「第10回博麗神社例大祭」(2013年5月26日、東京ビッグサイト)で配布したサークルペーパーです。

さて、今回の「Free Talk」では、『古明地さとりの自己形成論講義』を書いている過程でいくつか得られた知見で、かつ個別の論客への批判が多いため同書には載せることができなかった、ここ10年ほどの若者論とアイデンティティの流れについてわかったことについて論じてみようと思います。また、若者論とアイデンティティ言説の流れは、現在見られるような各種のヘイトスピーチや、あるいは現代の若者論客を考える上でも極めて重要な知見を与えてくれます。それは、ロスジェネ論客からポスト・ロスジェネ論客による若者論の変化です。
現在の、主に1980年代生まれの「若手」の論客の若者論は、基本的に、既に低成長時代に入った時代にあって、自分たちはこういう風に「生きのびて」いる、という言説が主流になっていると言えます。代表的なのは、やはり古市憲寿でしょう。古市の『絶望の国の幸福な若者たち』や『僕たちの前途』(いずれも講談社、それぞれ2011年、2012年)は、上の世代が「絶望」と描いている現代社会において、現代の若い世代――主として20代――がどのように考え、生きているかということをシニカルに主張して見せたものです。

それ以外にも、サークルペーパーや、あるいは『POSSE』の連載などでもたびたび採り上げてきた、やはり主として1970年代終わり頃~1980年代生まれの若い論客の言説には、「自分たちの世代は「不幸」ではない」「自分たちの世代は新たな可能性を持っており、それはこれからの社会を生き抜くために新たな価値観を示すものだ」というものが目立っています。古市の他に例として挙げられるのは、『日本の若者は不幸じゃない』(ソフトバンク新書、2011年)の「もふくちゃん」こと福嶋麻衣子などが挙げられるでしょう。

また若い世代向けと見ることができる社会言説や自己啓発書にも、我が国や我が国の「若者」は可能性を持っている、そのためには日本という枠組みにとどまっていてはいけない、という言説も頻繁に見られるようになっています。代表的な論客としては田村耕太郎や谷本真由美(メイロマ)が挙げられます。

古市や福嶋の言説と、田村や谷本のような言説は、一見すると相反するようなものに見えます。前者は上の世代が語る、日本社会が行き詰まっているという認識を否定ないし拒絶し、自分たちは自分たちの可能性を見ていくというもの。他方で後者は日本という枠組みにとどまるような行為を否定し、世界のエリートと伍する自己を作り上げることを推奨しているというもので、確かに表面的にはまったく逆の志向性を持っていると言えます。
しかしこの2つの言説は、社会認識という点においては、実に似通った視点に立っていると言えるものなのです。これらの若者論(若年層向け自己啓発言説と言ってもいいかもしれない)は、ここ10年ほどの我が国の若者論における主題が「豊かさの中の欠乏」から「欠乏の中の豊かさ」に変わっているという流れの中に位置づけられるものなのです。

そしてそれを読み解くためには、平成期の若者論の流れを、まず理解する必要があります。まずはそこから入っていきましょう。

平成期の若者論や若年層向け言説を考える上で、いくつかの転換点を見ることができます。第一に1995年のオウム真理教によるサリン事件、第二に1998年の栃木県での教師殺傷事件及び同年周辺の「新しい歴史教科書をつくる会」による活動、第三に2003年から2004年にかけてのフリーター言説が「ニート」言説に転換していく過程、第四に2006~2007年の「ロスジェネ」論の登場に至るまでの過程、そして第五に2011~2012年の決断主義的傾向とデフレカルチャーの広がりです。そしてそれぞれの時期における代表的なメディアや論客の流れを見ていくと、平成期の若者論が若年層にどのようなアイデンティティを付与していたか、ということがわかってくると思います。

また、これらの転換点は、決して独立で起こっているのではなく、むしろその前の転換点が次の転換点を捉え直す過程として捉えることもできます。まず1995年のオウム事件において変貌した雑誌として、若年層向け保守系オピニオン誌としての立ち位置にあった『宝島30』(宝島社。1997年休刊)が挙げられるでしょう。同誌は、1995年8月号を境目に、「(若年層向け)オウム問題専門誌」としての色彩を強めていきました。

