小説『神神化身』第二部
第十話
「呼ばれて飛び出て所縁(ゆかり)くんクーイズ! 一昨日の夕方、所縁くんは財布を落とした老人にお家に帰る為の五千円を渡しましたね? マルかバツか!」
「おい昏見(くらみ)……それ、クイズって言うか……? つか、なんでそんなこと知ってんだよ」
「いいから答えてくださいよ! 何も答えず時間切れなんてあんまりです! 模試の時はとりあえず回答欄を埋めろって教えられたでしょう?」
「…………………………マル」
「はいはい大正解!! すごいですよ所縁くん! 他の追随を許さない圧倒的正答数で優勝! 豪華賞品をプレゼントしちゃいます!」
「一人しか参加してない上に一問しかないクイズで優勝してもな。ていうかお前、なんでそんなこと知ってんだよって。お前、まさか俺のこと尾けてたんじゃ」
「所縁くんに教えてあげますが、それ八割五分詐欺ですよ」
「え?」
「寸借(すんしゃく)詐欺というものです。財布を失くしたと言って道行く人々から小銭を巻き上げるのが目的で。所縁くんのような心優しい人間を騙し続ければ、ちょっとしたお小遣い稼ぎになりますよ」
「……………………そういう詐欺の手口があったとして、俺が一昨日会ったおじいちゃんがその詐欺師か分かんないだろ。一割五分かもしんないじゃん」
「所縁くんはそう言うだろうなと思って、追跡調査しちゃいました~! 同じことを八人にやってましたので、つつがなく然るべき処置を行いましたよ。悲しいですね」
「それで? 俺があっさり騙されたことを擦るのが目的でこんなことしたのか?」
「こんなこととは失礼な。これこそ豪華賞品ですよ。だって所縁くんは優勝したんですもん。ちゃんと讃えないと。八百万一余の凡百とは違って、昏見有貴(ありたか)はそういうところはちゃんと致しますので」
「だからさ~、因果関係っつうか順番が違えんだよな~! 豪華商品の客船に乗せてからクイズ出してんじゃねえよ!」
眼下に広がる真っ青な海を見ながら、皋(さつき)は叫んだ。だが、波を割く船の轟音(ごうおん)に掻き消されて、上手く響かない。目の前の昏見は満足そうに笑っている。見慣れた長髪が海風に揺れていた。
クレプスクルムが改装中なので、本日の闇夜衆(くらやみしゅう)ミーティングは別の場所でやりましょう、と昏見に言われて素直に皋は頷いてしまった。むしろ、昏見が率先して指定してくれるとはいえ、クレプスクルムを会場にしていたことが申し訳ないと反省したくらいだ。
そうして皋は、何一つ疑うことなく、待ち合わせ場所である港にやって来て、気づいた時には船に乗せられていた。いや、本当に気づいたら、だ。手を振る萬燈夜帳(まんどうよばり)の方へ歩いて行ったら、地面が動いていた。
「別にこのまま海外へ高飛びならぬ高泳ぎしようというわけじゃありませんよ。所縁くんはパスポートを持ってきてないでしょうし、これはクルーズ船ですから。三時間もすれば港に戻ってきます」
「そういう心配をしてるんじゃねえんだよな~。ミーティングって話だったのにいきなり船に乗せられるのがおかしいって話なんだよな、これ」
「所縁くんってば、ミーティングはどこでだって出来るじゃないですか。場所を選ばないのがミーティングですよ! そう、たとえロケーションが抜群の海の上でもね!」
昏見が肩を竦(すく)めながら言う。確かに正論ではあるのだが、面と向かって言われると腹が立った。
「懐かしのセント・アドラス号を思い出しません?」
昏見が話題に出してきたのは、皋と昏見が初めて出会った客船の名前だった。あの時は名探偵と怪盗ウェスペルだったから、本当の意味での初対面と言っていいのかは分からないが。
「あれも確かにこんな感じだったな……人の入りは全然違うけど」
まばらに乗っている客は、どれも優雅な非日常を楽しんでいる人々ばかりだ。遠くに人だかりが見えるのは、萬燈があの辺りにいるからだろう。その意味で物凄くわかりやすい。
「まあ、怪盗ウェスペルが予告状を出していましたからね。そこらの船とは訳が違いますよ!!」
「自分のエンターテインメント性にここまで自信を持ってる人間をお前以外に見たことが──あるな。萬燈さんがいたわ」
