僕は人生において犬や猫を始めとするペットの類を飼ったことが一度もない。物心ついた頃には近所に野良犬が一匹や二匹はうろついていて「噛まれると狂犬病になるよ」と脅されていた時代だった。実際野良犬に追い掛けられ怖い思いもした。飼育小屋の鶏が檻を破った野良犬に食べられた現場を目にしたこともある。だから犬や猫を飼いたいと思ったこともなかったし、そもそも飼おうにも団地住まいで飼える環境でもなかった。
ここから先は有料になります
ニコニコポイントで購入する
チャンネルに入会して購読する
- この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
コメント
(著者)
>>3
人間は誰もが自分の幸せを願うとき、他人に対してはある意味無責任なエゴのかたまりになるんじゃないでしょうか。批判もあるでしょうけど自分自身が批判に耐える覚悟があるならばそれでいいんだとも思いますよ。
友だちがコンビニの前に箱に入れられてドロドロになっていた子猫を育てています。保護したときは病気で、瀕死の状態だったようですが、3年経った今は元気なヤンチャ猫になっています。
保護したとき、この子を育てると覚悟したといいます。命を全うするまで共に暮らし共に生きる、そうでなければやはり飼うということはしてはいけないのではないかと私も思います。可哀想という同情だけでは共に生きる共に暮らすということは出来ないのが動物なのですから。
(著者)
>>6
そう思いたいんですが、海岸にパーベキューのゴミを放置したり煙草をポイ捨てしたり、禁止されている河川敷でゴルフをしたりしている人たちを見ると、利己的で無責任な人間に他種の命を「飼う」なんて重大な責任が果たせるのだろうか。そういう命から癒やしを貰ったりする権利はないんじゃないだろうか、と思ってしまいます。
(ID:40550375)
死んでしまった野良猫やハトを、
畑の隅に友人と埋葬していました。
小学生の頃、畑のおじさんは、
隅っこだけやで、と、
許してくれました。
見知らぬ猫を、
木の根元に埋めていた母を
覚えています。
大切なことを学んでいたのかもしれません。
犬を飼っていましたが、
近所からもらわれてきた子でした。
今も仏壇の下の隅っこに
写真を飾って拝んでます。
ペットと暮らすことを
否定するわけではありませんが、
ペットショップのあり方は
かわるときが近づいていると思います。
震災などで行き場を失ったペットについては、
中学生の教科書でも話題として
取り上げられています。
変化は少しずつはじまってますよね、きっと。