小説『神神化身』第二部
第十八話
「銘々」「巡(めぐり)が覡(げき)になるってことは、舞台で舞奏(まいかなず)するってこと? すごーい、見たい!」
「マジで? 可奈(かな)ちゃんが見に来てくれるなら、俺めっちゃ頑張っちゃうけどなー! え、俺のことだけ見てくれる? や、そしたら俺も可奈ちゃんばっか見てまともに舞えないかも!」
舞奏社(まいかなずのやしろ)の入口で、巡が見知らぬ女性と話しているのを見かけた。佐久夜(さくや)が今まで見たことのない相手だ。活発そうで明るい、巡の好みのタイプだった。一瞥だけして立ち去ろうとしたが、巡が佐久夜の方に気がついているようだったので、溜息を吐いて近寄る。
「あ、秘上(ひめがみ)くんだ! もしかしてそろそろ稽古の時間? 忙しいっぽいからまたね、巡!」
「うん! じゃあねー、ばいばーい」
佐久夜の見た目に威圧感を覚えたのか、女性はさっさと行ってしまった。
「巡。お前はもう少し慎みを持て。今のお前は覡なんだからな。いくらでも口うるさくさせてもらうぞ」
「なんでー? 可奈ちゃんは俺の最初の観囃子(みはやし)ちゃんみたいなもんじゃん! 覡は観囃子ちゃんからの歓心を得るものでしょー!? 俺がみんなと仲良くするのは立派な覡活ってことで!」
「舞奏で歓心を得ろ。舞奏で」
冷たく言うと、巡は不満げな声を上げながらも嬉しそうに笑った。
「どーしよ、これで覡として大成したら、俺、今まで以上に滅茶苦茶モテちゃうかも」
「なら励め」
「佐久ちゃんってば五文字で返すの止めてって、五文字は──あ、」
不意に巡がそう言って止まった。視線の先に、一人の男がいる。
磨屋野(まやの)だ。自分達が御斯葉衆(みしばしゅう)になる前に、御斯葉衆であった覡だ。──いや、今となってはノノウと呼ぶべきだろうか。
佐久夜が何か言うより先に、巡が走り出す。そのあまりの機敏さに、佐久夜の反応が一歩遅れてしまったくらいだ。慌てて追った佐久夜の目の前で、巡が「ごめん!」と大きな声で言う。磨屋野の顔は驚きに引き攣っていた。
「ど、どうしたんですか。巡さん」
「舞奏披(まいかなずひらき)が決まって……だから……ちゃんと……謝罪したかった。井領(いりょう)にも小榊(こさかき)にもちゃんと謝ったから、あとは……磨屋野だけだ」
巡が苦しげな声で言う。
「何を謝るんですか?」
「今更になって、俺が御斯葉衆の覡になること。そうあろうとしていること」
「それは……」
「俺は詰(なじ)られても仕方ないことをしている。けど、俺は君達に舞奏を教えていた時間を誇りに思う。……それは、嘘じゃない」
巡は普段の調子が影も無い、真面目な口調で言う。深々と下げられた頭は上がる気配すら無く、巡がどれだけこのことを気にしていたかが分かるようだった。
「……その、顔を上げてください。そんな、……そんなことしなくても……むしろ、俺達はお礼を言わなくちゃいけないくらいで。……巡さんにそう言ってもらえるの、嬉しいです。舞奏競(まいかなずくらべ)に出られなくなっても、それだけで頑張ってきた価値がありました」
磨屋野の言葉は本当だろう。巡がどれだけ真剣に彼らに向き合ってきたかを知っているからこそ、余計にそう思った。
「だから、俺は素直に楽しみです。御斯葉衆の舞奏。俺達の誰より舞奏の上手い巡さんが舞台で舞うところ」
「……そうか。ごめん。ありがとな」
巡が微かに笑う。それに合わせて、磨屋野が続けた。
「それに、鵺雲(やくも)さんの──九条(くじょう)鵺雲の舞奏を観て、場所を明け渡さない人間がいますか?」
それは不貞腐れているのでも、僻んでいるのでもなく、ごく自然に発せられた言葉だった。
