後藤和智の若者論と統計学っぽいブロマガ
第46回:【思潮】「悪意」の源泉はどこにあるのか?――森達也『クラウド増殖する悪意』を批判する
「第8回東方名華祭」(2014年3月30日、ポートメッセなごや)のサークルペーパーとして配布した記事です。
今回取り扱うのは、映画監督・森達也氏の新著『クラウド増殖する悪意』(dZERO、2014年。ちなみに同社は亜紀書房の一部門が独立してできた出版社だそうです)です。
森氏の言説には雑誌やインターネットの連載コラム(ダイヤモンドオンラインの「リアル共同幻想論」)などでたびたび見ていましたが、本格的に著書を読むのは高校生のときに『「A」――マスコミが報道しなかったオウムの素顔』(角川文庫)を読んで以来だと思います。というのも最近の森氏の著書は、2003年の『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい。』(ちくま文庫)や、『世界が完全に思考停止する前に』(角川文庫)などと言った、ほぼ同内容のコラム集が多く、食傷気味になっていました。最近は先に述べたネット上のコラムがツイッターのタイムライン上に流れてきたら読む程度でしたが、このたびの新著をたまたま手に取ってみると、森氏の言説に対して私が感じた疑問について書いておいたほうがいいかな、と思い、このたび書くこととしました。
森氏の主張はほぼ一貫しており、我が国を「集団化」というものが覆っており、特に1995年のオウム事件、2001年のアメリカ同時多発テロ、2002年の小泉純一郎首相(当時)の北朝鮮訪問、そして2011年の東北地方太平洋沖地震によってそれが強化されている、というものです。私は以前から、森氏のこのような主張に対して、「集団化」というものを象徴的に捉えすぎていて自らの言説を省察することを欠いているのではないか、と考えてきました。例えば「ポリタス」の2月9日都知事選特集の記事にも森氏は寄稿しており、そのタイトルは「集団化が加速しつつある現状においての都知事選の意味」ですが、中に書いてあるのはほとんど内輪話で(もちろん内輪話そのものに意味がないとは言いませんが)、自分にとって都合のいい話を集めて「社会はこんな危険な状況に陥っている」というものを演出するものにしか見えませんでした。
さらに言うと、森氏は本来であれば、少なくとも客観的な研究の引用によって節を補強すべきところですらもほとんど論証なしに論じているのです。
この部分だけ見ても、1・「アンダードッグ」から「バンドワゴン効果」への移行、2・《社会全体に「勝ち馬に乗れ」的な意識が強くなった》こと、3・《この国は世界で最もベストセラーが生まれやすい国との評価》、の3つについて論証(少なくとも客観的な研究からの引用)が必要となるはずです。しかし森氏はそれを拒否しているのか、それを示す資料を提示しようとはしていません。これはどういうことなのでしょうか。
さて『クラウド増殖する悪意』に戻ると、確かに森氏の主張には頷けるところもあります。しかし、森氏は根本的なところで、まさに森氏が問題視するような「悪意」と同様の思考を持っているとしか思えないのです。
結論から先に言うと、その思考とは「差異化」「少数派意識」「(本質主義に基づく)劣化言説」です。まず「他者」を自分とは「違う」存在として切り離し、そして自分はその「他者」の思考によって迫害された少数派だと考える。そしてその「他者」に対して本質的に劣っており、その原因を自分は知っている、そして「彼ら」は知らない、という考えに陥る。先に挙げた「ポリタス」の記事においても、「集団化」というワードを現代社会を読み解く絶対的なものとし、そしてそれによって動く「他者」(おそらく「自分以外の日本人」)問題視しながらも、何らかの論証は行わずに「本質的に」おかしいものだと指摘する、という回路が見て取れてならないのです。
例を挙げてみましょう。同書に収録されている論考の中で、森氏が最近の若年層について論じた「大ヒットやベストセラーが生まれやすい国」(第2章の一部。なお以下の引用文について、特に注意のない限りは『クラウド増殖する悪意』の電子版からの引用)というものがあります。ここでは、今の若い人たちの多くが、嗤うときに顔の前で手を叩く、というものらしいのです。もっともこれについてはほとんど自らの経験談だけで客観的な論証があるというわけではなく、上の世代がどうであったかなどについては不問に付されています。ただ、身辺雑記的なエッセイでそこまで求めるのは酷かもしれませんのでこれ以上問うことはしませんし、もっと大きい問題はここにあるのではありません。