そう思うと、あの船での一件から大分自分も変わったものだ。というより、常識が更新されたと言うべきか。事務所のホワイトボードを睨みながら、ウェスペルがどうやって船上から脱出したかを延々と検証していた時のことを思い出す。あの事件は他の事件に比べれば全然マシであり、不本意なことを言えば、むしろ理想的な事件だった。
昏見有貴が怪盗行為を行うのは、不当に奪われたものを奪い返す為であり、ある種の美学に則っている。今の皋はそのことを知ってしまった。尤も、ウェスペルの犯行を止めていた過去を悔やむつもりはない。皋は探偵として依頼を受けたのだ。仮にウェスペルの思想に共感したとしても、探偵として全力で向かい合うことこそが正しかっただろう、と思う。
もしかすると、昏見もあの船のことを印象的なものとして覚えていて、だから無理矢理ここをミーティングの場に選んだのかもしれない。そう思うと、何だかなぁという気持ちになる。あんまり悪し様にも言えない。
「まあ、今回の教訓と致しましては、何かおかしいなと思ったら騙されている可能性を検討することです。君はとにかく騙されやすいので」
「仮にも元探偵にするアドバイスか? そりゃあ今回は財布といい船といい騙されたかもしれないけど、俺だってこう……変な壺とか買わされたわけじゃないんだし」
「買わされてはないかもしれないですが、最近の所縁くんは意図的に何も疑わないようにしているじゃないですか。それは少々お話が違ってくるでしょうから」
昏見がわざとらしく声を潜めながら、けれど真剣な表情で言う。
確かに最近は誰かを疑ったり、そもそもそれを精査しようと思うことすらない。けれど、それは果たしてそこまで真面目に指摘されるようなことだろうか。
そんなことを考えていると、萬燈が戻ってきた。どうやら、この船に知り合いが乗り合わせていたようで、どういう関係なのかもよく分からない年配の男性と話し込んでいたのだ。歩いてくる萬燈を手招きし、デッキの更に高台の方へと移動する。周りの人間がざわめき始めるのを受けて、やっぱり萬燈さんって目立つよな、と思う。
「なかなか楽しんでるようだな、皋」
「萬燈さんにそれ言われると、どう答えていいかわかんねーんだけど……ちなみに、さっきの人って誰だったんだ?」
「俺の母親が世話になっていた人物だ。思いがけない再会があるもんだからこういうところは面白えな」
「へー、やっぱり萬燈さんってめちゃくちゃ顔が広いんだな。この間も、舞奏社(まいかなずのやしろ)を通してなんか連絡来てなかったっけ。あれ結局何だったの」
舞奏社が覡(げき)への個人的な連絡を取り次ぐことは少ない。尤も、舞奏社宛に手紙が届くというのはあるのだが、この間萬燈が受けたのは、他國の社からの直々の連絡だった。
萬燈くらいのネームバリューがあれば、他の國の覡がコンタクトを取ってくることもおかしくないのだろう。呼び出しに応じる萬燈を見ながら、そう思った。
その話に水を向けられた萬燈は、どこか思うところがあるような──それを含めて面白がっているような、奇妙な表情を浮かべた。
「なかなか懐かしい相手からの連絡だったな。向こうが俺に改めて連絡を取ってくるとは思わなかったが、いざいきなり顔を合わせることになるよりは、連絡しておいた方がいいと踏んだんだろう」
「へー、顔を合わせるって……まさか知り合いが覡になったとか? 萬燈さんの友達って才能ありそうだもんな。それで、もしかして舞奏(まいかなず)観たぞー的な?」
「まあ、そんなとこだな。あいつは俺の選択を良しとしてはいねえんだろうが」
萬燈が意味ありげに言う。選択というのはどういう意味だろうか。もしかしたら、他にも萬燈と組みたい覡がいたのかもしれない。萬燈はそれでも闇夜衆を選んだのだ。だとすると、正直嬉しくもあった。
「連絡してきた覡ってどんな奴なの? これから会うこともあるんだろうけど」
「語るべきことは色々あるんだろうが、俺はそいつの所為で一度退学になってるな」
「は? 何?」
それは、果たして連絡をしてこられていいものなんだろうか。というか、退学ってどの段階での話なんだろうか。ぐるぐると悩んだまま、続きの言葉を言えないでいると、萬燈が思い出したように言った。
