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【1993 〜日本格闘技近現代史〜】第2回「目には見えない不思議な流れ」

2013/06/10 00:35 投稿

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ルールが整備された現在の総合格闘技とは全く別の何でもありの試合が、本当に存在した。

当時のThe Ultimate Fighting Championship(※UFCという呼び名はまだなかった)のルールブックに書かれていたルールは、二人の勇者がオクタゴンに入り、一人の勝者が出て来る。たったのこれだけしかなかった。

その下に付け加えたように目潰しは禁止、噛み付きも禁止。たった2つの禁止事項が書いてあって、ルールに関しては、それ以上書いていない。だからルールブックは紙一枚ですむ。まるで漫画の中の格闘技のような試合が20年程前に本当にあったのだ。

なかでも、最も凄惨な試合が続出したのが第2回大会。その大会を僕はアメリカのデンバーまで、わざわざ観に行った。それには大した理由はなかった。今考えても不思議な感じがする。別にアルティメット大会を見たい訳じゃなかったんだから。そんなに興味もなかったのだ。ただの怪しい大会だと当時の僕は思っていた。

実はアルティメット大会を知る前に作家の夢枕獏さんに呼ばれて、大道塾の市原(海樹)選手と一緒に、新宿にある獏さんが仕事場としていたホテルの一室へ出かけたことがあった。

獏さんから電話で呼び出された用件は「面白い格闘技のビデオを手に入れたから見に来ない」だった。当時はまだDVDは普及していない。DVDとビデオの違いくらいか、それ以上に当時のThe Ultimate Fighting Championshipと現在のUFCには違いがある。

「素手で何でもありで闘う格闘技のビデオを手に入れたんだ」

「格闘家が見てどんな感じか教えてくれない?」

こんな感じの電話だった。

たぶん、僕と市原選手が日本で一番最初に、素手の何でもありの映像を見たのではないかと思う。

もともと市原選手とは顔見知りの仲だった。当時、僕は横浜に住んでいた。ゼンショーという会社がバックアップとなり、会社で総合格闘技部を作ってくれ、僕は選手として応援してもらっていた。ゼンショー所属の選手として活動するために僕は横浜へ引越ししたのだ。

 

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