土曜日、ある酒宴に招かれて東京品川の武蔵小山に向かった。かつて母方の祖父母が暮らしており、子供の頃によく訪れた下町だ。
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コメント
小原信治
(著者)
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>>3
10代を過ごした、そしてずっと出たかったHOME TOWNには今や実家もなくなってしまったので帰る理由もなくなってしまいましたが、近い将来感慨深く見つめ直す日が来るのかもしれませんね。どんな理由で足を運ぶことになるのか今はまだ想像もつきませんが。
懐かしき思い出の街の面影、今はなき昔の姿。
でもお祖父様が変わりゆく街を次の世代に繋いで欲しい、そういう思い出小原さんわお呼びになったのかもしれませんね。
小原信治
(著者)
(著者)
>>7
どういうかたちであれ、何千年も前から受け継がれて来た土地の営みを次の世代に受け継いでいく為に必要な進化だと信じたいですね。
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(ID:12621227)
なんだか、読みながら涙を必死で堪えてしまいました(通勤電車の中で読んでいます)
思い出の場所が変わってしまっていると、
なんとも言えない気持ちになりますよね。
そこに暮らす人にとっては、便利になったり、新しくなったりしたほうがいいのかもしれなくても。
私も祖母の実家のあるまちに20年近く行っていないですが、何回かその路線に乗り祖母の家の最寄り駅を通過したとき、工事をしている様子を見て、寂しくなりました。
祖母の家も亡くなった後建て替えられて、
今はおば一家が住んでいるのですが、
その新しい家を見たら、自分の子供の頃の思い出が壊されたように感じてしまいそうで、怖くて行くことができないままでいます。
「場所」に呼ばれたのか、そこにあるであろう、おじいさんとおばあさんの魂?に呼ばれたのか、
このタイミングで、懐かしい場所、小原さんのルーツのような場所(でいいのでしょうか?)に行けたこと、
なんだかすごく、せつなくてあたたかいなぁ、と、思いました。