森氏は、この現象について《結論から書く。この現象は、テレビのバラエティ番組の影響だ。出演するタレントのほぼすべては、嗤うときに自分の顔の前で手を叩く》(「大ヒットやベストセラーが生まれやすい国」>「メディアの感染力」)ことを原因として挙げています。そして森氏が語るのは《メディアのすさまじいほどの影響力》(同前)だというのです。この「メディア」について述べると、森氏はその影響を極めて大きく捉えているように見えます。《特にこの国の人たちは、集団化ととても相性がいい。多数派に同調する傾向も強い。だからこそメディアの影響は大きい》(同前)というくだりには、「日本人の本質」そのものに対する批判も見えます。このように「メディアに扇動される集団主義」という議論は同書の中に複数出てきます(他にも、第1章より「世間を敵に回す『死刑弁護人』」など)――そもそも、高野陽太郎が『「集団主義」という錯覚――日本人論の思い違いとその由来』(新曜社、2008年)で指摘しているように、「日本人=集団主義」というものそのものには疑問が突きつけて然るべきなのですが。
森氏は同書の中でメディアについてもいろいろと批判・指摘を行います。ただその指摘の多くは「文学的」なもので、例えば《この国の民主主義とマスメディアがもう少し成熟して健全に機能していれば、再審をもっと認めるべきだとの声はあがったはず》(第1章より「「開かずの扉」の再審制度」>「「しない」ことの冷酷」)、《「わかっちゃいるけどやめられない」。自覚のない段階は超えた。ならばもう末期的》(第2章より「不安や恐怖が巨大な幻想へと成長するとき」>「水増しされる不安や恐怖」)などといったものが挙げられます。
また数少ない具体的な事例(精神鑑定の問題点を指摘せよ、というところ)においても、そのあとに《書きながら本当に情けない》(第1章より「被告人の精神鑑定の限界を考察せよ」>「麻原法廷の不合理と奇妙」)という感情的な評価が続いています。《情けない》と言っておきながら、この文章の中では具体的に指摘されているとは思えませんでした(ただ採用された鑑定書を批判しているだけで)。
批判にしても、指摘にしても、そのほぼ全てが具体的なものではなく、文学的で本質主義的であり、そして自分は「危機に陥っている」メディア・国民の問題を知っており、メディアや国民に対してそういった呪詛を投げかける。どこかで見たことがある光景だと思ったら、それはおそらく、森氏も第3章で採り上げている、安田浩一の『ネットと愛国』(講談社)で挙げられた在特会(在日特権を許さない市民の会)ではないかと思います。彼らもまた、国民がメディアに洗脳されているとし、民主党などの日本に悪意を持っている(と彼らが勝手に決めつけた)政党に迫害されているとし、そして「在日」を劣った存在として本質主義的な罵倒を投げかける、という具合です。
そして相手を「本質的に」劣っている存在としか捉えないから、継ぎはぎの論理と極端な解決策(在特会的なヘイトスピーチ)を求めるかあるいは一方的な落胆に陥る(森氏)というのも、森氏と在特会に共通しているものと言うことができます。
森氏のような傾向を持つ論客は、「左派」と言われる側にも複数います。例として挙げられるのは香山リカや想田和弘などと言った人物が挙げられるでしょう。彼らの議論もまた、批判や指摘はおしなべて文学的・本質主義的であり、専門家などの研究を参照することはなく、「自分は大衆とは違う」という思い込みが先行し、そしてそこからあらゆる「文学的」な批判が構成されていって閉まっているというのが現状でしょう。そしてこのような、「自分は他者とは違う」「他者は自分より本質的に劣っている」という認識があってこそ、在特会などは平然とヘイトスピーチを述べ、そして森氏などのような「論客」は大衆に対して見下したようなバッシングを行う。
この2者の立場は、いつ転換してもおかしくないものです。思想が右派だとか左派だとかいう問題よりも、このように「自分」を他者とは切り離し、そしてそれを見下すという態度こそが問題なのです。そしてこれらこそが「悪意」の源泉である。そして、そういった態度をとっている論客がもてはやされているという現状こそ、問題があるのではないでしょうか。
