小説『神神化身』第二部
第九話
独演舞奏(どくえんまいかなず)の話を聞いた時に、比鷺(ひさぎ)が一番最初に思ったのは面倒そうということで、二番目に思ったのは俺で本当にいいのかな、ということだった。櫛魂衆(くししゅう)として活動を始めてからしばらくになるけれど、比鷺は今でもこの状況に新鮮に驚く。
確かに化身(けしん)持ちではあるし、不本意ながら九条(くじょう)家の血を引く覡(げき)でもある。けれど、自分がここにいるべきじゃないんだろうな、ということも比鷺は幾度となく思ってしまうからだ。
九条家の玄関には、数年前に撮った仰々(ぎょうぎょう)しい家族写真が飾られている。そこには、穏やかに笑っている兄と、その兄の方をちらりと窺(うかが)いながら、苦虫を噛み潰したような表情をしている自分がいた。兄は比鷺の両肩に手を置いていて、まるで逃げないように捕まえているみたいだ、と思う。
恐ろしいのは、その写真に写っている兄が、今の自分にそっくりなところだ。比鷺は兄の鵺雲(やくも)に年々似てきている。玄関で靴を履いている時、比鷺はそこで笑っているのが自分なんじゃないかと、時々見誤った。
そういう時、比鷺は櫛魂衆として舞うのも、独演舞奏をするのも、彼の方だったのではないかと思ってしまう。
相模國(さがみのくに)から出奔(しゅっぽん)した九条鵺雲から手紙が届いた後、九条家は当然のように大騒ぎになった。何しろ、全く予期していなかった連絡だ。鵺雲からの言葉を心待ちにしていた彼らからすれば、天地がひっくり返ったような騒ぎだろう。
だが、一頻り騒ぎになった後は、一転して水を打ったように静まり返った。何事もなかったかのように普段通りの日常が戻り、鵺雲からの手紙など届かなかったかのように振る舞っている。そのあまりの変化に、思わず母親に探りを入れてしまったほどだった。
「あのさ、あの人からの手紙ってどんなものだったの?」
「あなたが気にするようなものではありませんでしたよ」
彼女はきっぱりとそう言った。とりつく島がない。とりつかせるつもりがない。実年齢よりもずっと若く見える母親は、鵺雲に似ている。ということは自分にも似ている。ああ、笑ってない時ってこんな冷たく見える顔なんだな、と思うと、自分も鵺雲よろしくもっと愛想良くしないとな、と身につまされる。
「気にするは気にするでしょ……そっちは散々あいつの話ばっかりしてきたんだし。控えとしては本命がどうなってんのかはオオゴトじゃん」
「今はあなたが櫛魂衆の覡です」
ばっさりと切り捨てるように目の前の女が言う。
あの兄はこんな風にあからさまに感情を出してきたりはしない。それなのに、こちらを諫(いさ)めるその目が、一番九条鵺雲を思い出させた。
「まあ、そんなわけで親からは何にも情報が得られなかったわけなんだけど、家に出入りしてる使用人さんたちからちゃーんと手紙の内容を知ることが出来ましたー! ふっふっふ、人の口に戸は立てられぬ……俺がどれだけあの家でステルスしてきたと思ってんのかねー? 隠しごとしようとしたって無駄だっての!」
翌日、稽古をする為に舞奏社(まいかなずのやしろ)を訪れた比鷺は、得意げにそう言った。だが、三言(みこと)は不思議そうな顔を、遠流(とおる)に至っては不快そうな顔を浮かべている。なんだよ、と言おうとしたら、その顔のまま遠流が口を開いた。
「お前が蔑ろにされることに慣れすぎて腹が立つ」
「ちょっ、ならそこは慰めてよしよしして遠流だけは優しくしてくれるとこじゃないの!? ていうか、今更だしねー。むしろ今なんか超優しいくらいだわ」
「俺はいつでも比鷺に優しくしたいぞ」
「うわーっ! 三言の真顔真面目マジレスが最高の方向に作用したパターン! らびゅーらびゅー愛してる!」
「それで、結局九条鵺雲はどうしてるんだ」
勢いのまま三言に抱きついた比鷺を引き剥がしながら、遠流が尋ねる。少し逡巡(しゅんじゅん)してから、比鷺は言った。
「実は、……遠江國(とおとうみのくに)にいるらしくて」
「遠江國? なんでそんなところに」
「俺もよくわかんないんだけど……なんか、なんでだろうね」
鵺雲の手紙には、自分が遠江國にいることと、ここで自分はやるべきことが出来たということ、そして──櫛魂衆の九条比鷺が立派な覡になり、勝利したことを寿いでいるということが綴られていたらしい。今いるところが判明しただけ大きな一歩かもしれないが、それでも少なすぎる情報だ。
