ジョン ダワーは、米国の歴史学者。マサチューセッツ工科大教授。米国における日本占領研究の第一人者。『敗北を抱きしめて』は、終戦直後の日本にスポットを当てる。この作品はピュリツァー賞、更に全米図書賞を受賞した。如何に高い評価を得たかが判る。。
・勝者達は、言葉、文化面で、敗者の社会に入れず、既存の統治機構を通して「間接的」に統治する他に選択の余地がなかった。マッカーサー元帥による「政府の上の政府」は命令の実行を日本の官僚機構に依存。そのため二重の官僚機構。
・(占領軍の)アメリカ人が去った後には日本の官僚組織が存続したが、それは戦争中よりも強力にさえなっていた。
・占領について「米国人達は“非軍事化及び民主化”という、樹木の根と枝の関係に似た改革プログラムを日本に押しつけた。それは独善的で、全く空想的な、あらゆる意味で傲慢な理想主義の、めったにない実例というべきものであった。
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日本の民主主義、自らの手で作った訳でない。今、壊される。だが抵抗力が僅か。参考『智恵子抄』「日本はすつかり変りました。すつかり変つたといつても、他力による変革で。日本の形は変りましたが、あの苦しみを持たない我々の変革を報告するのはつらいことです。
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「戦争しないとどうしようもない」発言で思い出したのは日露戦争時のトルストイの言葉「知識人は戦争の危険を冒さずに他人を扇動することのみに努め、不幸で愚かな兄弟、同胞を戦場に送り込んでいる。平和で勤勉な人々の間に憎悪の念を抱かせることに集中する。」
コメント
特定の人物を指すわけではありませんが、米国のサヨクというのは総じて、左からのグローバリストであり、しかもその盟主という立場ですね。しょせんおまえもアメリカンであることは、変わらんことよのう、と声をかけたくなります。
他国をどうこう言う前に、自国をどうにかしたらどうでしょうと。たとえば慰安婦問題なんか、日本にいろいろ言うわりには、自国の兵士が「戦後の日本や韓国だけでも」いかにひどいことをしていたか、ちっとは自己批判したらどうか。しかしかれらは、軍人の地位が非常に高い本国では、そんなことは言う勇気はなく、アメリカンを珍重する東アジアの田舎に向けて言うしかないのです。
それでも米国には率直にものをいう良き伝統があるので、ダワーは
「非軍事化及び民主化」について、「独善的で、全く空想的な、あらゆる意味で傲慢な理想主義」とゴマカシなく言います。それを日本の「下請けサヨク」が、さぞ素晴らしいことのように、日本語の美辞麗句に翻訳するわけですね。
ロシア自身が、「北方領土は戦争の結果ロシア領になった」と言ってるのに、「なぜ北方領土が日本領ではないかについての(ロシアにとってはまったく無用な)理論を構築する」なんてのもそのたぐいかと。
最近では、ダワーも指摘している「天皇制民主主義」。これを熱心に唱えているのは、「下請けサヨク」ですね。明仁天皇は素晴らしい、明仁天皇こそ民主主義で平和主義だ、明仁天皇は反安倍だ・・・・。日本共産党も、最近はこっちの感じじゃないのかな。よく知らないけど。ダワーは腹を抱えて笑ってるかもね。
ただしごく少数のホンモノのサヨクは5月1日もあいかわらず天皇制廃絶のデモをやっていた。主張はわたしとはちがいますが、ヒトとしては、わたしはこちらのヒトビトのほうがずっとまともだとおもいます。
>>5
イギリス、ドイツ、フランス、ポルトガル、スペインの国々が
好戦性を放棄しているとのことですが、そんなことは決してありません。
南欧2カ国はともかくとして、ドイツも微妙ですが英仏は列強時代の
本性は全く変えていません。
ソ連崩壊につけ込んでのベオグラード空爆、そしてマリ爆撃、ウクライナへの
干渉、デモ隊への資金バラマキ、結果としてのクーデター、
まあ、ゴロツキ国家の本質はそのままです。
>>8
確かに厳密に言えばなしさんのおっしゃる通りです。ただ、私が言いたかったのは、大英帝国時のシテイーの大金持ちと王家が企む金儲けのための戦争、ドイツについては、ナチスがウオール街の資金的バックを得てロシアに攻める戦争、そういうものからは遠ざかっているということなんです。ところが、安倍政権は靖国と旭日旗で自衛隊を再建しようと試みている。そこには英独とのコントラストが私の目にちらつくのですね。日米合同軍が星条旗に旭日旗を翩翻と掲げた時アジアの人々はどう見るのだろうか、自由と民主主義を掲げる解放軍と見るだろうか、みたいなことを考えて居るんです。
(ID:19005377)
ジョン・ダワー氏の分析は非の打ちどころがありません。じゃーどうすればよい?答えは非常に難しいのです。
日本の過去に於いて民衆が立ち上がって政治に異議申し立てたものの例はあまり多くありません。北陸で猛威を振るった一向宗の一揆と島原のキリシタンくらいですか。農工商は刀に従順でした。維新だって幕府が藩閥に代わったくらいで、庶民は政治的にはやはり従順でした。太平洋戦争でひどい敗戦を蒙ったが、庶民は占領軍を文句なく受け入れ、ひれ伏しているのです。最近起こったイラク戦争後のイラク国民とは大違いです。
官僚制民主主義だろうが、天皇制民主主義だろうが、矛盾撞着しているが、日本人の平均には何ら違和感はないのです。維新後、岩倉具視が廃仏稀釈を断行したが、二年くらいでぽしゃってしまっているのです。曖昧で矛盾に満ちて居る状況こそが日本人の政治では無いでしょうか。
今、日本人にとって大事なのは、米国に戦争させないこと、それが出来ないなら、その戦争に巻き込まれないこと、このことをあらゆる資源を使って推進することではないでしょうか。