第21回 今回は「記憶のあいまいさ」についてなんだも〜ん
今回のテーマは、「記憶のあいまいさ」。
深夜ラジオの人気番組、TBSラジオ『伊集院光 深夜の馬鹿力』のコーナー、「ソラ脳」に近い話をする。
《※編集部注:ん? つーか、前回は『カジノ〜』旗揚げの頃の話じゃなかったっけ? あれが続くんじゃないんだ?(笑)》
最初に「記憶のあいまいさ」を意識したのは、40代後半。
オヤジの葬式で、中学時代の野球部の同級生二人と昔話をしていたときだった。
当時の野球チームでの各ポジションの記憶が違っていたのだ。
「セカンドは堤だったよな」
「違うよ。セカンドは松尾だよ」
するともう一人が別のヤツの名前をあげる始末。
ポジションだけではなかった。
中学最後の夏の大会の試合内容も細部がまちまちだったのである。
文学的表現をするなら、「記憶が揺すられ、最後にはオレの記憶は真実なのかわからなくなった」てなことになる。
《※編集部注:ぶ、文学的表現?》
40代にもなると、それでなくとも「物忘れ」がひどく、毎日が記憶喪失の連続なんだも〜ん。
≪※編集部注:そう、そっち!「なんだも〜ん」のほうが竹本文学!≫
そんなことから、このことがあった以後、自分の過去を全面的に肯定することができなくなった。
記憶についての本にも興味を持つようになり、読めば読むほど「記憶のあいまいさ」を再認識させられた。
脳科学のある説によると、人の心は『理性的であること』よりも、『好都合に暮らす』ことを目指すのだという。
それゆえに、当人に不都合な真実・記憶は、無意識のうちに書き換え・すり替え・重み付けなどの変更を行ってしまうのだそうだ。
当人が『好都合』を強く望む場合にこの傾向がより強く現れるという。
つまり、ザックリいうと、誰もが自分の過去を自分の都合のいいように書き換えている率が高いのだ。
《※編集部注:最初からザックリ言ったほうがいいと思われ。》
これから書くオレの「人生最初の恐怖体験(トラウマ)」もまた、本人自らがどこまでが真実なのかわからない記憶である。
昭和34年、小学3年生の夏休み、7月下旬のある土曜日。
家の近くの大和川に、4歳年上の従兄弟と川遊びにでかけた。
初夏のまぶしい太陽のもと、いつもと違って釣り人のオッサンたちが多くいた。
オッサンの一団は、支流を作って川の本流から水を引いていた。その支流の最後は“どんづまり”になっていて、堰(せき)が作られていた。
魚をこの支流に呼び込んで、漁をしていたのだ。
オレが着いた頃は、ちょうど堰が完成間近で、オッサン二人がでっかいスコップで砂をかき集めて堰の上に積み上げていた。
堰をより丈夫にするために、堰の堤をスコップでペタペタと固める作業をしていた。
はじめて見る光景に興味を持ったオレは熱心に観察していた。
すると、一団のオッサンの一人が冗談半分叱り半分の調子で「おい!そこのガキ、堰を壊すなよ!」と、オレに注意してきた。
返事もそこそこに、オッサンの威圧に恐れをなして小学3年生のオレは急いでその場から離れた。
背中にオッサンたちの笑い声がドッとあがった。
オレと従兄弟はそこから離れて、本流で泳いだり川魚を追いかけて遊んでいた。
30〜40分後だろうか、子供は夢中になると我を忘れる。
オレはいつのまにか、堰のあるその支流に入りこんでいた。
オッサンたちは漁に熱心だったのか、休憩していたのか、オレを注意する者はいなかった。
魚取りに夢中だったオレは堰のことを完全に忘れていた。
というより、完全に眼中になかった。
「あっ!!」と思ったときには、オレの足がその堰を切り崩していた。たぶん、後ろ向きで魚を追っていて、後ろに下がったところに堰があったのだろう。
みるみるうちに、堰はどんどんと崩れていった。
怖くなったオレは、怒られるのが怖くて、必死に逃げた。
コメント
コメントを書く