1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜

この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。

●第13回 2005年(中編) 紅白歌合戦に歌で勝負! 矢沢永吉、Dynamiteに参戦!

前年の大晦日の「魔裟斗 vs KID戦」で、完全に時代は中量級に向かいました。そのため、2005年にはHERO'Sが誕生し、PRIDEも五味、川尻、マッハらで、『PRIDE ~武士道~』なる中量級イベントを開催。K-1 MAXもますます盛り上がり、「日本人」とか、「中量級」で勝負できる時代が来たのです。

Dynamiteの大晦日のメインも、初の中量級の試合を大抜擢。「KID vs 須藤元気」の初代HERO'Sミドル級王者決定戦を持っていきました。まさか、大晦日のメインを中量級で飾れるとは、一年前までは考えたこともありません。PRIDEも、大晦日に五味隆典vs桜井マッハ速人のライト級王者決定戦を開催。さらにこの年、前年のボビー・オロゴンに刺激されたのか、PRIDEはなんとタレントの金子賢を参戦させ、PRIDEファンに物議を醸しました。

「競技路線」を強調するPRIDEにとっては、複雑な心境だったでしょうね。社長のバラさんは、「面白ければなんでもいいや」というタイプですが、スタッフはマニアックな人が多いんでかなり抵抗したはず。聞くところによると、金子賢参戦を推し進めていたのは、視聴率を取りたいフジテレビの方だったようです。

でも、僕は金子賢は中途半端に見えましたね。ボビーの場合は、『さんまのカラクリTV』という、番組連動があったからこそ勢いに乗れましたが、金子賢は存在も、PRの場も中途半端。しかも、PRIDEに迷いが見える。僕はボビーに「いい試合をさせよう」、「勝たせよう」という意識がありましたが、PRIDEは「勝たせよう」とも思っていない。そういう迷いがあったので、それほど脅威には感じられませんでした。ところが……その結果については、また後程触れることにします。

また『Dynamite!!』のセミでも、中量級の秋山成勲 vsホイス・グレイシーの試合を組みました。ホイスは苦労してPRIDEから移籍させていたのですが、前年の大晦日では体重3倍の曙とのキワモノ対決を組みました。それは、テレビ的に間違っているとは思いません。しかし、この年は本格派の試合を組みたいと考えていたので、1年間で力を付けた秋山君を指名したのです。秋山君も僕から「ヒクソンとか、ホイス、柔道家としてグレイシーとやってみない?」と誘われてプロになっていたので、二つ返事でOKしてくれました。秋山vsホイスは、当然PRIDEの吉田vsホイスを意識した試合になります。秋山君にとっては、内容如何で評価が見直される試合を組んだのです。

しかし、その秋山君が背中だったか、腰を痛めてドクターストップ。うーん、ホイスはファイトマネーも安くないんで、これは意味のある代役を探さなければならない。でも、散々考えてもなかなかいいアイディアが浮かばないので、これもまた中量級で最もシンデレラ・ボーイとなった所英男を当てることにしたのです。スーパーバイザーの前田日明さんは「体重が違い過ぎるやんけ」と言って反対しましたが、当の本人の所君が「こんなチャンスが巡ってくるとはっ!」と、大喜びで引かなかったため実現。しかも、ファイトマネーも安くないホイスに対し、フリーターの所君が実に頼もしい、いい試合をし、「勢いに乗っている選手は違うな」というところを見せつけました。結果的に所君で大正解だったと思います。

さて、メインの「KID vs元気」の試合に戻りましょう。中量級の時代が来たというのはいいんですが、これまで何かしら仕掛けをして来た大晦日。しかし、この2005年はもうひとつインバクトが足りません。それは、僕自身が納得出来ないことでした。

2001年の猪木軍vsK-1軍、2002年の吉田とサップ、2003年の曙、2004年のタレント・ボビーの参戦。では、2005年の仕掛けはどうするか? そこで思い切って、「歌で紅白に勝てないか?」と思いつき、矢沢永吉にオファーしたのです。