まもなく迎える2月11日の紀元節(現:建国記念の日)は、
神武天皇(イワレヒコ)が日向を発たれて「東征」ののち
大和の橿原で初代天皇として即位あそばされたことを祝う日です。
当然この日には、我が国が伝承によると
2600年以上続いてきたことに対する感謝も込めなければなりませんよね。
という社団法人主催の公開講座で
毎月『古事記』や歴史に関わる話をさせていただいています。
そこで神武東征についてお話しすることもありますが、
出発点の美々津と終着点の橿原以外のゆかりの地は、
恥ずかしながらまだほとんど訪ねたことがありませんでした
(あとは宇佐、熊野それとナニワくらいでしょうか)。
ところが2月11日を目前にして、立て続けに往訪の機会が♪
福岡れきべんのついでに、昨日は県内の神社調査で
遠賀郡芦屋町に足を延ばしました。
そこでお話を伺った宮司が兼務している
ということで御案内いただいたのが、神武天皇社。
こちらは即位前のイワレヒコが宇佐の次に立ち寄られ、
1年ほど過ごされた岡田宮の伝承地のひとつとされています
(正確には当地遷座前の鎮座地)。
境内には紀元2600年にあたる昭和15年建立の
「神武天皇聖蹟崗水門(おかのみなと)顕彰碑」があり、
現在の社殿は平成5年の神宮式年遷宮の古材だそうです。
そして知り合いの元自衛官の方が
「広島へおいでのときにはご一報下さい。ご案内します」
と言って下さっていたのに甘えて、
福岡からの帰りの本日は安芸郡府中町の多家神社に参拝。
イワレヒコが岡田宮の次に7年間滞在した
多祁之宮(たぎりのみや)伝承地として知られ、
やはり明治43年(紀元2570年)に
「神武天皇東征御留蹕霊地」碑が立てられました。
最近は欧米風の思想の影響で
“結果が大事”と思われがちですが、途中経過もしっかり見ておかないと・・・
などと考えてしまう今日この頃。。。
今週の【久野潤チャンネル】では、途中経過も含めて神武東征と、
それが2千数百年後までどのように伝えられてきたかについてお伝えします。
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