多くの国民は個々の案件では安倍政権の政策には疑問というのですが、「安倍政権を支持するか」の問いになるとどうしても「支持する」が多くなります。
合点がいかないのですが、私がしばしば」引用するレオン・フェスティンガー((米国の心理学者)の認知的不協和はこれへの回答の一つです。著書やこのブログで紹介しましたが下記に紹介します(『日米開戦の正体』より)
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レオン・フェスティンガー((米国の心理学者)は認知的不協和を唱えています。
「認知的不協和」論は、「複数(通常は二つ)の要素の間に不協和が存在する場合、一方の要素を変化させることによって不協和な状態を低減または除去する」というものです。
代表的な例として、「喫煙者の不協和」があります。
認知A、Xは喫煙をしている
認知B:「煙草を吸うと肺ガンになりやすい」と
コメント
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日本国民が安倍政権に騙されることを選択する理由は確かに認知的不協和論により説明されていると思うのですが、人類という種の本能に根ざしているのではないかとも思うようになっています。フランス16世紀の法務官エチエンヌ・ド・ラ・エボシが17歳の時に王侯の圧政に従順に従う農民たちを見て「自発的隷従論」を著しています。これを読みますと本能みたいな要素が「ひと」にあるのではないかと思わざるを得ません。狼という種が強い狼に従うという本能があって狼の集団行動が成り立っているとどこかの本で読んだことがあるんですけど、ひとも狼に似て居るいるのではないかと思います。
翻って、日本人の社会を観ますと、自然人、法人共に現在の政府が繰り出すアメとムチに実に正確に反応しています。そこには知性、理性の入る余地が全く無いように見受けられます。こういう現象を見せつけられますと東アジアの先行きに私は悲観的にならざるを得ません。
(ID:18471112)
「認知的不協和」論のご説明は解るのですが、「煙草を止める」タイプ、つまり孫崎さんタイプの人を増やすための処方は そこには無いわけですね?
反骨の元裁判官、瀬木比呂志氏の「絶望の裁判所」に下記の件がありました。
(トルストイの小説「イヴァン・イリイチの死」に言及した箇所で、瀬木氏は まるで日本の裁判官の世界を描いているかの如くと驚嘆されています)
-イヴァン・イリイチの官僚性は、一言でいえば、「事態を直視せず、物事の本質を避けて通り過ぎる」というその生き方にある。「何も問題はない。すべては順調である」かのように装い、そのように公言し続けることが、彼の生き方の本質である...頭のよい、そして表面的には感じのよい人間でありながら、彼の存在には、人々の心を深くゆり動かすような何か、存在の重みといったものが決定的に欠けている。
彼の本質は、装われたエゴイズムである...すべてを一般論の枠内で効率よく処理するのが彼のスタイルである。そうすることによって、彼は、さまざまな不快や不安をやりすごし、スマートで健全な法律家、裁判官という「役割」を無事に演じていられる...自己の悲しみを悲しみ、他者の悲しみを悲しみ、人生の最も厳粛な「何か」に触れる、そうした事態を回避し、洗練されたスマートさと自己満足に逃げ込むことによって、イヴァン・イリイチの生活は成り立っていた-
実際、官僚社会でなくとも、今や日本社会の大小さまざまな組織でこのようなタイプは沢山目に付く思われます。結局は それが(世論「操作」を差引いても)今だに多くが「安倍政権を支持する」原因ではないでしょうか。
(ID:19005377)
>>3
なるほど良く分かります。昔小生が所属した私企業にイヴァン・イリイチ・タイプが少なからずいました。「そつがない」
とか「まえ裁き上手」とか言われていました。侮蔑されるどころか、羨望の対象でもありました。