A1 -事実関係1 実質賃金、大半マイナス 厚労省認める 昨年1~11月の実態値(朝日)
「毎月勤労統計」の不正調査問題で、厚生労働省は2018年1~11月の物価変動の影響を除いた「実質賃金」の前年同月比の伸び率について、実態に近い数値でみた場合に9カ月分でマイナスになる可能性があるとの見解を示した。大半がマイナスだったことになり、野党は賃金が上がったように見せる「アベノミクス偽装だ」
A-2事実関係2 統計不正問題 野党が賃金伸び率独自集計 大半マイナスに(NHK)
厚生労働省の統計不正問題をめぐるヒアリングで、野党側が去年1月から11月までの実質賃金の伸び率を独自に集計したところ大半がマイナスとなったことについて、厚生労働省は、景気指標としては野党側の集計方法が望ましいという見方を示しました。
野党側は、去年の1月分から11月分までの実質賃金の伸び率に
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毎月勤労統計をめぐる問題に関連して厚生労働省は三十日、二〇一八年の実質賃金が実際はマイナスになる可能性があることを認めた。この問題は厚労省が一八年に賃金が伸びやすいよう企業の入れ替えなどを行い、実際に伸び率が過大になって発覚した。
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コラム紹介:米国で、コルテス下院議員が70%富裕税、ウォーレン上院議員が高額資産保有者に2-3%資産税提言。現在米国では富む層がますます富み一般は停滞。ダボス会議参加者はこうした案を嘲笑。だが富裕層税率引き上げ要請は先進国の潮流になるかも。
コメント
あの「週刊文春」がやってくれました。最新号の特集「偽りだられるけの安倍晋三」「大本営発表に騙されるな! 徹底検証」とあります。これまではいくら厳しい批判をするにしても、決まって安倍晋三「首相」とか、安倍晋三「総理」とか敬称つきであったとおもいます。今回はついに呼び捨てで、多分、これは初めてのこと。これだけ国民の信頼を失っている安倍なら、「敵にまわしてももう大丈夫」との目算をつけてのこと。
同紙のこの特集、相当の影響力のある出来事となるのでは? これでアベ内閣の支持率がまだ落ちなければ、国民はよほどもうどうしようもない大馬鹿者か能天気ぞろい。
この問題は、だいたいこういうことだと理解しています↓
http://agora-web.jp/archives/2036996.html
この内容がよくわからない人は、まず語る資格がない。せいぜい冒頭の
「政局がらみの話ばかりだ。データの誤りが2004年からなのに2018年のサンプル変更ばかり追及しているのは、民主党政権にも責任がある時期を避けているのだろう。欠陥の原因を追及しないで、それを是正したことを問題にしても意味がない」
を繰り返し読んで、その上で、同じ池田氏のツイッター
「「安倍政権の陰謀」などと国会で騒ぐのはやめてほしい。データ修正で賃上げ率が下がったのは、2017年までの賃金が上がったからだ。厚労省が賃金を本来より低く出していたことを、陰謀論でどう説明するのか」
がどういう意味か考えてみるべきでしょう。
正当な批判ならすべきとおもいますが、政権批判できればなんでもいいというのは、賢く見えません。
この記事。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190201-00000017-jij-pol
安倍政権に批判的な記事ですが、最後のところ、「不思議なのは、権力を掌握している間に不正を見つけられなかった旧民主党の方々が、不正を見つけた安倍政権を叱り飛ばしていることだ」。わたしもそうおもいます。わたしは安倍政権をもはや消極的にも支持していませんが、さりとて、「旧民主党の方々」はまったく支持できない。
(ID:18367902)
現在の官僚は、高校で統計学の基本を学んでいないのだろうか。学んでいいなくとも、わかって行っている悪質な行為である。母集団の母数を変えては年度ごと比較資料としては役に立たないどころか、政策判断者が現在の政策の可否を間違えることになることを意識して操作しているとみるしかない。データの偽装化が官僚機構全体で進行しているといえる。
森友,加計問題における官僚忖度による財務省理財局において大幅な偽装工作が行われ、安倍首相は逃げ道がなくなり、最後は、お金の授受はなく、通常の政治家としての陳情対応と言って、現在まで逃げ回っている。
官僚の公僕意識を全面的に奪ってしまった官僚の俗世間化は、官僚人事が官僚側から、政府に握られたことにある。これは安倍首相一人の責任でなく、現在の有識者の劣化が大きく、社会をモラル重視が、個人の権利重視に大きく変わっていることに起因するのでしょう。
公共より個人の権利を重視すれば社会の規範は大きく変わり、今後あらゆるところで起きてくる。公共の定義を変えることなく個人の権利重視を進めれば、社会性のある人間が大きく変質することを意味するのであるが、この辺の議論が進んでいるように見えない。ただ、権利の野党の要求によって権利のみ、義務がないがしろにされれば、「自利利他」の人間性が薄れていき、欲求にのみ陥り、理性を働かすことのない動物化にまい進するのみでしょう。