「彼らとの諍い」  2014年4月17日

  事の発端は、青木理さんの言動だった。

 支援チームの彼らは、青木さんが様々なメディアで私に対し興味がない、全く食指が動かない、面会の提案はその気になれないと発言していることにいきり立っていた。
 そもそも私は「誘蛾灯」で青木さんに「全く興味をそそられない」と書かれた人間ですから、ブログも彼のアンテナに引っ掛かるとは思っていなかった。

 私は、日本の刑事司法の報道において彼がジャーナリストとして堅持している姿勢と著書の面白さを素晴らしいと評価しただけなのに、私が異性だからか予想もしなかった方向でマスコミを賑わせる形となってしまった。
 私は熱いラブコールを送り、猛アプローチしたが、青木さんに断られ失恋したことになっているらしい。実際のところ、私は彼に手紙を送ろうと思ったことはないし、誰かに面会のセッテイングを依頼したこともないのだけれども。

 控訴審判決後、私の支援者たちは激怒した。青木さんが傍聴に来たことに、である。

 興味がないという事件の裁判をなぜ傍聴するのか。

 被告人が自分に好意を持っていることはマスコミでも話題になっており、自分が姿を見せれば取材されるであろうことがわかっているのに、のこのこ現れ、否認事件で極刑を下された被告人を貶めるようなコメントをすることが信じ難い。

 拘置所に勾留されている被告人の心情を全く理解していない。

 青木氏のコメントを知った佳苗さんが自殺したらどうしてくれるんだッ!許せんッ!

 と声を荒げる人もいて、私は控訴棄却からの1ヶ月以上、彼らとの諍いに疲弊した。

 上告審の弁護団をどうすべきかという重大なテーマと共に青木さん問題にケリがつくまで1ヶ月以上かかってしまった。

 2審判決前にも、ちょっとしたいざこざはあった。私がブログで青木さんのことを「褒め過ぎ」だと注意されたのだ。
 ブログのパソコン入力は外部に委託しているが、編集は一切頼んでいない。タイプミスはもどかしい問題だが、文責はすべて私にある。
 彼らはまだ世間にブログの存在を知られていない時期に、削除した方が良いと思われる箇所をいくつか私に指摘した。私はある一文だけ削除に応じた。

 この一文を削除したことを青木さんが気付いていたと、ある出版社経由で教わり削除の意図を尋ねられ驚いた。興味がない人のブログを2度も見る?

 それはともかく、彼らは私の心情に差し障りがあるからと青木さんがコラムを書いている雑誌やインタビュー記事のプリントなどの差し入れを止めてしまった。
 これが諍いのきっかけで

「そんな制限をされたら私は正しい視座を持てなくなる」
「あんな三流ジャーナリストのことは考えない方がいい」
「彼が三流かどうか判断する材料を与えてほしい」
「見聞きする価値のない情報もある」
「このブログを開設するきっかけになった青木さんの情報は今後もフォローしたい」
「青木氏は佳苗さんが思ってるほど男前じゃないよ」
「は?私は青木さんのことをカッコイイとは思ってませんけど」
「そうなの?テレビや週刊誌じゃ佳苗さんはイケメンジャーナリストに恋してることになってるよ」
「はぁ……私は容姿だけで好きになったりしませんよ」

 と大議論。

 トップの判断で青木さん情報を差し止められたのに年下の彼に頼み内緒で雑誌を郵送してもらったことがバレて、もう大変な事態に。ブログの更新までストップして一悶着ありました。
 私はもう 「嘘をつくための特別な独立器官」が退化したので、隠し事も下手になってしまった。

 誤解をとく為に、私が青木さんを知った経緯を話した。

「12年の初夏のことなんですけど、知り合いが、死刑事件を多く請け負う弁護士のドキュメンタリー映画のパンフレットを送ってくれたんです。そこに『抵抗の土嚢』っていうタイトルで寄稿されていた文章で初めて青木さんを知ったんですよ。本当に読ませる文章で、こんな考えを持ったジャーナリストがいるのかとびっくりした。今でも覚えているんですけど

『うんざりするような事件報道の洪水の前に少しでも抵抗の土嚢が積まれることを望む』

 と書いてあったんです。私がブログを書くのは、抵抗の土嚢を積む行為だと思っていることを理解してほしい」

 彼らは一応納得してくれた。

 それから届いた青木さんのコラムに「ブログに綴られた軽口の文章」と書いてあるのを読み、パパの懸念も一理あるな、と思ったね。泣きそうになったもの。
 土嚢のつもりが軽口扱いされているなんて。こうして書くことも未練がましいと思われるんでしょうな。パパの言うこと、正しかったよ~。私、青木さんの言葉に落ち込んじゃったよ~。