「あの舞奏が誰の目にも触れないくらいなら、俺の舞奏に価値なんか与えられなくていいんですよ。……横に立つなら、巡さんくらいじゃないと」
佐久夜は、御斯葉衆を辞めた彼らとまともに話をしたことがない。だから、彼らがどんな思いで御斯葉衆を諦めたのかを知らなかった。
今日、聞くまでは。
やけに聞き分けが良く御斯葉衆から退いたとは思っていた。彼らの稽古への真摯さはちゃんと見てきていたというのに。何のことはない、これが理由だ。彼らは九条鵺雲の舞奏を見てしまった。そして、心を奪われたのだろう。この舞奏が自分達の目の前に在ることの奇跡を目の当たりにし、深い納得と共に座を明け渡した。
「でも、一つだけ思うんです。あの人は俺達の舞奏をどう見たんだろうって。化身も持っていない人間の悪あがきにしか映らなかったのか、それとも、化身が無いなりに俺達には何かあったのか。……あの人の言葉が欲しい、少しでも」
磨屋野はそれを口にした時だけ、悔しそうな表情を浮かべていた。
鵺雲がどう自分の舞奏を見るのか、佐久夜も不安に思っていた。
巡は佐久夜の舞奏を褒めてくれるが──そこには恐らく、幼馴染の贔屓目と、社人(やしろびと)にしてはの注釈が付く。それを抜きにした秘上佐久夜の実力が知りたかった。化身があるとはいえ、それだけでは観囃子の歓心を得ることは叶わないだろう。御斯葉衆に相応しいだけのものは備えていなければ。
九条鵺雲は自身の宿泊している旅館にしばしば佐久夜を呼びつけ、広い部屋で気まぐれに舞わせた。そして、佐久夜にも分かるほど平易な言葉で、佐久夜が思いも寄らない瑕疵(かし)を指摘した。巡は言わないだろう部分だった。
彼の気まぐれには付いていけない部分が多かったが、この秘めやかな稽古自体は助かっていた。呼びつけられる時はいつもこうあってほしい、と思うほどだった。
今日も鵺雲は彼の優雅な所作に似合う豪奢な椅子に掛けながら、佐久夜の動きをじっと見つめていた。その目はどこか遠くを見据えているようで、射抜かれると緊張が走る。ややあって、鵺雲が言った。
「君の舞奏はとても勤勉で実直だね。舞奏が求める所作に己の身体を馴染ませようという意識に満ちている。武道の形稽古に近いのかな」
鵺雲の指摘している通り、佐久夜が意識しているのはまさに形稽古であったし、重ねているのは実直な反復練習だった。
「……いけませんか」
「勿論、舞奏の振りには形があるし、佐久夜くんの舞奏はそれを正確に再現するのに長けているから、美しい。けれど、舞奏は君自身を受け容れるだけの度量の広さくらい持ち合わせている」
鵺雲ははっきりと言った。
「だから、君は君自身を、自我そのものを舞奏に乗せるといい。そうすれば、もう少し身も入るだろう」
「手を抜いたことはありません」
「そのことはちゃんと分かってるよ。でも、そうではないんだ」
「あなたこそ、我があるように見えませんが」
「そうかな。僕は結構思うまま恣(ほしいまま)に生きているけど」
遠江國までやって来て、自分の為の舞奏衆を組むくらいだ。恣には生きているのかもしれない。だが、それですら舞奏の豊穣の為だ。巡は個人としての幸せを求めたが、それとは対極にあるような気すらしてしまう。
「舞奏に豊穣をもたらす九条家ではなく、貴方自身の我は? ……幸福は?」
佐久夜はまっすぐに尋ねる。
舞奏が自我を反映したものであるならば、鵺雲の場合はどうなのか。あそこまで他の追随を許さない正しさを現すあの舞のどこに九条鵺雲があるというのか。あれが九条鵺雲そのものであるのなら、それは……それは一体なんだろう?
