久野です。
2月15日は戦前~戦中期を代表する経済学者、河合栄治郎の命日です。
毎年この日は河合栄治郎研究会
(会長:川西重忠桜美林大学教授)があるので、
私も昨年に引き続き参加しました。
午前中は有志による青山霊園での墓参会、
午後に桜美林大学四谷キャンパスで研究会が開催されます。
研究会代表の川西重忠桜美林大学教授の開会挨拶のあと、
以下の報告がありました。
○ 湯浅博産経新聞論説委員「河合栄治郎の現代的意味」
○ 行安茂岡山大学名誉教授「河合栄治郎の『自我の成長』とその課題」
墓参会から御一緒させていただいた行安氏は
戦前生まれ世代なので
「昨日はパレンバンの落下傘降下記念日でしたよね、
あの戦いの経験者を取材しに岡山に伺ったことがあります」と話を振ると、
「実は私のいとこがパレンバン征ってんだよ、
僕も小さい頃から『空の新兵』歌うのが大好きでね」とおっしゃいました。
そしてこのたび産経新聞での連載をまとめて
『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(産経新聞出版)を出版された湯浅氏には、
論文を同封した手紙を先日お送りしたばかりでした。
開会前に湯浅氏と名刺交換させていただいた際、拙論も読んだということで
「もっと早く(連載前に?)送ってくれたらよかったのに」と言って下さいました。
御世辞かもしれませんけど、たいへん光栄なことです。
同封した学術論文は、4年前に『国際研究論叢』に書いた
「支那事変における河合栄治郎の国際情勢認識
-他の自由主義知識人との危機意識の相違を踏まえて」。
河合が戦争賛美に転向したわけではなく、
また「議会主義」を標榜していたゆえに
仕方なく戦争継続を是認したわけでもなく、
コミンテルンの浸透による「支那の赤化」→「日米離間」
を喰いとめるために毅然たる対応と早期解決を主張した
ということを実証的に論じたものです。
念のため――私の本来の専門は
支那事変(いわゆる日中戦争)期の政治外交とその背景思想で、
大学院の学位論文のテーマも
(当時ほとんど知られていなかった)昭和研究会でした。
戦後の反戦平和主義の風潮の中で河合の思想・主張は曲解され、
弟子筋によってすら歪曲され、
単に「自由主義者」「民主的社会主義者」と評されるに至りました。
それはただ河合だけの問題ではなく、
支那事変の発生&長期化の原因を
“軍国主義日本による侵略”の一言で片づけてしまう現況につながっています。
自虐史観を含む戦後レジームからの脱却に向けて、
河合栄治郎について大々的に取り上げた湯浅博氏
そして産経新聞の慧眼に敬意を表します。
さて今週の「久野潤チャンネル」では、
そうした歴史戦の最前線で奮闘して下さっている
山岡鉄秀さん(Australia-Japan Community Network(AJCN)代表)
をゲストにお迎えしています。ふるってご覧下さい♪
( 久野 潤 )
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