ただ私は所謂「左派」ばかりを責めるつもりはありません。それどころか、主に社会科学系の議論について、専門的なものを積極的に拾っているのは、むしろ「左派」のほうでしょう。『世界』(岩波書店)や『現代思想』(青土社)などには専門家による実証的な論考も数多く載っています(例えば東京大学と朝日新聞が選挙のたびに行う世論調査の分析結果を掲載するのは、かつては朝日新聞の『論座』、今は『世界』です)。そういうメディアが身近にあるにも関わらず、思い込みに基づく「日本人論」を一部の論客が述べ続ける理由はどこにあるのか、今一度問い直される必要があります。
第47回:未定(2014年4月15日配信予定/「新潟東方祭14」のサークルペーパーとして配信します。)
第48回:【思潮】「ヤンキー」論の奇妙な位相――なぜ不毛な議論が繰り返されるのか(2014年4月25日配信予定)
第49回:【書評】春の書評祭り(2014年5月5日配信予定/「仙台コミケ216」「Comic1☆8」「第十八回文学フリマ」のサークルペーパーとして配信します。)
(※「「艦これ」遠征の評価・改二」の発表は、都合によりしばらく延期とします。)
【近況】
・「第8回東方名華祭」併催イベント「幻想郷フォーラム2014」新刊の『香霖堂の社会思想ゼミ――市民のための「社会」をめぐる思想講座』がメロンブックスにて発売中です。
情報ページ:http://ameblo.jp/kazutomogoto/entry-11795422870.html
サンプル(pixiv):http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=42211933
通販ページ:http://shop.melonbooks.co.jp/shop/detail/212001071156
・「海ゆかば2」新刊の『提督のための統計学――艦隊決戦統計解析論序説』がメロンブックスにて委託販売中です。また、電子版の配信もメロンブックスDLにて始まりました。
情報ページ:http://ameblo.jp/kazutomogoto/entry-11755408226.html
サンプル(pixiv):http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=41109949
通販ページ:http://shop.melonbooks.co.jp/shop/detail/212001070288
電子版:http://www.melonbooks.com/index.php?main_page=product_info&products_id=IT0000170590
・ 「コミックマーケット85」新刊の『統計同人誌をつくろう!――調べて、分析して、書きたい人のために』『改訂増補版 紅魔館の統計学なティータイム――市民のための統計学Special2』が、メロンブックス・とらのあな・COMIC ZINにて委託販売中です。詳細は各同人誌の情報ページをご覧ください。
『統計同人誌をつくろう!』情報ページ:http://ameblo.jp/kazutomogoto/entry-11717450615.html
『改訂増補版 紅魔館の統計学なティータイム』情報ページ:http://ameblo.jp/kazutomogoto/entry-11717449750.html
・常見陽平氏が発行する早稲田大学・慶應義塾大学学生向けフリーペーパー「アスユニ」に論考「「慶應SFC的なるもの」とは何か」を寄稿しました。4月上旬に両大学にて配布される予定です。
・「新潟東方祭14」にサークル参加予定です。
開催日:2014年4月13日(日)
開催場所:朱鷺メッセ(新潟県新潟市中央区)
アクセス:JR各線「新潟」駅または新潟交通バス「万代シテイバスセンター」から「佐渡汽船」行きバス「朱鷺メッセ」下車すぐ/「新潟」駅から徒歩20分程度
スペース:未定
・「Comic1☆8」にサークル参加予定です。
開催日:2014年4月29日(火祝)
開催場所:東京ビッグサイト(東京都江東区)
アクセス:ゆりかもめ「国際展示場正門」駅下車すぐ/東京臨海高速鉄道りんかい線「国際展示場」駅より徒歩3分程度
スペース:「ね」ブロック41a
・「第十八回文学フリマ」にサークル参加予定です。
開催日:2014年5月5日(月祝)
