秋風が吹くたびに色彩が失せてゆく景色の中で、鮮やかな色を際立たせてくるのが果樹だ。
里山を歩けば民家の庭先ではおいしそうな照柿色や蜜柑色が、モノクロームにインクを一滴だけ落とすように加工した写真芸術みたいな光景を見せてくれる。
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コメント
(著者)
>>2
何かの本で、1000年以上続いてきた日本の原風景はたった50年で失われたと読みました。失われた暮らしの大切さと築き上げた都市生活の便利さ。そのどちらも見て来た僕は両方の良いところを選ぶことができるけれど、その片方しかない時代に生まれ育った21世紀の都会の子供たちはいったいどんな未来を作ってゆくんだろうとぼんやり思ったりします。
(著者)
>>3
バランスって大事なんだなあと、筋トレをしているときに一番感じます。右と左の筋肉のバランスが悪いことで歪みが生まれ、身体のあちこちに悪影響が出ます。バランスは本当に大事です。
(著者)
>>4
木で完熟したものを食べるのが一番自然だしおいしいんですよね。青いうちに果実をもいで人工的に完熟させながら遠方に運ぶ、という不自然な行為にも人間の身勝手さがよく現れているような気がしますが、「それっておかしいよね?」と言われても色んなことが複雑に絡み合って今更やめられないところまで来てしまっているところに問題の本質があるのかもしれません。
(ID:49659036)
私が生まれるずっと前に、両親と姉たちは兵庫県の丹波篠山に疎開していたそうです。その疎開先だったお家のかたが毎年秋になると松茸を送ってくださり、松茸が貴重品になると次は毎年栗を送ってくださるようになりました。秋になると母が作ってくれる栗ご飯や渋皮煮がすごく嬉しかった記憶があります。丹波篠山の松茸や栗なんて、今から思うとなんという贅沢だったんでしょう。夏には縁側ですいかを食べて、種飛ばし競争よろしく庭にすいかの種をぷうっと吹き飛ばすことをして遊んでいたら、その種がいつのまにか発芽していたりということもありました。そのころは大阪という都会でもささやかながら自然と触れ合う機会が結構あったのですが・・・。