この年に印象深い食は、東京よりも関西に多かった。小沢さんとの縁で、会社を退職して以来、大阪に行かない月はなかったのだ。
九十三年は伊勢神宮が二十年に一度の式年遷宮年だった。正殿を始め御垣内の建物全てを建て替え、殿内の御装束や神宝を新調してご神体を新宮へ遷す大祭なのだと伊勢参りに誘われた。
「赤福のお店に連れて行ってくれるなら、行っても良いわよ」と、返事をしたら小沢さんは「御易いご用だ」と言った。
赤福の本店の座敷がある茶店で食べた赤福は、徹さんがお土産に買ってきてくれたものと同じ味がした。
初めて上方落語を生で聞いた。小沢さんが、桂米朝の独演会に連れて行ってくれたのだ。
「私ね、米朝より、弟子の枝雀の高座を見たいの。実家にテレビがなかったから、お正月はラジオから流れる小さんの『御慶』を聞いて始まるのよ。甲高い『御慶! 御慶!』って言う八五郎の声を聞くと、清々しい気分で一年が迎えられる。富が当たる運の良さとか、おめでとう、おめでとうって言葉を交わすところとか、お正月の雰囲気が出て、とても気持ちが良いでしょう。他の噺家が演ると、富の用語説明とか長々とするけれど、小さんの落語は省筆の美しさのようなものがあると思うの」
「確かに、いかに説明しないかっていうのは、小さんの落語のポイントだな」
「そうよね。小さんは少ない言葉で、情景を描く天才よ。お正月に上方落語の番組があって、偶然聞いたのが桂枝雀の『代書』と『一人酒盛』だったの。ちょうど父が、祖父の代書屋を手伝い始めた頃で、枝雀の代書を聞いて、父はそういう仕事をしているのかって知ったのよ。早口の大阪弁が聞き取れなくて、あとからテープで聞いたの。父から、『これは今の大阪弁と違う昔の大阪の町言葉で、それを流暢に操るのは凄いことなんだ。枝雀は、笑いがどこで起きるかという点に視点を定めて、独自にサゲを四つの型に分類したり、緊張と緩和が笑いを生むと理論を追求する研究熱心な噺家なんだよ』って聞いて、高座で客を爆笑させる大らかで陽気な枝雀は、仮面を被っているのか、大人はわからないものだなあって思ったわ。物事を何でも分類して、笑いに応用するなんて湿っぽくて陰気でしょう。高座との二面性が興味深くて、枝雀の持ちネタ六十をテープで何回も聞いたのよ。代書はまくらまで覚えてるわ。『一人酒盛』は、圓生が有名でしょう。でも、私はあれが好きじゃなくて、小さんの一人酒盛を聞いて、こんなに面白い噺だったのかって思ったの。小さんが六十半ばで覚えた噺だからか、一つの演出に固めていなくて、どの音源も展開が違うのも面白い。上方とは熊さんの了見が違うんだなあ、同じく上方が原典の『猫の災難』も、後味の悪い嫌らしい噺だけど、小さんが演ると、ほのぼのとした雰囲気が出て聞いていて楽しいから、私は東京の落語が好きなんだなあって思っていたの。そこで枝雀の一人酒屋を聞いたら、緻密な演出で、鋭角的なのに面白かった。小沢さんに借りたビデオで、落語を映像で見て、小さんの一人酒盛で熊さんが呑んでいる時にお酒の匂いを感じたり、猫の災難で一杯ずつ呑んでいく間の表情の移り変わりや酔って気持ち良くなっていく様子に感動したの。試し酒の演出の細かさは、音を聞いているだけではわからなかった。五杯のお酒を呑んでいる間はセリフがないし、テープで聞いていると最後の一杯しか呑む音を出さないから、映像を見て、初めて面白さがわかったのよ。強情灸で一瞬のうちに顔が真っ赤になったり、白く戻ったりするのも映像で見るまで知らなかった。体を動かさないで熱くて困ってる人を表現しているとは音だけじゃわからない。やっぱり落語は仕種や表情を見ないと面白さの半分しか伝わらないのよね。落語は寄席に行ってライブで聞かないと、本当の面白さは感じられないって実感したわ」
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