>>1 こんにちは。重要な考察だとおもいます。 「サイン」はみたことがありませんが、「イ・サン」なら多少見たことがあります。 面白くて楽しく見れる時代劇でしたが、強く印象に残ったのは「洗草」のシーンでした。 みずからが権力を握った後、過去に政敵の書いた文書の紙を、水にさらしてそこに書かれた字を洗い流して消してしまうというものです。紙が貴重な時代に再利用する意味があったということもあるらしいのですが、「イ・サン」では、政敵の歴史認識を否定して消し去ってしまうというニュアンスでわたしは受け取りました。 権力者が自分の都合の良いように歴史を書くのは日本を含めて古今東西かわらぬものだとはおもいますが、「洗草」のシーンにあらわれている、権力=正しさ についてのゆるぎない確信や、事実がどうなのかへの軽視および自らとは異なる歴史認識を消し去ることへの情熱に、けっこうな衝撃を受けてから、わたしは、たとえば、韓国の大統領はなぜのちに逮捕されるのかとか、文大統領がなぜ恥も外聞もなく曹氏を法務部長官にしようとするのか、日本との歴史問題にどうしてこれほど固執するのかなどの理由がより良く理解できるようになったとおもいます。 ひとことでいえば、伝統的な「党争」を(日本相手でも)今も続けており、そこから21世紀の現在も逃れられないのでしょうね。 しかもかれらの思想のチカラは侮れるものではなく、日本人はかれらに安易に近づくと「党争」にまきこまれ、道具にされます。すでにそうなってるようなヒトビトも見受けられますね。 戦後の日本人は、あるものは非合理的な罪悪感、別のあるものは利権で韓国にかかわってきたとおもいますが、いずれも韓国人(朝鮮人)のこうした性質を日本人全体としては十分には理解していなかったとおもいます。 おそらく、現在三十台なかばから後半くらいの世代が、世代として日本史上初めて韓国人がどういう人たちかをよく理解したのではないでしょうか。この世代は2002年の日韓ワールドカップのときに高校生や大学生や若い社会人だった世代です。今回詳しくは述べませんが、日韓ワールドカップにおける韓国の行動というのは、その後の日本の嫌韓世論形成とかなり深い関係があるのです。 そして、そこから出た結論でかなり支持をあつめているのが、韓国とはあまりかかわらないようにしよう、というものです。表面的な仲良しでいるために、あまりかかわらないということです。わたしは一部のヒトビトとちがって、日韓断交しようとまではおもいませんが、精神としては、朝鮮通信使程度でいいとおもっています。朝鮮通信使は数十年に一度程度でした。 孫崎さんが引用されている上皇(当時は天皇)の発言は、まさに日韓ワールドカップにむけて、日本が韓国との未来に期待していたころのことでした。当時の記録をみれば、日本が技術をどんどん韓国に移転し、東アジア女性基金が慰安婦問題に決着をつけ(ると考えられ)、韓国の反権力闘争の象徴的存在だった金大中が大統領になって、小渕首相と日韓共同宣言を発表したころです。上皇の発言には、リップサービスが感じられますが、しかし、それが当時の日本の雰囲気だったのだとおもいます。 なお、9月7日の孫崎さんの同様の発言 https://ch.nicovideo.jp/magosaki/blomaga/ar1808634 に対する、わたしの発言(No.6)を読んでくださるとさいわいです。 孫崎さんは引用していませんが、上皇の日韓友好へのメッセージは、わたしは、2017年の高麗神社参拝のほうにより強く感じられます。すでにかなり日韓がおかしくなってからの参拝だからです。 しかし、そのときからも、いろんなことがありました。もはや皇室になにかできるようなことはないとわたしは思っています。
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>>1
こんにちは。重要な考察だとおもいます。
「サイン」はみたことがありませんが、「イ・サン」なら多少見たことがあります。
面白くて楽しく見れる時代劇でしたが、強く印象に残ったのは「洗草」のシーンでした。
みずからが権力を握った後、過去に政敵の書いた文書の紙を、水にさらしてそこに書かれた字を洗い流して消してしまうというものです。紙が貴重な時代に再利用する意味があったということもあるらしいのですが、「イ・サン」では、政敵の歴史認識を否定して消し去ってしまうというニュアンスでわたしは受け取りました。
権力者が自分の都合の良いように歴史を書くのは日本を含めて古今東西かわらぬものだとはおもいますが、「洗草」のシーンにあらわれている、権力=正しさ についてのゆるぎない確信や、事実がどうなのかへの軽視および自らとは異なる歴史認識を消し去ることへの情熱に、けっこうな衝撃を受けてから、わたしは、たとえば、韓国の大統領はなぜのちに逮捕されるのかとか、文大統領がなぜ恥も外聞もなく曹氏を法務部長官にしようとするのか、日本との歴史問題にどうしてこれほど固執するのかなどの理由がより良く理解できるようになったとおもいます。
ひとことでいえば、伝統的な「党争」を(日本相手でも)今も続けており、そこから21世紀の現在も逃れられないのでしょうね。
しかもかれらの思想のチカラは侮れるものではなく、日本人はかれらに安易に近づくと「党争」にまきこまれ、道具にされます。すでにそうなってるようなヒトビトも見受けられますね。
戦後の日本人は、あるものは非合理的な罪悪感、別のあるものは利権で韓国にかかわってきたとおもいますが、いずれも韓国人(朝鮮人)のこうした性質を日本人全体としては十分には理解していなかったとおもいます。
おそらく、現在三十台なかばから後半くらいの世代が、世代として日本史上初めて韓国人がどういう人たちかをよく理解したのではないでしょうか。この世代は2002年の日韓ワールドカップのときに高校生や大学生や若い社会人だった世代です。今回詳しくは述べませんが、日韓ワールドカップにおける韓国の行動というのは、その後の日本の嫌韓世論形成とかなり深い関係があるのです。
そして、そこから出た結論でかなり支持をあつめているのが、韓国とはあまりかかわらないようにしよう、というものです。表面的な仲良しでいるために、あまりかかわらないということです。わたしは一部のヒトビトとちがって、日韓断交しようとまではおもいませんが、精神としては、朝鮮通信使程度でいいとおもっています。朝鮮通信使は数十年に一度程度でした。
孫崎さんが引用されている上皇(当時は天皇)の発言は、まさに日韓ワールドカップにむけて、日本が韓国との未来に期待していたころのことでした。当時の記録をみれば、日本が技術をどんどん韓国に移転し、東アジア女性基金が慰安婦問題に決着をつけ(ると考えられ)、韓国の反権力闘争の象徴的存在だった金大中が大統領になって、小渕首相と日韓共同宣言を発表したころです。上皇の発言には、リップサービスが感じられますが、しかし、それが当時の日本の雰囲気だったのだとおもいます。
なお、9月7日の孫崎さんの同様の発言
https://ch.nicovideo.jp/magosaki/blomaga/ar1808634
に対する、わたしの発言(No.6)を読んでくださるとさいわいです。
孫崎さんは引用していませんが、上皇の日韓友好へのメッセージは、わたしは、2017年の高麗神社参拝のほうにより強く感じられます。すでにかなり日韓がおかしくなってからの参拝だからです。
しかし、そのときからも、いろんなことがありました。もはや皇室になにかできるようなことはないとわたしは思っています。