同書には浅羽通明や切通理作などといった論客が活躍していましたが、彼らの論じていることのほとんどは、オウム事件を引き起こしたオウム真理教の中心的な人物を、自分たちの世代と「同じ」存在、具体的に言うとアニメなどを見て育ち、そして成熟という意味を見失った存在として描き出し、サブカルチャー論に基づく世代論や、「成熟」とは何かという言説を中心に展開していました。他方で自称リベラルの立場としてオウム問題論、そして社会論を展開していた宮台真司は、著書『終わりなき日常を生きろ』などで、やはり現代における「成熟」のあり方、ないし若い世代の生き方を――当時の女子高生をある種の「理想」とし、そして上の世代をバッシングする形で――説きました。

既に別の場所で示した通り、1980年代後半から1990年代半ば頃にかけて、主としてオタク系の論客や、漫画研究などを行っていた一部の社会学者の働きによって、若者論は「消費」や「関係性」を重視するものへと変貌していきました。ここで採り上げた、オウム論の論客の顔ぶれや動き――なお、他に代表的な論客としては、小林よしのりや大塚英志が挙げられる――も、それを象徴していると言えるでしょう。そしてこの時期から、主に若者擁護論の論客によって、若年層の「心性」をめぐる議論が歪められることになるわけです。

第二の転換点の1998年の前後には、多くの若者擁護論の論客が若年層の心性を問題視する方向に言説を転換しました。例えば小林よしのりは、薬害エイズ運動への失望から保守系の方向に転向し、歴史教育の転換による青少年問題の解決を志向していた「新しい歴史教科書をつくる会」の中心的人物として積極的に教育論、若者論を語るようになります(ベストセラーとなった『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』にも若者論の要素が垣間見えます)。他方で宮台真司も、1998年に出された『終わりなき日常を生きろ』のちくま文庫版で、若年層の「脱社会化」を問題視し、現代の若年層が「人を殺したくて仕方がない」状態であるということを述べました。また香山リカも、1997年の『創』誌の連載や、1998年に出された『インターネット・マザー』で、現代人、特に若年層の「解離」を問題視しました。

このような論客の流れは、1997年以降の、社会が「劣化」しているという見方の広がり(詳しくは『古明地さとりの自己形成論講義』第4章、あるいは浅岡隆裕『メディア表象の文化社会学』(ハーベスト社)を参照されたい)とも無関係ではないでしょう。その時期に流行した劣化言説の少なくないものが、少年犯罪や現代の若年層を問題視しておりました。1990年代終わり頃から2000年代始め頃にかけては、宮台や香山のような「若手」リベラル層や、「新しい歴史教科書をつくる会」的な新保守運動は、いずれも日本社会や若年層の「劣化」を煽ることによって成長したという共通点を持っています。

他方で2000年代初め頃になると、宮本みち子などによって若年層の労働・経済問題が取り沙汰されるようになりますが、その指摘を換骨奪胎し、新たな若者論としたのが、2003~2004年の転換点としての「ニート」言説でしょう。2000年代初頭に若年層の労働問題を指摘していた玄田有史は、「ニート」言説によって、若年層の「働けない」心性を擁護論のスタイルで論じました。それにより、玄田は若年層の労働問題を、制度的な、あるいは経済的な問題ではなく、現代の若年層に特有の心性や環境の問題として描き出したわけです。このような態度が引き起こしたのは、「ニート」に対するバッシングでした。もちろん玄田はそれに直接的に荷担したわけではありませんが、少なくともバッシング側と同様、「ニート」というものを現代の若年層に特有のものとして捉える玄田の言説は、そのようなバッシングに対しては無力でしかありません。

