夏休みに受けた全国模試で初めて偏差値の平均が七〇を超えた。右手の中指にペンだこができていた。志望していた青山学院と玉川大学がA判定になり喜んでいると、父が、早稲田か慶應を受けたらどうだ、今の成績ならいけるだろう、と言ってきた。
第三志望は、ミッション系で雅也君の友達も多く通っているという上智に決めた。キャンパスが駅の傍で、迎賓館や皇居が近いから、都心でも緑が多いというのが魅力だった。
その後も志望校はA判定で、合格圏内と記された模試の結果を見ながら父は言った。
「大学生になるということは自分の意思で学びたいことを決めて、思う存分勉強できる有意義な時間を持つ権利が与えられるということだよ。自分と同レベルの友達と出会えるのも、花菜にとっては初めての経験になるだろう。東京にいれば一流のものに触れるチャンスがたくさんある。花菜のような子は一度は東京で暮らしてみるべきだろう。今は自分が通いたいと思う大学に合格することだけを考えなさい。その為の応援は惜しまないから」
町で知り合いに会うと必ず、花菜ちゃん勉強頑張っているんだってねえ、凄くいい成績だってお母さんから聞いたよといわれるようになり、寒気がした。別居の原因はおくびにも出さず、娘のテストの点数を自慢気に吹聴する母にぞっとした。
西の祖母は、アピオスという芋を食卓に出すようになった。脂質はさつま芋の十三倍、カルシウムはじゃが芋の三十倍、ナトリウムは十倍という優れた栄養食品で、古来から強精食とされてきた芋だという。
強精食というので徹さんに食べさせたら効果覿面で、私は腰砕けになった。
秋の気配が見え始める白露の頃に、お兄ちゃんが千葉の生落花生を送ってくれた。塩茹でした生落花生の美味しさといったら、この世のものとは思えなかった。
アピオスと生落花生の食べ過ぎで、鼻血を出した。
一九九二年は、所謂就職氷河期元年と呼ばれ、一九八四年以来八年ぶりに求人倍率が一倍を割り込み、女子学生はかつてない厳しい就職戦線に晒されていたというが、就職組の生徒の事情は私にとっては他人事でしかなかった。ひたすら毎日、勉強を続けていた九月、お兄ちゃんから千葉産の梨が送られてきた。
スナック菓子は滅多に口にしない私が、レンタカーの助手席やカラオケボックスで、カールを食べるのを見て、徹さんは播磨屋の「朝日あげ」という丸い揚げ煎餅をお土産に持って来てくれた。御園菊と月兎の生菓子と、朝日あげを交互に食し、いつまででも食べていられるわ、どうしよう、と本気で困った。
十月はカラオケレパートリーにドリカムが加わった。私は『決戦は金曜日』と『晴れたらいいね』を部屋で毎日歌い、徹さんが会いに来るとカラオケで熱唱した。
年に一度だけ丹波から送られてくる立派な松茸で作る松茸ご飯の日は、茶碗蒸しにもお吸い物にも松茸が入り、縦に裂いて網焼きし、ぽん酢をかけた三つ葉の和え物が特に美味だった。
寒露の直後にやって来た徹さんにも、祖母の松茸ご飯をおむすびにして御馳走した。
徹さんは小料理屋で出されたはらわた漬けの秋刀魚が旨くて日本酒が進んだ、と言う。徹さんは、発酵させたものや、塩蔵、熟成させた熟れ味のものが好物だった。彼が熟れた味を好むというだけで、大人の魅力を感じて、ぽおっとなった。
私が徹さんの手土産の栗鹿の子と紅葉の生菓子を喜んで食べているのを、彼は温かい眼差しで見守ってくれた。
外は寒くなってきたので、野外やカーセックスはしなくなり、私達は専ら郊外のカラオケボックスとホテルで繋った。柔軟性と可動域を意識したエクササイズをするようになってから、体の深部で、彼の力を完全に吸収している感覚があった。攻められても崩れない安定感のある体になっていることを、彼も感じているようだった。骨盤と膣を意識していると、体に軸ができ、背筋が伸び、姿勢も良くなるので見映えがする。
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