開催場所:東京流通センター(東京都港区)
アクセス:東京モノレール「流通センター」駅下車すぐ
スペース:未定
・「第11回博麗神社例大祭」にサークル参加予定です。
開催日:2014年5月11日(日)
開催場所:東京ビッグサイト(東京都江東区)
アクセス:前掲
スペース:「ぬ」ブロック13b
・日本図書センターより5年ぶりの商業新刊『「あいつらは自分たちとは違う」という病――不毛な「世代論」からの脱却』が刊行されました。内容としては戦後の若者論の歴史をたどるものとなります。
Amazon:http://www.amazon.co.jp/dp/4284503421/
楽天ブックス:http://books.rakuten.co.jp/rb/12468953/
(2014年4月3日)
奥付
後藤和智の若者論と統計学っぽいブロマガ・第46回:【思潮】「悪意」の源泉はどこにあるのか?――森達也『クラウド増殖する悪意』を批判する
著者:後藤 和智(Goto, Kazutomo)
発行者:後藤和智事務所OffLine
発行日:2014(平成26)年4月3日
連絡先:kgoto1984@nifty.com
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著者ウェブサイト:http://www45.atwiki.jp/kazugoto/
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第46回:【思潮】「悪意」の源泉はどこにあるのか?――森達也『クラウド増殖する悪意』を批判する
「第8回東方名華祭」(2014年3月30日、ポートメッセなごや)のサークルペーパーとして配布した記事です。
今回取り扱うのは、映画監督・森達也氏の新著『クラウド増殖する悪意』(dZERO、2014年。ちなみに同社は亜紀書房の一部門が独立してできた出版社だそうです)です。
森氏の言説には雑誌やインターネットの連載コラム(ダイヤモンドオンラインの「リアル共同幻想論」)などでたびたび見ていましたが、本格的に著書を読むのは高校生のときに『「A」――マスコミが報道しなかったオウムの素顔』(角川文庫)を読んで以来だと思います。というのも最近の森氏の著書は、2003年の『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい。』(ちくま文庫)や、『世界が完全に思考停止する前に』(角川文庫)などと言った、ほぼ同内容のコラム集が多く、食傷気味になっていました。最近は先に述べたネット上のコラムがツイッターのタイムライン上に流れてきたら読む程度でしたが、このたびの新著をたまたま手に取ってみると、森氏の言説に対して私が感じた疑問について書いておいたほうがいいかな、と思い、このたび書くこととしました。
森氏の主張はほぼ一貫しており、我が国を「集団化」というものが覆っており、特に1995年のオウム事件、2001年のアメリカ同時多発テロ、2002年の小泉純一郎首相(当時)の北朝鮮訪問、そして2011年の東北地方太平洋沖地震によってそれが強化されている、というものです。私は以前から、森氏のこのような主張に対して、「集団化」というものを象徴的に捉えすぎていて自らの言説を省察することを欠いているのではないか、と考えてきました。例えば「ポリタス」の2月9日都知事選特集の記事にも森氏は寄稿しており、そのタイトルは「集団化が加速しつつある現状においての都知事選の意味」ですが、中に書いてあるのはほとんど内輪話で(もちろん内輪話そのものに意味がないとは言いませんが)、自分にとって都合のいい話を集めて「社会はこんな危険な状況に陥っている」というものを演出するものにしか見えませんでした。
さらに言うと、森氏は本来であれば、少なくとも客観的な研究の引用によって節を補強すべきところですらもほとんど論証なしに論じているのです。
メディアと選挙について考えるときは、この二つの効果について考える必要がある。かつてこの国の選挙においては、バンドワゴンよりもアンダードッグのほうが強く働いていた。1996年と2000年に行われた衆院選はその典型とされている。だからこそ優勢と報道された政党や候補者は、報道に対してクレームをつけた。
でも近年、アンダードック効果はほとんど働かなくなった。社会全体に「勝ち馬に乗れ」的な意識が強くなった。