閑話休題、2005年頃から始まった、「ニート」言説への批判や、新しい労働運動の広がりの中で生まれた、主に1970年代終わり頃の世代の苦境を訴える言説は、2007年に「ロスジェネ」世代論として成長しました。しかし、それがかえって閉鎖的な世代論を生み出すことになったのです。「苦境を訴えること」を軸にしていたロスジェネ言説は、「我こそ被害者」の連帯を生み出し、他の世代(特に直上の「バブル世代」と直下の「ゆとり世代」)へのバッシングを生み出しました(これについては、弊サークルのKindle電子書籍『ロスジェネ・メディアの世代認識』をご参照ください)。

さらに言うと、ロスジェネ系の論客においては、当初起点にしていた労働問題からの逸脱も、比較的早い時期から行われていました。例えば赤木智弘は、2007年に出された『若者を見殺しにする国』においては、堀井憲一郎を引き合いに出しつつ、バブル期が特に若い男性にとって「生きづらい」社会を作り出した、ということを述べています。また雨宮処凜も、自分の生い立ちを引き合いに出して、社会に対して物事を主張することがいかに抑圧されてきたかを述べるようになっています。2008年に行われた、当時の首相である麻生太郎の渋谷区の自宅を「見学」するという「リアリティツアー」が行われましたが、これも表面上は労働、経済問題を問題にしつつも、ただの大衆運動に堕したものでした。

このようなロスジェネ言説の「大衆運動」化は、果たして若者論においてどのような役割を果たしたのでしょうか。第一に、メディアにおけるロスジェネ世代の「はしごを外された」世代というキャラクター(アイデンティティ)の固定化です。そしてこの世代は、上の世代が「当たり前」のように受けてきた暮らしを最早享受できなくなったということを主張しました。

ロスジェネに対するこのような認識が定着するとどうなるか。それは直下の世代の扱われ方に現れます。直下の世代は、ロスジェネのようにバブルに憧れたが大学を卒業し就職する頃にははしごを外されたという「来歴」はなく、最初から不況の下で育ってきた世代、というように扱われたのです。そしてそれがロスジェネ論の第二の役割で、ロスジェネの「相対的剥奪感」を強調したことにより、その直下の世代には最初からそのような「剥奪感」を持たない世代としての扱いが固定化されたことです。

ロスジェネはあらゆる世代に対して「剥奪」された世代であるというアイデンティティを強めていきました。直上のバブル世代のみならず、直下の世代に対しても、所謂「ゆとり教育」によって競争圧力が緩和されたり、インターネットなどの情報技術やソーシャルメディアによって完全に心性のあり方が変わってしまった世代であるという「羨望」がかけられるようになってしまったのです(それが最もよく現れているものとして、熊代亨『ロスジェネ心理学』(花伝社)がある)。

ポストロスジェネ世代がこのような状況に置かれると、ポストロスジェネには、ロスジェネ世代のような「異議申し立て」は最早許されなくなります。その代わりに、デフレや不況、そして社会や情報技術の変化を経て「変わってしまった」社会においていかに「可能性」を示せるか、ということに期待がかかるようになります。もちろんそのような議論は、それを可能にする経済的な状況などについて度外視しており、また単純な世代論に基づく、客観的でない「決めつけ」になっているという問題点がありますが。


さて、ここまで平成期の世代論の流れについて説明してきましたが、ここから冒頭に示した「豊かさの中の欠乏」から「欠乏の中の豊かさ」へ、という流れについて述べたいと思います。

「豊かさの中の欠乏」言説を担っているのは主にロスジェネです。ここまで述べてきたとおり、ロスジェネ世代の労働・経済問題が取り沙汰されるときには、「上の世代のような生活は最早望めない」ということが前提となっています。上の世代がバブルなどで豊かさを享受できたことと、ロスジェネ世代がそれに「乗る」ことができなかったということから、ロスジェネは不況における社会の歪みとして描かれます。

これを象徴しているのは、2012年に毎日新聞にて行われた企画「リアル30's」です(後に毎日新聞社から書籍化)。この連載は、30代の「生きづらさ」を採り上げているのですが、20代が採り上げられることは極めて少ないのです。そもそも『ロスジェネ・メディアの世代認識』などで述べたとおり、ロスジェネとは概ね1975~1982年生まれとして捉えられます。そしてロスジェネ最後の世代である1982年生まれが30歳にさしかかる2012年にこの連載が行われたのは、極めて象徴的なことと言えるでしょう。