「それを僕に尋ねてきたのは、人生で二人目だよ。びっくりしちゃうな」
何を思い出しているのか、鵺雲は口元に手を当てて心底面白そうな笑い声を上げた。
「舞奏の豊穣だけで納得がいかないようだね。君はつくづく欲深い」
「……俺はただ疑問に思っただけです」
「佐久夜くんが聞きたがるなら、次の機会までに考えておくよ」
そうではないだろう、と佐久夜は思う。何かを掴もうとする度に、するりと鵺雲は手の中から抜け出てしまうようだった。
目の前の男には、本当に舞奏しかないのだろうか。九条家の血に報いる行為しかないのだろうか。接すれば接するほど、そうとしか信じられなくなっていく。それでいて、自身が満足のいく舞奏を奉じられなくなったなら、潔く舞台を去るつもりでいる男。
彼自身の楽しみは──喜びは他に無いのだろうか。舞奏の為にだけ生きていて、それだけが自分の存在価値であるような顔をして、挙げ句の果てにそれを至上の幸福だと思っているなんて。
そんなことを気にすることすら、パンドラの箱を開けているようなものだと思った。だってこれではまるで──まるで──……。
「そうだね、舞奏自体は随分良くなってきているから、今日はもう帰っても構わないよ」
佐久夜が考え込んでいる内に、鵺雲はそう言って気まぐれに稽古を打ち切ってしまった。この唐突さも九条鵺雲らしい。いつもなら佐久夜も早々に言うことを聞いて、この部屋を出て行くところだった。
だが、何故かそうするつもりにはなれなかった。
「今からお時間ありますか?」
「うん? どうしたの?」
「少し、出ませんか。わざわざ俺をカフェに同行させたんですから、他も味わってみたいと思いませんか」
意趣返しだ、と佐久夜は心の中で呟く。今は、それ以外の言葉を当てはめてやりたくはなかった。
ゲームセンターにいる九条鵺雲は、この場に恐ろしく似合っていなかった。まるで異郷に連れて来られた人間のように、周囲から浮いている。この異化効果が凄まじいお陰で、周りの人間がちらちらと自分達に視線を向けていた。
「こういうところで遊んでたの?」
「そうですね。あまり来たことがないでしょう、あなたは」
「うん、初めてだよ」
その言葉を裏付けるかのように、鵺雲は騒がしい店内をきょろきょろと見回している。一体ここが何をする場所なのかもよく把握していなさそうだ。UFOキャッチャーを見る目が、ショーケースを眺める時の目と同じだった。
「ねえ、あれは何? バスケットゴールがあるよ」
「あれはボールをシュートして得点を競うゲームです」
「なるほど。球技をやるだけの人数が集められなくても、これを使って稽古が出来るということなんだね。あの暖簾で区切られた小さな部屋は何?」
「証明写真機です。鵺雲さんが近づくと危ないですよ」
「証明写真機にあんなに人が屯しているだなんて、就活ってよほど大変なんだろうね」
鵺雲は訳知り顔で頷く。
「あの証明写真機には近寄ってはいけません。分かりましたね」
「うん。佐久夜くんの言う通りにするよ」
鵺雲は平素とは全く違う殊勝さで頷いた。カフェには軽々しく誘ってくるが、こういう場所は鵺雲の世界には無いものだったのだろう。そう思うと、何故か胸がすいた。
「ここは商業施設のうちの一つですが、昔は大きな独立店舗があって、高校生の頃は巡とそちらに通っていました。もう閉店してしまったので、そこには連れて行けないんですが」
「そうなんだ。でも、ここも何だか楽しそうだね」
「あらかじめ言っておきますが、それはショーケースじゃありませんよ。UFOキャッチャーです」
「僕を誰だと思ってるの? ゲームが得意な天才実況者の弟を持つ人間だよ。これが中に入っている珍しい品物を、相応の労力を掛けて取らせる為のものだということくらい知っているよ」
「……そうですね。その認識で間違ってはいません」
「それにしても、この大きなお菓子はすごいね。お店で売っていないものだから、こうして特に難しい試練を課して提供するんだね。この僕の顔より大きなチョコレートパイはどうやって作っているんだろう」
鵺雲がガラスケースの中をしげしげと見つめながら言う。中にはゲームセンター特有の巨大菓子が入っていた。
