相が、敵基地攻撃能力の保有も視野に安全保障戦略の見直しに取り組む考えを表明した。北朝鮮弾道ミサイルの脅威が増す中、陸上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の計画停止で生じた防衛政策の「空白」解消は急務との問題意識からだ。
B:敵基地攻撃論の危険性(孫崎享著『日米同盟の正体』(講談社、2009年)
敵地攻撃論は有効か
最近、日本国内で敵地攻撃論が議論され始めている。二〇〇六年七月一〇日、読売新聞は「敵地攻撃能力の保持、額賀防衛庁長官『議論すべきだ』」との標題の下、「額賀長官は九日、北朝鮮の弾道ミサイル発射を踏まえ日本として敵基地攻撃能力を検討すべきだとの考えを明らかにした」と報じた。
二〇〇七年二月一五日付「隊友」紙は、「敵地攻撃論」と題する村木鴻二元空幕長の「敵地攻撃」を掲載し
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『朝鮮戦争の正体』⑤7月発行、戦後日本国憲法で①国会を最高機関、②人権重視、③不戦を決めますが、朝鮮戦争でストップ、逆コースへ。①戦争と同時に警察予備隊設置。法律でなく政令、②新聞社等大量解雇、③戦争参加。今日まで続いているのです。「緊急事態条項」
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2019年の中国最大の貿易パートナー上位4ヶ国・地域は、上から順にEU、ASEAN(この年二位に)、米国、日本。これが今年1-5月には、ASEAN14.7%。EU13.9%。米国11.1%。日本7.3%。A.S.E.A.N.コロナ被害小、産業チェーン緊密化、日中大きく変化せず。
コメント
これで「イージス・アショア」の計画停止が「やらせ」だったことが証明された。
店を荒らしに来たチンピラを退治した男に店主は感謝するも、そこに付け入られて店は男に乗っ取られてしまう。つまり、チンピラ退治は「やらせ」だった━B級映画にありがちな それを地で行く実に見え透いた手口だ。それだけ日本の大衆はジャパン・ハンドラーに舐め切られているのだ。もはや「もっとぶって!」の日本人に敢えて迎撃ミサイルを装う必要なしということだ。元々米国の「前線基地」ニッポンには中国、ロシアに照準を定めた対地ミサイルを配備する計画だったろうが、いよいよその魂胆を露わにしてきたのでないか。そのための安倍の「やらせ」だ。ジャパン・ハンドラーの言いなり首相、安倍だからやれる芸当だ。断ったら逮捕、ブタ箱行きが必定だからである。
> 中国、ロシアにはまったく該当しない。先制攻撃をした後の展開についてまったく能力を持たない国が先制能力だけを持とうとするのは極めて危険である。
陸上イージスの不合理を認める一方で、先制攻撃の明らかな不合理には目を瞑る。
まともな医療従事者が有難がる理由など見つけようもない、子供騙しにもならない「ブルーインパルス感謝飛行」をやらかす河野防衛相も安倍と同類の口パク人形ということだ。
少なくともジャパン・ハンドラー、及び安倍にとって、先制攻撃をした後に日本がどれだけ悲惨な展開になろうが「知ったこっちゃない」のである。
孫崎さんの文章中には、「敵基地攻撃」は基本的に先制攻撃である」とあるが、これはただの断定であり、この問題の本質をとらえていない。
日本の防衛政策は基本的に領土領海領空上で敵を迎え撃つことになっている。しかし、敵が第一波のミサイル攻撃をしてきて、数分から十数分後には、確実に第二波がくるというときに、敵のミサイル基地そのものを叩けないのか。これが日本における敵基地攻撃論の論点である。
ちなみに、中国なども、自国のミサイルを日本に多数むけているが、同じ理屈でそれを正当化しているとおもわれる。
ただし、中国は、大雑把なのか(笑)日本の人口30万人以上の都市すべてにミサイルをむけていると噂されている。もちろん、米軍はおろか、自衛隊基地すらない都市が多数含まれる。
その点、日本の議論は、敵「基地」攻撃論である。まことにかわいいもので、世界の軍事議論のなかでは、なんの議論もなく肯定されるであろう。
ついでに書いておくが、孫崎さんのタイトルで示されている、敵基地攻撃論への反論は、敵基地攻撃論への本質的な反論になっていない。
というのも、タイトルの内容を要約すると、敵基地攻撃論を仮に採用しても、実際には敵の攻撃力のほうが上だからうまくいかないでしょ、という話に過ぎない。
しかし実践がうまくいかないからといって、理論に反論したことにはならない。
つまり孫崎さんは、敵基地攻撃論に反論できていないのだ。正しいことには反論できないということだろう(ただし、政治的には、実践がむずかしいという指摘もじゅうぶん考慮すべきであろう)。
(ID:18367902)
自衛的であろうが、攻撃的であろうが、相対的思考によるものか、絶対的思考によるものかが、重要になっていると考えている。
今回のコロナで大きな経験をした。日本はどちらかというと絶対思考を優先し、人々を死なせない医療=医療崩壊を避けることを優先し、コロナとまともに対峙しなかった。検査、検査で感染者を選別する作業を優先せず、コロナと共存する道を選んだ。絶対的思考が支配しているといえる。
成功している国も成功していない国も、日本以外は、コロナと真正面から向き合い、検査、検査をしていって医療崩壊をおこし、救える命を救えなかった。CTなど先端医療機器は充実していなければ、やむを得ない方法であったかもしれない。コロナと真面に対峙する相対的思考で進めざるを得なかったといえる。
相対的思考をすれば、相手の規模によって、対応する手段は無限というより、方法がないといっていいのでしょう。
絶対的思考では、相手は関係なく、絶対的攻撃能力を保有することであり、相手が攻めても無意味と考える兵器を保有することが一番効果的である。核兵器保有が議論されてもいい時期に来ているのではないか。