それに対して、「欠乏の中の豊かさ」言説を担っているのはポストロスジェネです。ポストロスジェネは、不況下で育ってきたことに加え、所謂「ゆとり教育」によって学力や様々な能力が低下(なおこのような言説の誤りについては、弊サークルの同人誌『現代学力調査概論』をご参照ください)、情報技術の発展によってコミュニケーション能力や人間関係の質が低下という、様々な局面において「欠乏」した世代として見なされます。そしてそれが、2000年代以降における日本社会が生み出した人間像として捉えられ、これらの「欠乏」を前提として「したたかに」生き抜くことがこの世代の主張として受け入れられるのです。

ポストロスジェネは、不況下の日本社会がもたらした「欠乏」や「閉塞感」を一手に受けた世代として捉えられます。そしてそこからの「脱却」を求めようとすると田村耕太郎や谷本真由美になり、また「欠乏」を前提にして、上の世代を否定して生きるということを求めると古市憲寿になる。つまりこの2つの方向性は、「欠乏の中の豊かさ」を求めよとしている点においては共通と言うことができるのです。

現代の20代に対して「欠乏の中の豊かさ」を求めよとするこのような言説を見る上で注意しなければならないことは、このような言説は、直上のロスジェネ世代が自分の世代について示したアイデンティティの鏡像になっているということです。ポストロスジェネたる現代の20代は、バブル的な価値観を温存しており、それ故「経済」という枠組みに縛られている(と見なされる)ロスジェネ世代を否定し、不況下の「希望」を見出し、あるいは訴えなければならない。


最後に「欠乏の中の豊かさ」言説の最大の問題点を指摘して終わろうと思います。それは経済や制度などの問題を極めて「軽く」捉え、特に経済については偏った考えを持っていることです。

例えば経済に関しては、「欠乏の中の豊かさ」言説は、「最早経済成長は期待できない」、さらには「経済成長が人心を荒廃させた」という認識に立っています。しかし、ここ数ヶ月の金融緩和による円安、株高などに見られるとおり、適切な経済政策を行えばある程度の経済成長を起こすことは可能なのです。さらに世界銀行などのデータを見ると、ここ20年ほどで我が国「だけ」が名目GDPが停滞している(他の先進諸国はだいたい年率3%以上の成長を見せている)ことが示されています。「欠乏の中の豊かさ」論は、デフレや不況を「運命」として捉える近年の社会思想に基づいていますが、まずはここから修正される必要があります。

産業についても、若年層の「劣化」「内向き化」によって国際競争力を失っているという言説が(特に経営者によって)展開されておりますが(代表的なのはファーストリテイリングの柳井正でしょう)、所謂「国際競争力」についても為替によるところが大きく、長い間円高が続いてきた我が国において、若年層にひたすら「国際レベルの力をつける」ことを強調しても、そもそも円高というハンディキャップがのしかかっているので、極めて重い負担をもたらすものでしかありません。

またイメージに基づく単純な世代論を下支えしているのは教育問題、学力問題ですが、昨今の場当たり的な教育カリキュラムの変更や、「学力調査」に一喜一憂してみせる様は、教育の科学性、公共性という問題を置き去りにしています。教育という分野はあらゆる人が経験したことがあるので安直に論じられがちですが、そのような「自分」を中心とした言説から脱却することが必要になります。

結びとして、「欠乏の中の豊かさ」言説を乗り越えるための簡単な著作をいくつか提示して終わりたいと思います。経済は、片岡剛士『アベノミクスのゆくえ――現在・過去・未来の視点から考える』(光文社新書)を、教育は、小玉重夫『学力幻想』(ちくま新書)を、労働は、今野晴貴『日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか?』(星海社新書)を。

奥付
後藤和智の雑記帳 第10回博麗神社例大祭出張版
著者:後藤 和智(Goto, Kazutomo)
発行者:後藤和智事務所OffLine
発行日:2013年5月26日
配信日:2013年6月12日
連絡先:kgoto1984@nifty.com
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