その顔には、今までにはない無邪気さのようなものが見えていて興味深かった。やはり、ここに連れてきたのは正解だったかもしれない。よく分からないが、佐久夜は少し満足したような気分になった。
「そのチョコレートパイの大きな箱の中には小さなチョコレートパイの包みが入ってるんですよ」
佐久夜もかつては同じ勘違いをしていた。何か大きな一つを取って帰り、まな板と包丁を使って巡と半分に分けようと思っていた。そんなものが無くても容易く分けられるのだと言いながら、巡は「結構メルヘンなこと考えんだね」と笑っていた。
同じように教えられた鵺雲は、なんだかとても複雑そうな顔をしていた。
「ええ、そんなの……そうなんだ」
「がっかりしたんですか?」
「していないよ。そんなものがあるはずないものね」
鵺雲が目を細めながらチョコレートパイの大きな箱を見つめている。どう見ても納得がいっていなさそうだ。自分の顔より大きなチョコレートパイが実在していたとして、鵺雲がそれに齧り付くところが想像出来ない。
「気になりますか、それが」
「うん。これ取ってくれる?」
不意に鵺雲がそう言った。
「中に入っているのが大きなチョコレートパイじゃなくても構わないんですか」
「いいよ。代金は僕が出してあげるから」
「俺はそんなに上手な方ではありませんし、取れるか分かりませんよ」
「うん、頑張ってみて」
言われるがまま、目の前のボタンを操作して巨大な箱に向き合う。
だが、いくらアームで持ち上げようとしても、箱はつるりと滑って掴めない。何度試しても成功するビジョンが見えなかった。
「うんうん。大丈夫だよ佐久夜くん。こんなに難しいとは思わなかったよ。これはきっと僕の弟である比鷺(ひさぎ)くらいしかクリアの出来ないゲームに違いないね! ああ、ここに比鷺がいたら、きっとこのお店が困ってしまうほど品物を獲得出来るに違いないのに」
そう言って、鵺雲がさっさと別の場所に行ってしまおうとする。
「これが欲しいのではないですか?」
「うーん、そうだな。どちらかといえば、君がどうしても僕に何かを求めてほしいようだったからなんだけど」
鵺雲がしれっとした顔で言う。そのまま「でも、取れないなら仕方が無いよね」と笑われたので、佐久夜は思わず口を開いた。
「……一人、当てがありますが」
鵺雲が不思議そうな声で「当て?」と返す。
佐久夜はそのままスマートフォンを取り出し、久しぶりに自分からその番号を押した。
巡は三〇分も経たない内にゲームセンターに現れた。巡の到着を待つ間は、あれこれ店内を見て回りながら解説などをしていたのだが、鵺雲が興味を持ったものの半分も実際に遊べなかったくらいだ。
「佐久ちゃんお待たせー、急にどうしたの……って、うわっ、鵺雲さんじゃん! なんでこんなところにいるんですか? あ、もしかしてこういうの好きなタイプ? だったら佐久ちゃんじゃなくて俺に聞いてくださいよー! 色んな穴場教えてあげたのにー!」
「実は、あまり詳しいわけじゃないんだ。佐久夜くんに今日教えてもらったのが初めてだよ」
「ふーん、そういう機会が無いと来なさそうだもんね」
「巡、これ、取れないか?」
単刀直入にそう切り出す。
学生時代に遊んでいた時も、UFOキャッチャーが得意なのは巡の方だった。空間把握能力はそこまで低くないはずなのに、ボタンを押すという一つの隔たりがあるからか、佐久夜の操るアームはどうしても上手いこと動かない。
そんな佐久夜の横で、得意げに景品を取るのが巡だった。巡の動かすアームは踊るように動き、あっという間に景品を掴みあげるのだった。
巡は佐久夜の顔とガラスの中のチョコレートパイの箱を交互に眺めていたが、ややあって「取れるに決まってんじゃん」と言った。そのまま、鵺雲がクレジットを入れようとするのに構わず、自分の手から硬貨を落とし、アームを動かし始める。
果たして、三回ほど挑戦しただけで、巡は箱を取り出し口にするりと落としてみせた。景品獲得を報せる明るいファンファーレが鳴り響く。
「はい。こんなもんでしょ」
「わあ! 巡くんは本当にすごいね! ああしてアームの爪を端に押しつけることで箱を前に出してくるだなんて、想像もしていないやり方だったよ! これはなかなか想像力が問われる遊びなんだね!」