その最大の要因は明らかだ。社会全体の集団化が加速している。多数派に身を寄せたいとの願望が強くなっている。自公圧勝との予測が流れれば、その流れ(多数派)に身を置きたいとする人が増えている。
この国は世界で最もベストセラーが生まれやすい国との評価を聞いたことがある。つまりそもそもが流行に乗りやすい。集団と相性が良いのだ。誰かが買ったら自分も買う。誰かが読んだら自分も読む。その傾向が加速している。全体と同じ動きをしようとする人が増えている。
http://politas.jp/articles/120
この部分だけ見ても、1・「アンダードッグ」から「バンドワゴン効果」への移行、2・《社会全体に「勝ち馬に乗れ」的な意識が強くなった》こと、3・《この国は世界で最もベストセラーが生まれやすい国との評価》、の3つについて論証(少なくとも客観的な研究からの引用)が必要となるはずです。しかし森氏はそれを拒否しているのか、それを示す資料を提示しようとはしていません。これはどういうことなのでしょうか。
さて『クラウド増殖する悪意』に戻ると、確かに森氏の主張には頷けるところもあります。しかし、森氏は根本的なところで、まさに森氏が問題視するような「悪意」と同様の思考を持っているとしか思えないのです。
結論から先に言うと、その思考とは「差異化」「少数派意識」「(本質主義に基づく)劣化言説」です。まず「他者」を自分とは「違う」存在として切り離し、そして自分はその「他者」の思考によって迫害された少数派だと考える。そしてその「他者」に対して本質的に劣っており、その原因を自分は知っている、そして「彼ら」は知らない、という考えに陥る。先に挙げた「ポリタス」の記事においても、「集団化」というワードを現代社会を読み解く絶対的なものとし、そしてそれによって動く「他者」(おそらく「自分以外の日本人」)問題視しながらも、何らかの論証は行わずに「本質的に」おかしいものだと指摘する、という回路が見て取れてならないのです。
例を挙げてみましょう。同書に収録されている論考の中で、森氏が最近の若年層について論じた「大ヒットやベストセラーが生まれやすい国」(第2章の一部。なお以下の引用文について、特に注意のない限りは『クラウド増殖する悪意』の電子版からの引用)というものがあります。ここでは、今の若い人たちの多くが、嗤うときに顔の前で手を叩く、というものらしいのです。もっともこれについてはほとんど自らの経験談だけで客観的な論証があるというわけではなく、上の世代がどうであったかなどについては不問に付されています。ただ、身辺雑記的なエッセイでそこまで求めるのは酷かもしれませんのでこれ以上問うことはしませんし、もっと大きい問題はここにあるのではありません。
森氏は、この現象について《結論から書く。この現象は、テレビのバラエティ番組の影響だ。出演するタレントのほぼすべては、嗤うときに自分の顔の前で手を叩く》(「大ヒットやベストセラーが生まれやすい国」>「メディアの感染力」)ことを原因として挙げています。そして森氏が語るのは《メディアのすさまじいほどの影響力》(同前)だというのです。この「メディア」について述べると、森氏はその影響を極めて大きく捉えているように見えます。《特にこの国の人たちは、集団化ととても相性がいい。多数派に同調する傾向も強い。だからこそメディアの影響は大きい》(同前)というくだりには、「日本人の本質」そのものに対する批判も見えます。このように「メディアに扇動される集団主義」という議論は同書の中に複数出てきます(他にも、第1章より「世間を敵に回す『死刑弁護人』」など)――そもそも、高野陽太郎が『「集団主義」という錯覚――日本人論の思い違いとその由来』(新曜社、2008年)で指摘しているように、「日本人=集団主義」というものそのものには疑問が突きつけて然るべきなのですが。
森氏は同書の中でメディアについてもいろいろと批判・指摘を行います。ただその指摘の多くは「文学的」なもので、例えば《この国の民主主義とマスメディアがもう少し成熟して健全に機能していれば、再審をもっと認めるべきだとの声はあがったはず》(第1章より「「開かずの扉」の再審制度」>「「しない」ことの冷酷」)、《「わかっちゃいるけどやめられない」。自覚のない段階は超えた。ならばもう末期的》(第2章より「不安や恐怖が巨大な幻想へと成長するとき」>「水増しされる不安や恐怖」)などといったものが挙げられます。
