「認知的不協和」論のご説明は解るのですが、「煙草を止める」タイプ、つまり孫崎さんタイプの人を増やすための処方は そこには無いわけですね? 反骨の元裁判官、瀬木比呂志氏の「絶望の裁判所」に下記の件がありました。 (トルストイの小説「イヴァン・イリイチの死」に言及した箇所で、瀬木氏は まるで日本の裁判官の世界を描いているかの如くと驚嘆されています) -イヴァン・イリイチの官僚性は、一言でいえば、「事態を直視せず、物事の本質を避けて通り過ぎる」というその生き方にある。「何も問題はない。すべては順調である」かのように装い、そのように公言し続けることが、彼の生き方の本質である...頭のよい、そして表面的には感じのよい人間でありながら、彼の存在には、人々の心を深くゆり動かすような何か、存在の重みといったものが決定的に欠けている。 彼の本質は、装われたエゴイズムである...すべてを一般論の枠内で効率よく処理するのが彼のスタイルである。そうすることによって、彼は、さまざまな不快や不安をやりすごし、スマートで健全な法律家、裁判官という「役割」を無事に演じていられる...自己の悲しみを悲しみ、他者の悲しみを悲しみ、人生の最も厳粛な「何か」に触れる、そうした事態を回避し、洗練されたスマートさと自己満足に逃げ込むことによって、イヴァン・イリイチの生活は成り立っていた- 実際、官僚社会でなくとも、今や日本社会の大小さまざまな組織でこのようなタイプは沢山目に付く思われます。結局は それが(世論「操作」を差引いても)今だに多くが「安倍政権を支持する」原因ではないでしょうか。
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孫崎享チャンネル
(ID:18471112)
「認知的不協和」論のご説明は解るのですが、「煙草を止める」タイプ、つまり孫崎さんタイプの人を増やすための処方は そこには無いわけですね?
反骨の元裁判官、瀬木比呂志氏の「絶望の裁判所」に下記の件がありました。
(トルストイの小説「イヴァン・イリイチの死」に言及した箇所で、瀬木氏は まるで日本の裁判官の世界を描いているかの如くと驚嘆されています)
-イヴァン・イリイチの官僚性は、一言でいえば、「事態を直視せず、物事の本質を避けて通り過ぎる」というその生き方にある。「何も問題はない。すべては順調である」かのように装い、そのように公言し続けることが、彼の生き方の本質である...頭のよい、そして表面的には感じのよい人間でありながら、彼の存在には、人々の心を深くゆり動かすような何か、存在の重みといったものが決定的に欠けている。
彼の本質は、装われたエゴイズムである...すべてを一般論の枠内で効率よく処理するのが彼のスタイルである。そうすることによって、彼は、さまざまな不快や不安をやりすごし、スマートで健全な法律家、裁判官という「役割」を無事に演じていられる...自己の悲しみを悲しみ、他者の悲しみを悲しみ、人生の最も厳粛な「何か」に触れる、そうした事態を回避し、洗練されたスマートさと自己満足に逃げ込むことによって、イヴァン・イリイチの生活は成り立っていた-
実際、官僚社会でなくとも、今や日本社会の大小さまざまな組織でこのようなタイプは沢山目に付く思われます。結局は それが(世論「操作」を差引いても)今だに多くが「安倍政権を支持する」原因ではないでしょうか。