「そういや、俺と入れ違いに昏見がいなくなったな。どうしたんだ? あいつ」
「あー……昏見か。もう少しで戻ってくるんじゃないか。あんまり時間かからないだろうし」
皋は出来始めた人だかりを前に、淡々と言う。萬燈夜帳と皋所縁が話をしていたら、多少なり人の目は集まる。おまけに、わざわざ皋は高台へと移動したのだ。
昏見ならそう時間は掛けないだろう。あいつの手際の良さなら、散々学んでいることだ。
程なくして昏見が戻ってくる。さっきと全く変わらぬ様子だ。どこまでも優雅で、何の乱れも疲弊も無い。
「すいません。折角三人が揃うところだったのに、中座してしまって」
「お前、どれが目的だったの。多分、緑の服着た老婦人だと思うんだけど」
間髪入れずに皋が言う。すると、昏見は袖口から綺麗な腕時計を取り出してみせた。
「ご明察。あのご婦人が着けていた腕時計、とある高名な時計職人が手作りしたものなんです。豪華に宝石をあしらっており、お値段は相当張るものですが、それよりも、さる方の形見であることの方が重要でしょうね」
「……盗まれたのか?」
「ええ、そうです。あのご婦人はどうしてもこれが欲しかったようで、ちょっといけない手段で入手したんです。いやはや、盗品と分かっていて競り落とすのはいけませんね」
「お前、これが目的でこの船乗ったのかよ!」
「だって、彼女が外出する機会はそう多くありませんから。でも、大切な闇夜衆ミーティングとバッティングしてしまうんですもん。そりゃあここを組み合わせちゃいますよね!」
昏見がにこやかな笑顔で言う。怪盗は休業中じゃなかったのか、という気持ちが顔に滲み出ていたのか、昏見は「これを奪われた方は、私の大切な人のご友人でして。友人価格の出血大サービスだったわけなんです。ウェスペルの名前も出していないので、名折れになっちゃいましたね」と、困り顔で言った。
「盗まれたことが明らかになったら、ボディーチェックなんかがありそうなもんだが」
「萬燈先生は鋭いですね! そうなんですよ。ですがご心配なく、骨の間まで暴かれても見つからない自信がありますから!」
昏見が自信ありげに言う。それに対して、萬燈は満足げに頷いた。ボディーチェックを気にするのは、もう共犯者の思考じゃないのか。そう思ったが、人のことは言えないので黙っておいた。
自分も同じだ。
「なら、俺が少し話をしてこよう。何かに気づいてパニックになる前にな。それで抑えられる部分もある」
萬燈が言って、人混みの中に歩いて行った。何をするつもりなのかは分からないが、萬燈がやることだ。きっと昏見の有利に働くことになるのだろう。
二人きりになった瞬間、昏見がこちらを指差してきた。
「いけないことに加担しちゃいましたね」
「お前を通報してない時点で、いけないことに加担してるんだよ」
「あっそうでしたね。でも、所縁くんってば萬燈先生と話す時にわざわざ高台に行って人目を集めていたじゃないですか。アシストのつもりじゃなかった、なんて言いませんよね?」
その通りだった。昏見が船に来た理由を考え、このクルージングに参加している客を観察すれば、昏見の目的は明らかだった。その腕時計を着けていた老婦人は、乗船口ですれ違っていたのを覚えている。あの時、昏見の視線が自分ではなく、数瞬だけ彼女の方に移ったのだ。
目的が分かっているのに、皋は止めなかった。代わりに、仏頂面で尋ねる。
「大切な人って誰だよ」
「私の祖母ですね」
昏見があっさりと言う。それで大分納得がいった。休業中の怪盗でも、働かなくちゃいけない機会がある。今がまさにその時だったのだ。
「それにしても所縁くんってば名探偵ですね。私は予告状を出していなかったのに」
「俺はもう名探偵じゃない。意図に気づいたのにそれを見逃した時点で探偵としても失格の共犯者だし、そもそも怪盗ウェスペルと舞奏衆(まいかなずしゅう)を組んでる時点で色々アウトだろ」
元より失格探偵だ。探偵としての罪をこれ以上重ねたところで、失うものは何もないだろうが、心苦しくもある。ただ、怪盗業を休止しているはずの昏見がそうまでして奪いたいものなら、相応の理由があるだろうと思ったのだ。だから見逃した。覡であることと失格探偵であることを言い訳にして、昏見に結局盗ませてしまった。