また数少ない具体的な事例(精神鑑定の問題点を指摘せよ、というところ)においても、そのあとに《書きながら本当に情けない》(第1章より「被告人の精神鑑定の限界を考察せよ」>「麻原法廷の不合理と奇妙」)という感情的な評価が続いています。《情けない》と言っておきながら、この文章の中では具体的に指摘されているとは思えませんでした(ただ採用された鑑定書を批判しているだけで)。
批判にしても、指摘にしても、そのほぼ全てが具体的なものではなく、文学的で本質主義的であり、そして自分は「危機に陥っている」メディア・国民の問題を知っており、メディアや国民に対してそういった呪詛を投げかける。どこかで見たことがある光景だと思ったら、それはおそらく、森氏も第3章で採り上げている、安田浩一の『ネットと愛国』(講談社)で挙げられた在特会(在日特権を許さない市民の会)ではないかと思います。彼らもまた、国民がメディアに洗脳されているとし、民主党などの日本に悪意を持っている(と彼らが勝手に決めつけた)政党に迫害されているとし、そして「在日」を劣った存在として本質主義的な罵倒を投げかける、という具合です。
そして相手を「本質的に」劣っている存在としか捉えないから、継ぎはぎの論理と極端な解決策(在特会的なヘイトスピーチ)を求めるかあるいは一方的な落胆に陥る(森氏)というのも、森氏と在特会に共通しているものと言うことができます。
森氏のような傾向を持つ論客は、「左派」と言われる側にも複数います。例として挙げられるのは香山リカや想田和弘などと言った人物が挙げられるでしょう。彼らの議論もまた、批判や指摘はおしなべて文学的・本質主義的であり、専門家などの研究を参照することはなく、「自分は大衆とは違う」という思い込みが先行し、そしてそこからあらゆる「文学的」な批判が構成されていって閉まっているというのが現状でしょう。そしてこのような、「自分は他者とは違う」「他者は自分より本質的に劣っている」という認識があってこそ、在特会などは平然とヘイトスピーチを述べ、そして森氏などのような「論客」は大衆に対して見下したようなバッシングを行う。
この2者の立場は、いつ転換してもおかしくないものです。思想が右派だとか左派だとかいう問題よりも、このように「自分」を他者とは切り離し、そしてそれを見下すという態度こそが問題なのです。そしてこれらこそが「悪意」の源泉である。そして、そういった態度をとっている論客がもてはやされているという現状こそ、問題があるのではないでしょうか。
ただ私は所謂「左派」ばかりを責めるつもりはありません。それどころか、主に社会科学系の議論について、専門的なものを積極的に拾っているのは、むしろ「左派」のほうでしょう。『世界』(岩波書店)や『現代思想』(青土社)などには専門家による実証的な論考も数多く載っています(例えば東京大学と朝日新聞が選挙のたびに行う世論調査の分析結果を掲載するのは、かつては朝日新聞の『論座』、今は『世界』です)。そういうメディアが身近にあるにも関わらず、思い込みに基づく「日本人論」を一部の論客が述べ続ける理由はどこにあるのか、今一度問い直される必要があります。
第47回:未定(2014年4月15日配信予定/「新潟東方祭14」のサークルペーパーとして配信します。)
第48回:【思潮】「ヤンキー」論の奇妙な位相――なぜ不毛な議論が繰り返されるのか(2014年4月25日配信予定)
第49回:【書評】春の書評祭り(2014年5月5日配信予定/「仙台コミケ216」「Comic1☆8」「第十八回文学フリマ」のサークルペーパーとして配信します。)
(※「「艦これ」遠征の評価・改二」の発表は、都合によりしばらく延期とします。)
【近況】
・「第8回東方名華祭」併催イベント「幻想郷フォーラム2014」新刊の『香霖堂の社会思想ゼミ――市民のための「社会」をめぐる思想講座』がメロンブックスにて発売中です。
情報ページ:http://ameblo.jp/kazutomogoto/entry-11795422870.html
サンプル(pixiv):http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=42211933
通販ページ:http://shop.melonbooks.co.jp/shop/detail/212001071156
