1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜

この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。

●第26回 2009年-② 魔裟斗引退試合で久々に大晦日チケット完売へ

前回も触れたように、石井慧君のプロ転向は思わぬ方向に行ってしまいました。僕は国士舘大学の斎藤仁監督→石井君の父親→石井君の父親の教え子→代理人の弁護士といった人と会話し、一方で小川直也選手や秋山成勲君も動いてくれたのですが、石井君は全く自分の意志で芸能プロダクションの「Kダッシュ」にマネージメントを任せたのです。正直、僕ももっと石井君と話をしたかったのですが、本当に話し合いに応じてくれたのは一回限りでした。その当時の石井君は、とにかくいろんな人と会ったり、いろんな場所で練習したりしてて、何を考えているのかよく分かりませんでした。また「60億分の1の男になりたい」という以外、どこのリングに上がろうとしているのかも読めませんでした。

正直、選手と話をするのは得意だと思っていたし、自信もあったので、ちょっとショックでした。でも、石井君が「人のもの」になった以上、僕の興味はあまりなくなっていました。やっぱりプロデューサーというのは、選手と二人三脚で育てていきたいという思いがあります。どこで練習させて、どんな選手と当てながら強くしていくかとか、どういう哲学を身につけさせ、どんなイメージで売り出していくのか、そういう関係を築くことが大切なのです。

特に石井君のような大物は腕がなります。吉田秀彦や曙がそうだったし、大晦日史でも触れた桜庭和志や秋山成勲、ミルコ・クロコップ、ボブ・サップ、あるいは山本KID徳郁、魔裟斗、須藤元気、所英男… みんなそういう思いで真剣に付き合ってきました。だから、人のものになった石井君に対するトーンは落ちてしまいました。おこがましい言い方ですが、勿体ないなと思ったくらいです。

また、この年の大晦日は石井君がいなくても問題ないほどの大きな目玉がありました。ちょうど、石井君を口説いていた2008年の年末、石井君の後で僕は魔裟斗君とこんな会話をしていたのです。

「今年の大晦日も試合してほしいんだけど、決心は変わらない?」
「変わらないですよ。今年はやめておきます。俺は今年の初めに言ってたようにチャンピオンになったんで、あとMAXのリングで1回、そして大晦日の試合で引退します」

2000年代、格闘技界に「中量級の時代」を作った立役者の魔裟斗。僕が出会った選手の中でも尊敬できる選手の一人です。2008年の初めに魔裟斗君からは、「もう一度MAXのリングで世界チャンピオンになる」という話と、「そこまでやり切って、来年引退したい」という話を聞かされていました。そして、2008年のMAXでは、「本当はこっちの方が強いんじゃないか」と噂もあった佐藤嘉洋とアルトゥール・キシェンコにダウンを奪われながら勝ち、見事世界チャンピオンに返り咲き、本当に有言実行でやりきったのです。大したものです。

魔裟斗君に関しては、他の選手に比べて圧倒的に志が高い選手でした。普通の選手は「MAXのリングに立ちたい」とか「トーナメントで優勝したい」、あるいは「魔裟斗に勝ちたい」といった志を持つものです。それだけでも十分立派ですが、魔裟斗君の場合「ヘビー級の試合に勝ちたい」「俺がMAXを引っ張っていく」「K-1を背負っているのは俺だ」という高い志を強く持っていたのです。だから、あれだけのカリスマになれたのでしょう。

そして、その引退は「強いままで引退したい」「俺らしくかっこ良く、潔く引退したい」と言ってました。同時に僕の目には試合というより、毎日の練習がキツイんだなと思いました。それほど練習に関しても、他の選手以上に身を削ってやっていたのです。魔裟斗君は風水とか、占いも信じたりします。試合の当日に神社にお参りに行ったりもします。