「それはどうも。こういうの、コツさえ掴んじゃえば結構簡単にできますよ」
言いながら、巡はチョコレートパイの箱を鵺雲に押しつけた。
「おっと、巡くん?」
「きっと鵺雲さんが欲しがったんでしょ? だからどうぞ」
「どうして分かったの?」
「佐久ちゃんが何か取ってほしいって言うのなんか初めてだったからさ。今まで一度もそんなことなかったもん。あんま興味無いみたいで」
そうだっただろうか、と佐久夜は思う。佐久夜は巡が上手くアームを操るのを見て、素直に感動し続けていた。景品ではなく、巡が得意げにプレイしているのを見ているのが楽しかったのだ。
どうしてわざわざ巡を呼んだのだろう。もしかすると、自分は鵺雲に巡の腕前を見せたかっただけなのかもしれない、と思う。こんなもの、恐らく九条鵺雲には響かない。それでも、少しくらい何か打って返るものが欲しかったのだろうか。それとも、こうして数奇な縁で結ばれてしまった自分達にも、縒り集まることが出来ると思いたかったのだろうか。
「ま、佐久ちゃんがチョコパイ欲しがるようなタイプじゃないっていうのもあるんですけど! でもさ、佐久ちゃんが普段と違ったことするとしたら、鵺雲さん絡みしかないから」
「そうなんだ。巡くんは佐久夜くんのことがよく分かっているね」
「そんなことないですよ。分かんないことも沢山ある」
自分は一体何をしているのだろうか。大切な親友の人生を舞奏に捧げさせ、あまりにも完璧な舞奏を奉じる男の内面に触れたいと願う自分は。御斯葉衆の覡になってから、腹の内に溜まる思いは募るばかりだ。
覚悟を決めるべきだ、と心の奥底で声がする。留めておけぬことを、少しでいい、晒さなければ。
「……巡、世話をかけた」
「もー、そういう時はありがとうでしょー?」
「ありがとう」
素直に言うと、巡は面食らったような表情をしてから、いつものようなへらりとした笑顔で「どーいたしまして」と言った。
「僕からもありがとう。本当にこれ貰っていいの?」
「いいですよー。欲しかったら俺も取るし。ていうか、久しぶりに来たなここ、折角ならもっと何か取って帰りたい気も──」
「俺は、覡主(げきしゅ)として名乗りを挙げたい」
佐久夜が唐突に言うと、巡だけではなく鵺雲の方も驚いた顔をした。周囲の騒がしさが、一層激しさを増したような気すらする。
「どうしたの佐久ちゃん、急に」
「俺は、覡主を推薦しない。させることもない。……今度の舞奏披で、俺もお前も鵺雲さんも──競おう。そして、優れた舞奏を奉じた者が──御斯葉衆の覡主だ」
どんな舞奏を奉じたいか、どんな自分をその中に投じたいか。鵺雲に問われた時は上手く答えられなかった。だが、今分かった。出発点からそうだった。自分はとても欲深い人間で、傲慢だ。なら、その欲深さを通せる舞奏を奉じたい。
分かっている。自分はこの二人を打倒できるほどの実力は無い。結局は、この二人が争い──自分は従うべき者を決めることになる。腹の底では、九条鵺雲が適しているだろうと諦念に似た確信を抱いてもいる。だが、自分は傍観し雷鳴を凌ぐだけでいたくはない。
無力であろうと、その嵐の中に身を捧げなければならない。
ややあって、鵺雲がたおやかに笑った。
「うん、確かにそうかもしれないね。なんと言っても覡主だもの。実力のある人間が、というのは相応しいよ。観囃子が判断すべきだ、そうだよね?」
「まさか佐久ちゃんがそんなこと言うなんて思わなかったけど、俺もさんせー。そういえば、俺と鵺雲さんだけで、佐久ちゃんを数えないなんて失礼な話だよね! 佐久ちゃんだってとってもいい舞奏をするんだし!」
見え透いた意図は、とっくに暴かれているだろう。だが、建前だけを掲げて生きてきた半生だ。なら、ここで一つ、この建前と舞台で心中してみせようじゃないか。
二人を圧倒し、自らが覡主になる。選択を口にしない為の勝利を目指す。銘々に自ら求むるところの舞奏を奉じる。虚勢のような目標は、終ぞ取れない景品に似ている。だが、挑むことだけは出来る。恐れ多くも、この腹の化身の所為で。
著:斜線堂有紀
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