1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜
この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。
●第15回 2006年(前編) フジテレビPRIDE突然の撤退! 桜庭和志、電撃移籍!
2001年 K-1最強軍vs猪木軍、実現 2002年 吉田秀彦プロ転向。ボブ・サップ空前のブレイク 2003年 曙参戦で初の紅白越え 2004年 タレント、ボビー参戦。魔裟斗vs KID戦が大ブレイク 2005年 矢沢永吉、参戦。HERO'S誕生など、中量級の時代到来
こうして、毎回新しい世間的なネタを常に提供してきたK-1の大晦日格闘技ですが、2006年はどうしようとなった時、僕の中にはひとつのターゲットがいました。
それが「ミスターPRIDE」桜庭和志の獲得です。
というのも、PRIDEは僕らと袂を分かった後、急速に競技路線に走ったのですが、その中で明らかに浮いていたのが、サクちゃんだったからです。2005年の大晦日は「小川直也vs吉田秀彦」をやられて、やっぱりPRIDE+フジテレビ連合は侮れないところを見せつけられたし、ここは今年の大晦日は真剣に勝負しないと、やられちゃうという危機感がありました。
それにこの年、大晦日でHERO'S初代ミドル級王者となった山本KIDが「オリンピックに出たい!」と言い出し、プロ活動を突然休止。本来ならエースが勝手に戦線離脱するのは、テレビ局との関係においても大問題なのですが、僕はKID君の志がカッコいいと思い、快く送り出すことにしました(結果は全日本大会の1回戦で左腕を骨折するアクシデントもあり、無念の敗退)。
KID君の不参加、そして結果的に準優勝の須藤元気君もトーナメントに参加する意志がなかったため、今年はミドル級だけでは盛り上がらないという危機感がありました。ならばここは、秋山成勲のいる85キロのライトヘビー級を立ち上げるしかないと思っていたのです。しかし、ミドル級はKID、元気、宇野薫、所、宮田、高谷と人材豊富な階級で、僕も盛り上げる自信はあったのですが、ライトヘビー級は秋山君と大山峻護君くらいしかHERO'Sにはいません。テレビ的にももう一人、強力なタマが必要でした。それには、サクちゃん以上の存在はいません。
サクちゃんはPRIDEで浮いているという話をしましたが、「グレイシー狩り」、「ヴァンダレイとの抗争」以降、PRIDEはサクちゃんのテーマが見つけられず、地味強の相手と試合を組まれ、よく負けたり、怪我をしていました。スポーツ紙にもこの頃は「桜庭、引退か?」とか、「体重を下げろ/上げろ」「酒をやめろ」といった批判的な記事も多くなり、風の便りに「サクちゃんが高田道場を辞めたがっている」という噂も聞こえてきたのです。
これはサクちゃんに連絡してみよう! 僕は悩んでいると思われるサクちゃんに電話してみることにしました。やっぱり、そういうカンが当たったのか、サクちゃんは僕と会うことをすんなりと承諾してくれました。僕は人間的にもサクちゃんは大好きな格闘家の一人ですし、PRIDE時代からの戦友という思いも強くあります。僕らがPRIDEを手伝っていた時は、猪木さんとサクちゃんでPRIDEを大きくしようとやってきました。
外で会うのは誰かに見られるので、僕は毎日サクちゃんの家に通いました。それこそ1週間から10日くらいは、ずっと通っていた気がします。いたのはサクちゃんの家族だけ。
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