丁寧に暮らすというのは、秋に半日近く掛けて栗の皮剥きをすることなのかもしれない。
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コメント
(著者)
>>4
「リトルフォレスト」映画も素晴らしいですよね。あれもまた新しい映画体験でした。
(著者)
>>5
昔は当たり前だったことが、失われつつあるからこそとても贅沢に感じるのは世の常なんでしょうね。生まれたときから携帯電話のある世代には今、文通が流行っているそうです。まあ、そういうものなんでしょうね。
(著者)
>>6
世代間の交流というのはとても大事だなと思いますね。知らなかったことを教わったり、逆に教えたり。できないことをやって貰ったり、逆にしてあげたり。そういうことのできるコミュニティが都会のマンション暮らしをしていた頃はなかったなと
思いますが、今は都会でもそういう繫がりが徐々にでき始めている話を「渋谷のラジオ」などでも伺います。どこで暮らしているからあるとかないではなく、時代が求めているか求めていなかったかだったんだなと思います。
(ID:48949659)
おはようございます。栗の皮むき、私も先日がんばりました。我が家では毎年「栗の渋皮煮」を作るので、渋皮を残して鬼皮だけをむきます。ちょっとでも渋皮に傷を付けてしまうと、途中で煮崩れてしまうので、その栗は「栗ご飯用の栗」に降格。なかなか精神修養になります。丁寧に丁寧にむいた栗を、重曹を加えて一時間、水で一時間、砂糖を入れて一時間煮ます。ことこと煮込まれる栗の横で過ごす三時間は、いろいろと物思いにふける事のできる貴重な時間です。出来上がった渋皮煮を食べながら、今年もまた「我が家の年中行事」が無事に出来た幸せを感じました。誰かがむいた栗と、自分がむいた栗とでは、何だか味が違う気がするのは、気のせいですかね(笑)