・「海ゆかば2」新刊の『提督のための統計学――艦隊決戦統計解析論序説』がメロンブックスにて委託販売中です。また、電子版の配信もメロンブックスDLにて始まりました。
情報ページ:http://ameblo.jp/kazutomogoto/entry-11755408226.html
サンプル(pixiv):http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=41109949
通販ページ:http://shop.melonbooks.co.jp/shop/detail/212001070288
電子版:http://www.melonbooks.com/index.php?main_page=product_info&products_id=IT0000170590
・ 「コミックマーケット85」新刊の『統計同人誌をつくろう!――調べて、分析して、書きたい人のために』『改訂増補版 紅魔館の統計学なティータイム――市民のための統計学Special2』が、メロンブックス・とらのあな・COMIC ZINにて委託販売中です。詳細は各同人誌の情報ページをご覧ください。
『統計同人誌をつくろう!』情報ページ:http://ameblo.jp/kazutomogoto/entry-11717450615.html
『改訂増補版 紅魔館の統計学なティータイム』情報ページ:http://ameblo.jp/kazutomogoto/entry-11717449750.html
・常見陽平氏が発行する早稲田大学・慶應義塾大学学生向けフリーペーパー「アスユニ」に論考「「慶應SFC的なるもの」とは何か」を寄稿しました。4月上旬に両大学にて配布される予定です。
・「新潟東方祭14」にサークル参加予定です。
開催日:2014年4月13日(日)
開催場所:朱鷺メッセ(新潟県新潟市中央区)
アクセス:JR各線「新潟」駅または新潟交通バス「万代シテイバスセンター」から「佐渡汽船」行きバス「朱鷺メッセ」下車すぐ/「新潟」駅から徒歩20分程度
スペース:未定
・「Comic1☆8」にサークル参加予定です。
開催日:2014年4月29日(火祝)
開催場所:東京ビッグサイト(東京都江東区)
アクセス:ゆりかもめ「国際展示場正門」駅下車すぐ/東京臨海高速鉄道りんかい線「国際展示場」駅より徒歩3分程度
スペース:「ね」ブロック41a
・「第十八回文学フリマ」にサークル参加予定です。
開催日:2014年5月5日(月祝)
開催場所:東京流通センター(東京都港区)
アクセス:東京モノレール「流通センター」駅下車すぐ
スペース:未定
・「第11回博麗神社例大祭」にサークル参加予定です。
開催日:2014年5月11日(日)
開催場所:東京ビッグサイト(東京都江東区)
アクセス:前掲
スペース:「ぬ」ブロック13b
・日本図書センターより5年ぶりの商業新刊『「あいつらは自分たちとは違う」という病――不毛な「世代論」からの脱却』が刊行されました。内容としては戦後の若者論の歴史をたどるものとなります。
Amazon:http://www.amazon.co.jp/dp/4284503421/
楽天ブックス:http://books.rakuten.co.jp/rb/12468953/
(2014年4月3日)
奥付
後藤和智の若者論と統計学っぽいブロマガ・第46回:【思潮】「悪意」の源泉はどこにあるのか?――森達也『クラウド増殖する悪意』を批判する
著者:後藤 和智(Goto, Kazutomo)
発行者:後藤和智事務所OffLine
発行日:2014(平成26)年4月3日
連絡先:kgoto1984@nifty.com
チャンネルURL:http://ch.nicovideo.jp/channel/kazugoto
著者ウェブサイト:http://www45.atwiki.jp/kazugoto/
Twitter:@kazugoto
Facebook…
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サークル:http://www.facebook.com/kazugotooffice
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