だが、皋は昏見が何かを奪う時の動機を──その信念を知ってしまった。こいつが何かを奪う時は、自分の為ではなく、どうしようもなく他者の為であると知ってしまったのだ。この男は他人の幸福に寄り添う側の人間だ。だから、皋の本願を叶える助けになってくれている。そのことを理解してしまった。
それが故に、止められなかった。止めなくてもいいのだ、とむしろ手助けをしてしまった。だって、不可逆の変化を経た後の皋は昏見の共犯になってやってもいいと思ってしまったのだ。──自分と昏見は、根っこの所で似ているから。そのことを察しているのか、昏見は上機嫌で言った。
「もし所縁くんが名探偵のままだったら、これを奪うのは大変だったかもしれませんね」
「大変どころじゃねえよ。奪わせなかった」
「あら、素敵なことを言いますね。興奮します。まるで名探偵時代みたいですね!」
「お前、俺に探偵に戻ってほしかったりする?」
独り言のように、ぽろっとそう尋ねる。
たとえば、全てが終わった後に、皋があの日の罪をカミによって贖った後に、前のように競い合うことを望むのだろうか。すると、昏見が少し考えてから言った。
「そうですね。以前の所縁くんに戻ってほしいとは思っていますよ。君と相対した日々は私の宝物ですし。あれほど充実していた時間はありません」
「やっぱりそうか。……でもさ、それは無理だよな。だって、俺の願いは殺人の無い世界なんだし。前みたいには戻れないだろ。事件をスパッと解決することもなくなるだろうし。あ、お前と追いかけっこくらいは出来るだろうけど、それってもう名探偵って言えるかどうかわかんねーよな。だとすると、お前の望む探偵には結局戻れな──」
「所縁くんってば、なかなか面白いことを言いますね」
「え?」
「私が好きな名探偵は、事件をすぐに解決出来る名探偵だと思っているんですか?」
そう言う昏見の顔は、珍しく笑っていなかった。いや、表情は全く変わっていないのだが、その温度が下がりきっているのが分かる。思わずぞっとした。自分は、何かよくないことを言ってしまったのかもしれない。
「そうですね。もし仮に、私が以前の所縁くんを──殺人事件を快刀乱麻(かいとうらんま)の推理で解決する皋所縁を望んだら、矛盾しちゃいますもんね。いくらカミが寛大で慈悲深くとも、本願叶うは一人だけってことになっちゃいますね。もしかしたら、似たようなことがあったのかもしれません。互いが互いの願いを打ち消し合い、結局誰の思い通りにもならないことがあったのかもしれない。百日の晴れを願う人間と百日の雨を願う人間の願いは同時には叶いません。だからこそ、舞奏衆の抱く願いは一つであるべきなのかもしれません」
そこまで言い切った後、昏見はパッと表情を変えた。
「まあ、私はそんなことを望みはしませんけどね! 所縁くんの力にはなりたいですし、私の本願なら前にも言ったじゃないですか。忘れちゃったんですか? 『オカピの子供と暮らしたい』ですよ」
「それいつぞやの稽古で言ってた五十八番目の本願だろ。ぜってえ本願じゃねえやつ」
「わお、所縁くんってば記憶力がいいですね~! もしかしてエクセルで管理してくれてたりします? やだなー、有貴ちょっと照れちゃうな」
その手には、もう例の腕時計は無かった。きっと、どこかに隠してしまったんだろう。きっと、昏見なら見つからない場所に隠すことが出来る。
もしかして、違うのだろうか。昏見は皋の願いに共感したから協力を申し出てくれたのではないのだろうか。皋の願いを理解してくれたから、小説の中のような名探偵の皋所縁を諦めて、覡である皋所縁の隣に立ってくれたんじゃないんだろうか。
目の前の男は隠しごとが上手く、それでいて今の皋はそれを明かせない。
そのことが、何だかすごく恐ろしかった。
著:斜線堂有紀
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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©神神化身/ⅡⅤ
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