サムソン(イギリス大使館員として日本滞在三十年)著『世界史における日本』からの引用。
徳川政権の歴史は近代の影響が日本に及ぶのに抵抗しようとした歴史であったと言っても過言でない。家康をはじめ代々の将軍は日本人の生活を一つの型に固定させ、変化を防止しようと努めました。この試みは非常な決意を持って行われた。
信長と秀吉の建設的事業は中央集権のもとに日本の統一を目指したものでしたが、足利末期および戦国時代の耐え難い混乱ののちであったために一つの救いとして民衆から歓迎されました。家康が最後に覇権を握り、徳川氏は極めて鞏固な独裁を打ち立てることに成功しましたが、これは一部の外様大名が決して心底から協調しなかったのを除いては万人がほとんど感謝して全体主義的政治体制を受け入れた実例でもあります。
・徳川時代の日本政治において宗教は小さな役割しか演じなかったが、それは私のいわゆる新興諸学派(特に一向宗
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8の補足。
私がそう説明すると、友人の中には、中国の
軍事費の伸びが経済成長とリンクしているとしても
結果的に莫大となったのは事実だから、日本にとって
は脅威なのは変わらないというやつがいます。
それなら北東アジアで最も平和国家であり、他国に
脅威でないのは北朝鮮だと言ってやるのですが。
(ID:43050801)
>>8
pfさんの「奴隷のプロ」とは言いえて妙。私も、なるほど、と思いました。
和をもって尊しとすべし・・・ 多くの人は、この言葉が好きだ。私もだが。 ただ、「和」は言うべきことも言わない、日和見、隷属、という当面楽な方向に流れる。大体そうだ。特に権力が腐敗してきても、隷属していた方が当面安泰だから、あえて火中の栗を拾わない、猫の首に鈴をつけない。 権力に対抗する勢力を戦略的に育てよう、という位の考えが現在必要だが、そうはならない。
おしんの「しん」は辛抱のしん・・・「辛抱一筋」、演歌の世界。私も好きだ。これも実に日本人の性格にあっているのではないか?
日本には、政治の話で一晩中喧々諤々というような風土はできるように思えない。政治に関わることを避けよう避けようとする。避けないのは、自分の利害関係に直接かかわるときだけ、・・・が続きそうな気がします。
小学校~高校の主権者教育が大きく変われば将来何とかなるかも知れませんが・・
(ID:18471112)
以下、「絶望の裁判所」(瀬木比呂志著)からです-
日本の社会には、それなりに成熟した基本的に民主的な社会であるにもかかわらず、非常に息苦しい側面、雰囲気がある。その理由の一つに、「法などの明確な規範によってしてはならないこと」の内側に、「してもかまわないことにはなっているものの、本当はしないほうがよいこと」のみえないラインが引かれていることがあると思われる。デモも、市民運動も、国家や社会のあり方について考え、論じることも、第一のラインには触れないが、第二のラインには微妙に触れている。反面、その結果、そのラインを超えるのは、イデオロギーによって導かれる集団、いわゆる左翼や左派、あるいはイデオロギー的な色彩の強い正義派だけということになり、普通の国民、市民は、第二のラインを超えること自体に対して、また、そのようなテーマに興味をもち、考え、論じ、行動すること自体に対して、一種のアレルギーを起こすようになってしまう。不幸な事態である...日本の裁判所は、実は、「裁判所」などではなく、精神的被拘束者、制度の奴隷・囚人たちを収容する「日本列島に点々と散らばったソフトな収容所群島」にすぎないのではないだろうか?その構成員が精神的奴隷に近い境遇にありながら、どうして、人々の権利や自由を守ることができようか?みずからの基本的人権をほとんど剥奪されている者が、どうして、国民、市民の基本的人権を守ることができようか?これは、笑えないパラドックスである。