 揉め事の真っ只中に知り合ったアメリカ人から「Dear Miss. Kanae Kijima,」から始まり「Your friend,」と手書きサインで終わるエアメールが届くたび、癒された。
 英和辞典の差し入れを頼んだ年上の彼が「和英辞典も必要でしょう」と言ってくれた優しさにも感動した。何と彼はロサンゼルスでの勤務経験があるというではないか。

 やっぱり男性は複数キープしておくべき!


「週末の食事と神様」  2014年4月20日

 文春新書の「サバイバル宗教論」を呼んだ。佐藤優さんの著作である。
 このところ多忙でして、送ってくださった方にお礼状も出せず失礼しています。
 読みました。お心遣いありがとうございます。

 禅宗寺院として有名な京都・相国寺派の僧侶100人を前に語り下した講義録なのだが、同志社大の神学部で学んだプロテスタントのクリスチャンである佐藤さんがお寺で話をすること自体画期的でしょ。

「前科一犯の佐藤優です。よろしくお願いします」という挨拶から始まるのですが、お坊さんたち、クスリとも笑わなかったと思う。佐藤先生のお話は無茶苦茶面白いんですよ。しかし、一般人が聞いたら爆笑するところでも、厳しい修行を積んだお坊さんはぴくりともしないんでしょうね。そういう空気感のある講義です。
 質疑応答でお坊さんが問う内容に驚きました。宗教の自立に自覚的で国際情勢や現実問題にも意識が高い宗派らしい。論壇誌をしっかり読む習慣がある匂いがします。
 既成宗教を今日学ぶ意味を、現代の様々な危機は第一次大戦以来の啓蒙主義の危機の反復であると考えた時、既成宗教の内側と外側の世界の橋渡しとして役立つ一冊。

 神様の話はともかく、この本で何と、東京拘置所の食事の話題が出ていました。
「実は、拘置所の食べ物はおいしいのです」 と禅僧に話してる。脱税で捕まった野村沙知代さんと「なかなかおいしいわね」とか「食べ物は悪くないわね」という話で盛り上がるというのです。
 民間企業が運営に参加している栃木の喜連川社会復帰促進センターで服役していた鈴木宗男さんも「東京拘置所のほうが食い物うまいぞ」と言うんですって。

 佐藤さんが「土日は、面会などの時間がないので囚人のストレスがたまりますから、甘いものとかおかずが一つ多い。そうすると、土日はなんとなく楽しい」とおっしゃっていた。

 私はそんな風に考えたことがなくて、ちょうど日曜の午後にこれを書いているのでこの2日間の食事を振り返ると確かに、プリン、冷製りんごのシロップ煮、さつま芋の甘煮、温かいスープのような甘い金時豆、ピーナツペースト、ホイップクリームと苺ジャム入りオムレットケーキといった甘い物が出たし、おかずも1品多かった。

 この献立は、本当に面会が出来ないストレスを考慮してのことなのだろうか。埼玉の拘置所にそういう配慮はなかったけれど。パン食は平日しか出なかったし。東拘では平日にも甘い物はよく出るし、1品多い日は週末に限ったことではない。この10年で進化しているということだろうか。

 府中刑務所に服役していた人が手紙で、パン食は週4回、夕食に出たと教えてくれた。それでも受刑者アンケートではパン食が少ないという意見の方が多かったという。規模は東京拘置所とほぼ同じなのに、この差はなんなのだ。
 私は週4で府中のコッペパンが出されたら食事の不満はなくなるね。

 佐藤さんが連載している雑誌を一通り集めたら、袋とじには「伝説の裏ビデオ50選 無修整AVの禁断シーンを全て見せます!」、紙面の半分は風俗とAV情報という1冊があり、私は「ニッポン有事!」を読みたいだけなんです……と心の中で言い訳しながら袋とじを定規で開けました。
 そんな頁は見てない素振りで阪神タイガースファンの彼に「我が心のプレイヤーアンケートで最強助っ人の1位がランディー・バースだったんだけど、助っ人部門にランクインしてる外国人選手って皆太ってるわよね」と言ったら、神様に何てこと言うんだ、バース様に失礼だと叱られた……。

 思わぬところに神様が。