礼讃

礼讃・第64回「家庭裁判所の審判」

2015/01/15 13:00 投稿

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やっと1994年(平成六年)に入ったこの原稿を書いているのは、2013年(平成二十五年)の五月。

大相撲夏場所十二日目で二十六歳の稀勢の里が日馬富士を寄りきりで破り、二十八歳の白鵬と共に、全勝をキープした。翌日、全勝同士の取組で、左四つがっぷりになり、両者とも右上手を引きつけ合い、白鵬がすくい投げで仕留めた。白鵬の右肩にもべったりと土がつき、稀勢の里が土俵の上に仰向けに転がされたまま、宙を見つめている姿をラジオの実況中継で聞きながら、私は原稿を書いていた。


 拘置所に来てからというもの大相撲が楽しい。


親切な男性が、プロ野球選手名鑑を贈ってくれたが、如何せん私は野球のルールも知らないし、試合時間が長過ぎる。野球選手のコメントがつまらないというのも興味を引かない一因だ。


親方と言えば、なめだるま親方の島本慶か銀玉親方こと山崎一夫しか思い浮かばなかった私が、今では、宮城野部屋や鳴戸部屋親方の発言に耳を傾けている。


私は力士の言葉が好きなのだ。四十一場所続けて外国人力士が優勝している春場所では、東横綱日馬富士を突き落とし、金星を奪った平成生まれの高安が


「体勢が悪かったけど、諦めなくて良かったです」


と、インタビュールームで語った。


連日大関を破った小結・妙義龍は、「荒れる春場所を演出していますね」と言われ「してないっす」と、満面の笑みで答えた。


まだ大銀杏の結えない二十四歳の平幕千代大龍は、左肩を横綱の顔面にぶち込んだ直後に得意の引き技を出し、横綱初挑戦で初金星を成し遂げ


「みんなビビってるだけじゃないっすか? 自分は搗ち上げとかやりますよ」と言った。


日体大主将を務め、学生横綱にも輝いた実力のある彼は、相撲教習所の授業を休み過ぎて規定の半年で卒業できず、


「十月も来なさいと言われました。一日も休まず行きます」と宣言し、無事十一年一月に九重部屋に入門したという伝説を持つユニークな力士である。


気の強い明月院のような力士もいれば、毎場所、新聞記者に「ねえ、全部負けると十両に落ちちゃう?」と、逆質問する弱気な臥牙丸のような人もいるからたまらない。グルジア出身の二十六歳、幕内最重量二百六kgの彼は、


「こんな体じゃ彼女もできない。この目方は人としてどうかと思う」


と体重を気に病み、勝ったのにクヨクヨしたりする。


体重問題は他人事ではない。私は遂に羊羹断ちを決めた。佐野眞一が飼い犬に手を咬まれ、ジャーナリズムを殺した。巨人は虚人だと話題になっていた時分のことである。

 

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