けれど、比鷺は何となく鵺雲のやりたいことが分かっていた。何しろ比鷺は、彼の考え方を理解してしまっている。九条鵺雲は自分の目的を達成する為だけにしか動かないし、それは往々にして舞奏に関することだ。
遠江國といえば、舞奏の名家として有名だった、栄柴(さかしば)の家があるところだ。化身持ちの覡を多数生み出しながらも、舞奏の世界から消えてしまった家。名家としての役割を果たすことの出来なかった家。それでも、遠江國で有名な家といえば今でもそこくらいだ。
九条鵺雲とそんな場所の相性がいいはずがなかった。
「ほんっと、あいついたらいたで最悪なくせに、いなくても迷惑ってどーいうこと? 帰ってこないのはありがたいけど!」
「俺は寂しいぞ。鵺雲さんは優しかった覚えがあるし」
「そりゃあ三言には優しいだろうけどさぁ」
だって、化身持ちで、舞奏の才能があるんだし。心の中で呟きながら、比鷺が唇を尖らせる。その後で、ふと真面目な顔になった。
「ていうか、優しい人間こそ苦手なんだよね、俺」
「優しい人間が苦手? どうしてだ?」
「苦手っていうか、気後れするっていうか、違う人間だなって思っちゃう。分け隔て無く優しい人間とか、他人のことをしっかり褒められる人は、自分に余裕があるから出来るんだよ。……自分に誇れる才能があるから」
才能という言葉で思い出すのは、一度競い合った萬燈夜帳(まんどうよばり)のことだ。彼は天才小説家兼作曲家という盛りに盛った肩書もさることながら、舞奏の技量も相当なものだった。ずっと舞奏に触れてきた比鷺から見ても群を抜いている。おまけに誰にでも分け隔て無く接し、褒めるところは手放しで賞賛する。こんな完璧な人間がいるものだろうか、と、素直に感心してしまったくらいだ。実際に、褒められた時は溶けそうなくらい嬉しかった。あれだけの才のある人間が、控え子でしかない自分を見出してくれたのだから。
だが、同時に酷い断絶も覚えた。何しろ彼は、自分に与えられた才の何たるかを知っている。それがどれだけ得がたく、周りの人間には届かぬものかを弁えている。だからこそ、相応の振る舞いを崩さない。自分の才能が周りの人間にとって恩寵であるように生きている。
その様は、九条鵺雲によく似ていた。
九条鵺雲は、表向きには人当たりのいい人間だった。上手く周りとやっていけていたし、周りはみんな鵺雲のことが好きだった。あれだけ心穏やかに色んな人と仲良くやれていたことは、素直に凄いと思う。何かに苛立っている様すら見たことがない。
それは、彼が明確に自分と他人を分けていたからだ。生まれ持った化身に見合うだけのものを示し、その軸を少しも揺るがせることなく生きていたからだ。彼の世界には他人なんて存在していなかったのではないだろうか、と思う。周りの人間は鵺雲の才を甘受するだけのものでしかなく、その実鵺雲の思う通りに動かされていた。
萬燈夜帳が好ましい人間であるのは、彼がそうありたいと思ったからだろう。あくまで彼がそうあることを選択しただけで、突き詰めれば鵺雲と大差ない。ただ恵まれていたが故に他人に恩寵を与えられる、余裕のある者たちのノブレス・オブリージュ。それを、優しさだとは呼びたくない。
そう強く思うのは、自分が同じようになってしまう可能性に、幾度となく向き合わされるからだ。
自分と鵺雲は、とてもよく似ている。いつか自分もこの控えられた才能に折り合いをつけ、周りの平凡な人間たちと一線を引きながら、驕り高ぶる人間になるのかもしれない。そうしたら、自分も鵺雲のように、静かに他人を支配するようになってしまうのかもしれない。
そうなるのが恐ろしい。九条比鷺は、九条鵺雲にはなりたくない。
不安を振り払うように、比鷺は大きく首を振って言った。
「でも、よかったよね! だってさ、あいつが遠江國にいるってことは、…………ことは」
「何だ。言いかけたなら最後まで言え」
遠流が急かすように比鷺をつつく。そうして比鷺は、躊躇っていた言葉をそっくり吐き出した。
「……俺、あの人が帰ってきたら、多分すごく嫌で」
「比鷺が鵺雲さんのことを苦手にしているなら、それはそうかもしれないが」
三言が心配そうに言うのに対し、比鷺は「そうじゃなくて」と小さく呟く。
「もっと、どうしようもない話。俺、あの人が帰ってきて、……櫛魂衆が今のままでいられなくなったらっていうか、俺ら三人じゃなくなったら、やだなーって……」
鵺雲はどう見たって自分の上位互換だ。姿形も似ていれば、舞奏そのものだって似通っている。あらゆる面で、比鷺よりも鵺雲の方がいいのだ。ゲームをしている時の比鷺だって、似た効果の装備やアイテムがあれば、少しでも優れている方を選ぶ。
