昨日家の前で車を待っていた。2時50分に迎えに来る約束である。だが駐車して待たれると交通が渋滞する。それで8分前に道に立った。目の前の電柱に張り紙がある。見ると二羽のインコの写真だ。北の丸公園でいなくなったという。北の丸公園から電柱までゆうに三キロはある。探すのは容易じゃないなと思いつつ写真を見てると「それ猫」との女性の声がする。マスクをしているから年齢は判らない。
「いやインコです」
「そう。猫かと思って。。。。私、昔猫が逃げて、電柱に猫を探すビラを貼って回ったです。それだけじゃないんです。仕事を休んで、探し回ったんです。10日目にクビにすると言われました。でも探したんです。見つかったんです。10日頃して、家に車が来て、 “これ貴方の猫じゃないか”って。」
「どんな猫だったんですか」
「白い猫でした」
「見つけた人、貴方の家からどれ位離れていたのですか」
「三キロほどです」
「三キロ先ま
コメント
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インコ探しの張り紙、それを猫だと言うおばあちゃんとのやりとり、殆どの東京人が高層に住む現在、その地域には自然があるのどかな環境があるのを彷彿とさせていいですね。
猫については村上春樹にも随想があります。彼が、小学生の時、お父さんと一緒に自宅の西宮夙川近くの夙川土手を辿って約3キロほど下りたところの西宮海岸に長年飼ってた猫を捨てに行ったのです。
二人は海岸に飼い猫をそっと捨てて無言で夙川土手を逆に辿って家路についたのです。二人はやれやれだったに違いない。そして、春樹少年とお父さんが玄関ドアを開けてびっくり。捨てた筈の飼い猫が二人を待っていたのです。二人はそれにも黙して語らず、その飼い猫を飼い続けたということです。
村上春樹とお父さんとの関係はかなり長い期間冷え切ったものであったことは有名な話です。私の感じですが、この事件が災いして関係が冷え切ったのじゃないか、ということです。彼の小説には猫が生き生きと跳梁する光景がよく描かれます。夙川の飼い猫へのオマージュだと私は思っています。
(ID:18367902)
猫だまし・不意打ちに遭遇した感触。どうなんだろう。
(ID:21547192)
私が拾ってきた実家の猫は24年生きました。
祖母が面倒見てくれていました。
猫を看取るまで死ねないといっていましたが、
先に逝ってしまいました。