1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜
この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。
●第7回 2003年 (中編) 逆境からの「起死回生」を作るには?
石井館長の逮捕とPRIDE森下社長の自殺で大きく磁場が狂った2003年の格闘技界。その火種は大晦日・格闘技イベントにありました。もし、大晦日がなければ、恐らくこんな混乱は起こらなかったでしょう。
格闘技番組のパイオニアとして、TBSの大晦日イベントにおいしいところを持って行かれたくなかったフジテレビ。総合中心の大晦日イベントでありながら、K-1に主導権を握られるのが納得できなかったPRIDE榊原信行新社長。石井館長への複雑な想い、そしてミルコ・クロコップを手にして、PRIDEに見事入り込んだKさんと今井さん。
では、猪木さんはどうだったのか? 猪木さんはそもそも神輿に担がれるだけでは満足せず、『イノキ・ボンバイエ』というイベント名が付いていながら、K-1とPRIDEの思惑どおりに動いてること自体、不満に思っていたでしょう。しかし、そんな猪木さんがKさんと組んで日テレに行った一番の理由は、恐らくPRIDEの怪人・百瀬博教さんから離れたかったからなのです。「ここしかない」と思った猪木さんは、Kさんや日テレに「頼まれる」形で、百瀬さんからの脱出に成功。しかし、これはK-1にとっては、追い風となりました。
もし、猪木さんが百瀬さんやPRIDEとそのまま一緒にフジテレビで闘っていたら、K-1は大苦戦していたし、もしかしたらTBSは大晦日をあきらめていたかもしれません。なぜなら、K-1の主力選手は同じ12月に行われるK-1グランプリ、つまりフジテレビに人質として取られていたからです。
しかし、猪木さんとKさんのおかげで、「K-1 vs PRIDEの対決」は、いつの間にか「PRIDE vs 猪木祭り」の選手の引き抜き合いとなっていったのです。ポイントとなるヒョードルは猪木祭り、ミルコは今井さん共々PRIDEに残ったものの、騒動に巻き込まれたくないのか欠場。ジョシュ・バーネットやゴールデン・グローリーは猪木祭り。もちろん、藤田、安田ら猪木軍は猪木祭りに出たものの、肝心の小川直也はまたも欠場。一方、Kさんにつくんじゃないかと噂された吉田秀彦はPRIDEに残り、PRIDEは桜庭和志を抱える高田道場を中心に対抗していきました。メインは「吉田秀彦vsホイス・グレイシー」の再戦。石井館長はどちらかというと、Kさんを応援する形でマイケル・マクドナルドや天田ヒロミ、レネ・ローゼを猪木祭りに派遣。もちろん、これはPRIDEの独走にブレーキを掛けるのが狙いです。石井館長にしてみれば、もしTBSがやらないのなら、そのまま日テレの猪木さんを応援する形で大晦日に食い込もうという腹もあったはずです。
この辺りの人間模様は傍目から見れば凄く面白いかもしれませんが、当事者は本当に辛かった。僕も、おそらくバラさんやKさんも枕を高くして眠れない毎日が続きました。選手も駆け引きして来るから、なかなかカードが決まらない。バラさんやKさんは耐えきれず、お金を弾んだりもしたでしょう。ヒョードルとか、空港で取り合いになったという話も伝わって来ました。では、その中でK-1はどうしたのか?
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