もし鵺雲が戻ってくることがあれば、抜けるのは自分になるかもしれない。そう思うと、せいせいするはずなのに寂しかった。
舞奏競を経て、自分が変化してしまったことを否応なく知らしめられる。比鷺はこの三人で、舞奏衆を組みたい。
「比鷺」
その時、三言が不意に口を開いた。
「それは、俺も考えたことがある」
「えっ!? 三言も?」
「ああ。……前に、三人で花火をした時に、同じことを思ったんだ……実力のある人間が覡になって、舞奏衆を組むべきだってことは分かってる。でも、俺はこの三人がいいって」
それを聞いた瞬間、比鷺の中にポッと火が灯るようだった。
「な、……なんだよー! 三言も結構欲張りじゃん! なになに? 我欲、出てきちゃった感じ!?」
「出ているのかもしれない……出ているのか?」
「出てる出てる! ね、もう一回言ってよ」
「俺は遠流と比鷺と、櫛魂衆を組んでいたい」
三言がはっきりと宣言する。
その時、遠流の方が何故かホッとしたような、傷ついたような、奇妙な表情を浮かべた。
もしかして、感極まって泣いてしまいそうなんだろうか。それにしては、遠流の表情はおかしかった。嬉しいのと苦しいのを半分に掛け合わせて、間で引き裂かれそうになっているみたいだ。
どうしたの、と尋ねてやるより先に、その表情のまま遠流が口を開いた。
「……もし、僕よりもずっと仲のいい親友が、……本物の親友が、浪磯(ろういそ)にいても? 僕みたいな後からの人間じゃなくて、生まれつきの化身持ちで」
「え? それは……どういう意味だ?」
三言が困惑したように尋ねる。
「僕じゃなくて、僕よりもっと大事な、人間がいたら……。三人の舞奏衆(まいかなずしゅう)で、抜けるのは」
「なぁーに意味分かんない構ってちゃんしてんだよ! 例え話で不安がるのはギャルゲのキャラの特権だっつーの」
比鷺はそう言って笑い飛ばしてやったものの、遠流の表情は晴れなかった。むしろ、もっと神妙な顔つきになっている。それに対し、三言も困惑したように答えた。
「俺は、遠流と比鷺以上に大切な親友はいないと思ってるぞ。ずっと一緒にいられて嬉しいし、これからも櫛魂衆として一緒にいたい」
「……三言がそう言ってくれるのは嬉しい、けど」
「けどじゃないって! もしかしたら三言とちょー仲良くなれる運命の大親友がこの世のどっかにいるかもしれないよ? でも、今ここにいるのは俺らじゃん! 俺と遠流じゃん! なら、それでいいんじゃないの? 俺はお前のこと、ちゃんと親友だと思ってるし……」
フォローをするようにそう言うと、遠流はようやく調子を取り戻したように「そう……そうだね」と言った。毒舌で返されると思ったのに、らしくない。こんなしゅんとしている遠流はもっとらしくない。もっと気ままでマイペースで毒舌で、それで物凄く頑固で努力家なのが遠流だ。そんな不安は抱かなくていいのに。何だか無性に落ち着かなくて、比鷺は大きく手を打ち鳴らした。
「さーて! じゃあ稽古しようか! くじょたんの本気を見せちゃうぞ! ほらほら遠流も早く準備して!」
「おお、今日の比鷺はやる気があるな!」
「そうだよ! こんな日なんかめっっっったにないんだからね! 期間限定SSR二倍、十連で星五確定ガチャくらいないから!」
そう言いながら、遠流を引っ張り起こす。昔寄りかかられた時の、懐かしい重みが肩にかかる。昔の遠流はずっとこうして寄りかかっていたような気がする。あの頃の遠流が、今はもうあまり思い出せない。
そうしてふと稽古場の鏡を見ると、やっぱりその顔つきは兄に似ていた。背格好も殆ど同じになっているし、遠巻きに見たらわからないかもしれない。そのことが、凄く苦々しい。
それでも比鷺が兄と似たような格好をしているのは、彼に似ているという自分の武器を──かつて認められたものを手放したくないからだ。比鷺にとっての勇者のつるぎ。ここで生きていくのに、必要なもの。それを捨てるなんてとんでもない、と比鷺は小さく呟く。
著:斜線堂有紀
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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©神神化身/ⅡⅤ
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