多分、皆様は、「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 とおい空」の歌『夏の思い出』をご存知と思います。もし武田久吉なかりせば、「水芭蕉の花が 咲いている夢見て咲いている 水のほとり」と歌われる情景が残っていたか疑問なのです。
尾瀬は、武田久吉によって世に紹介されました。
武田久吉は日本山岳会の創刊号(明治三九年)『山岳』に、尾瀬について書きました。当時尾瀬は「山深くして路なく交通便のよかざるが故に、人の行くこと稀にその名世に現れず。。。。紀行として尾瀬に関するものは殆んどなし」という状況で、世には知られていなかったのです。
そして、尾瀬の魅力について次のように書いています。
・尾瀬ヶ原の一部は今我が目の前に展開されたり。ミズゴケのじくじくと湿りたる処にコミヤマリンドウの紫も唇綻ばせて、天を仰いで笑みをもらせる。この世のものとも思われず、、、
・行く手には燧ケ嶽の巍然と
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米紙ワシントン・ポストのライアン発行人兼CEOが大統領批判論評寄稿「大金積めば殺人帳消し」、トランプは如何なる理由があろうと、サウジとの武器取引で得る収入に勝るものはないとした。「基本的自由と人権擁護を捨てて世界を安全にできない」。
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重要論文紹介:米国社会、約半数が時々ないし常に孤独ないしのけ者にされて(“left out.”)いると感じている。世代ごとにこの感覚が増強。左右の極端なグループに「共同体」を見出し、「他」への軽蔑で「我々」意識増強。これを煽る「産業」。
コメント
また一つ大変興味深いエピソードを有難うございます。
武田久吉氏、今で言えば村田光平氏のような存在でもあったでしょうか。
尾瀬に行ったのは社会人になってからでしたが、ミズバショウの季節で余りの混雑に少々閉口した記憶があります。十数年前に再訪した時は至仏山からの眺望も最高で、高圧線・鉄塔等の興醒めする人造物が視界に一切無かったことにも大層満足しました。草紅葉が始まった頃で尾瀬ヶ原も人は少なく、散策も実に味わい深いものでした。
山も全く手入れがされなければ一般人はとても楽しめませんが、整備され過ぎ観光地化も度を超えると感動から程遠い場所となるでしょう。そのバランスが肝心と思いますが、その点でもスイスから学べることは多いのでないか。
一方では、いくら年を重ねてもおよそ「自然の楽園」などには何の価値も見出さない美意識ゼロの連中の餌食にされ続けているのが日本の山々だ。フクシマにも素晴らしい山がどれだけあることか。
Tips:
「孫崎享のつぶやき」-迷惑コメントを非表示にする方法━ウザ論!朝まで千日手!
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武田久吉の名前はうちにあった古い岩波写真文庫で知ったのが最初だった気がする。
尾瀬やその周辺は、友人の山登りにつきあって、主に大学生のときによく行ってたが、
尾瀬の範囲でいうと、燧裏林道を歩くコースがいちばん好きだった。
でも、どこも良いし、何度行っても飽きない。
いま、尾瀬が残っていることと、そのことへの先人の努力に限りない感謝を感じる。
それとともに、たとえば昭和23ごろの自然観や民生の状態のもと、あのあたりに
ダムをつくろうというのも、十分ありえた考え方であったろうとおもう。
日本は本来「家族主義社会」、「社会主義社会」であったとみなすべきでしょう。
大きな社会的転換は、高度経済成長を遂げ、日本は我が世の春を謳歌し、我々の気持ちが、互譲精神に富んだ精神文化から、我欲的物質文化に徐々に変質傾斜したことである。バブル崩壊後は、日本の方向付けができず、国民の不安が増し、お金万能が蔓延し、消費を抑え生活防衛し始め、預貯金に精出している。消費が増えるわけがないのです。
米国従属の中で、日本人としての矜持、精神的支柱が崩壊しており、「平和と戦争」は、「平和」と「戦争」が共存の中で成り立つという考え方を放棄し、「平和」の一点にのみ凝り固まっている。他国に干渉されない国土防衛を確保しなければ、歴史的に見ても「平和」が独立して確保できるものではないということが分からず、米国に政治的に押さえつけられながら、「平和憲法」にしがみついていては、対立した社会構造の中にあることが分からないため、日本の将来は見えてこない。閉塞感が漂っているだけである。米国の目的が成功しているともいえるのです。
従属意識が深まり、お金だけを信用する異常な社会の現出は、次にどのようなステップを踏むのであろうか。AIの本格的登場に対する確たる思想がないと、米国の次はAIが相手であり、恐ろしい人間社会が出てくるような気がします。
(ID:18982160)
あの広大な地域の自然を守るために尽力した武田久吉氏の努力や熱意は賞賛すべきですが、それを受け入れた当時の東京電力幹部たちの決断も大いに賞賛すべきだと思います。
あの土地は、東京電力が水力発電の貯水池をつくるために購入した場所でした。その構想を断念しただけでなく、自然保護活動の拠点として東電小屋という山小屋を作り、現在も自然を守り続けているのです。
原発事故を起こしながら、被害者への賠償をせずに国内最高レベルの給料を受け取っている、金儲け第一主義の現在の経営陣とは対照的です。