その2 不思議な道、大いなる道のり。(前半)
操体法では感覚を大切にすることを学んだ。特に気持ち良さを感じとるということを学んだ。人には感覚がある。例えばお腹が空くというのも感覚。お腹が空くから人はご飯を食べる。そして、ご飯を食べて美味しいと感じるのも感覚。ご飯を食べるのに辛いという感覚があったら人はご飯を食べないものだ。
人にはたくさんの感覚がある。その感覚は人が生きるという道筋を教えてくれる。人はご飯を食べて生きる。だからお腹が空くという感覚は大切。お腹がいっぱいになるというのも感覚。この2つの感覚を正しく感じられれば、人は食事をすることにより健康でいられる。もし、この感覚が狂えば栄養に偏りが出て健康を害したりもするし、肥満になったりもするだろう。
食事は美味しいから食べる。人が食べられる物はうまい具合に美味しく料理されている。鉄や石は食べられないだけでなく、見た目が美味しそうではない。人は原始時代に美味しそうな感覚で食べられる物を見つけだし、やがて豊かな食材と食卓を作り上げてきた。
人は特殊な動物なので、料理をすることを覚え、他の動物と違った食生活を送っている。料理をした食事は自然のままの食べ物よりも美味しい場合が多い。だから食事の感覚が狂いやすいところもあるのだ。
産まれて初めての食事といえば母乳。それが動物にとっては自然な食事。粉ミルクは自然に近いけれども、自然ではない。母乳を飲んだ赤ちゃんは満足して食事を終える。粉ミルクを飲んだ赤ちゃんは満腹になるまで飲む。だから粉ミルクを赤ちゃんが飲みたいだけ飲ませると肥満になるという話を聞いたことがある。
現代生活は何でも便利になった。だがその分だけ自然に備わった感覚が乱れやすくもなっている。操体法を学ぶとそんなことが分かるようになる。もともと人は一生を健康に暮らせるような身体で産まれてくる。本来の身体はそういうふうに在り難い状態でできているものなのだ。身体をきちんと使えていれば健康に過ごせる。ところが身体の取り扱い説明書はどこにもない。取り扱い説明書の代わりにあるのが身体の感覚。身体は感覚に従って使えば本来は間違いないはずなのだ。
痛いという感覚を無視して、もっと身体を動かせば身体はやがて壊れていく。腕の関節を曲げていけば痛くなって来る。これは関節には可動範囲があるから、可動範囲を超える前に痛みという状態によってそれ以上動かすなと教えてくれているのだ。この感覚がなければ身体を勝手に使ってすぐに壊れてしまう。この感覚が少しでも狂うと、段々身体が歪んで不調になってくる。
本来、人の身体は大自然の中で暮らすように設定されている。全ての動物と人間の身体の設定は変わらない。大自然の中で上手に暮らせるように人の身体の設定は出来ている。ところが、人は文明を手に入れ生活が便利になるようにした。だからその分だけ大自然の中で暮らせる身体の設定が狂ってきたのだ。身体の設定が狂い感覚も鈍くなると、身体本来の使い方がズレてしまう。だから文明を手に入れるのと同時に、人は「不定愁訴」という有難くないものも手にすることになってしまったのだ。
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