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小説『神神化身』第三十一話 「舞奏競・果ての月(後編)」

2020/12/18 19:00 投稿

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小説『神神化身』第三十一話

舞奏競・果ての月(後編)


 修祓(しゅばつ)の儀が夢の一里塚だったのなら、ここは一体どこだろう。皋所縁(さつきゆかり)は、手元の扇を見ながら思う。スーツを脱いで舞奏(まいかなず)装束に身を包んでいる今が、何だか信じられない。遠巻きに見た観囃子(みはやし)達は、圧倒されるような熱気を放っている。それを浴びるだけで、身体が震える。
 ちゃんと歌えるのか、ちゃんと舞えるのか。不安の種はじわじわと大きくなって、皋を蝕んでいく。大それた願いと、向けられた歓心と、自分自身への信じられなさが相まってへたりこみそうだ。
 そんな皋の肩が、不意に誰かに叩かれる。
「その顔で楽しむつもりか? なかなかの度胸だな」
「……萬燈(まんどう)さん」
 舞奏装束に身を包んだ萬燈夜帳(よばり)は、いつもより更に堂に入った佇まいだった。歴戦の覡(げき)と言っても誰もが信じるだろう。近くに立っているだけで耐えられないほどの圧がある。
「緊張なんざ、とうに越したろ。なあ皋?」
「どうかね。俺は人前が得意なタイプじゃないんだって。マジで今すぐ逃げ出したい」
「そうそう。もう華々しく名探偵をやっていた所縁くんはいないんです。ここにいるのは、私と萬燈先生との絆だけをよすがにして生き続ける残り火ですし」
「ハンカチまで出してきて当てこすってくんじゃねーよ。お前そのハンカチどっから取り出したんだ?」
 しかし、絆が云々というくだりは撥ね除けるのには惜しい言葉だった。闇夜衆(くらやみしゅう)を組んでから今まで、皋は多分この交わりに救われている。多分、今のこの瞬間においてもだ。
「緊張すんな。観囃子の前と俺の隣、どっちの方が荷が重い?」
「……そりゃ萬燈さんの隣だけど」
「だろうな。気を張れよ、皋。そうでなきゃ俺しか見えなくなるぞ。舞奏は観囃子の為のものだ。吞まれるな。果たすべきことを果たせ」
「なんで仲間のはずのチームメイトにバッチバチに煽られてんのか分かんねえんだけど……」
「答えは簡単だろ? 俺はかくあれかしと求められた天才だ。舞奏の間くらい上手く御してみろ。俺の心臓を獲りに来い」
 それだけ言うと、萬燈は最終確認の為に社人(やしろびと)の元に行ってしまった。
 萬燈の言葉は正しい。観囃子を意識出来ないようでは、到底いい舞奏にはなり得ない。皋が観囃子なら、こちらをまともに見てもいない覡には歓心を向けない。萬燈夜帳と舞うということは、空駆ける龍を頭上に仰ぎながら歌うような離れ業だ。生半可な覚悟では務まらない。
 その途方も無さを思うと、反対に心が落ち着いていく。人前で舞奏を奉じることなど他愛なく感じられるほどに。
「所縁くん。萬燈先生とは反対のことを言うようですけど、あんまり気負わないでください。闇夜衆はあなた一人だけではないんですから」
「とか言って、お前の舞奏だって相当こっちを食ってくるようなやつじゃねえか」
「そうですねえ。全力を尽くすと、どうしても所縁くんのことを霞ませてしまうもので、すいません。探偵の才能しか持ち得なかった所縁くんに比べて覡の才能が有り余っていてごめんなさい! 有貴(ありたか)反省~!」
「……ぐ、この」
「だから、あの時みたいにやりましょうよ」
 昏見(くらみ)が扇の先を皋の喉元へと突きつける。触れるか触れないかのところで彷徨わせて、彼がにっこりと笑った。
「所縁くんは探偵で、私は怪盗で。追って追われていたじゃないですか。萬燈先生とは否応なくそうなるんですから。私のことも追い詰めにきてください」
「お前まで……萬燈さんはともかく、お前は俺の願いに手を貸す為にここにいるんだろ」
「いいえ。私は所縁くんの力になる為にここにいるんです」
「だからそう言ってんだろ。バグったラジオかお前は」
「全然違いますよ。私は私の為に舞奏競(まいかなずくらべ)に挑んでいるんです」
 昏見が普段よりずっと真剣な声で言う。
「この長い旅の最中に、あなたの目的と私の目的が同じものに見える時もあるでしょう。否定はしません。ですが、忘れないでください。注視してください。その時は、あなたの目的が私に盗み出された時なんです」
 どういう意味だと尋ねることすら許さない目だった。目の前の男が、まだ怪盗であることを知らしめるような、全く油断のならない笑みだ。この相手を追い詰める為に必要なことを、皋はちゃんと知っている。
「……分かった。なら、この舞奏の間だけはお前の大好きな名探偵に戻ってやるよ。追いつかれるなよ、ウェスペル」
 まるで昔に戻ったかのように、皋は不敵に笑ってみせる。すると昏見が、一瞬だけ不意を衝かれたような顔をした。普段の昏見なら、絶対に見せない顔だ。皋がその表情の真意を追う前に、いつもの微笑が戻ってくる。
「そうですね。名探偵の君なら、きっと素敵な舞奏が奉じられるはずです」
「……舞と推理、全然関係無いけどな」
「そんなことはないですよ。私の知ってる名探偵・皋所縁は人間のことが大好きで、その可能性を信じていて、誰かを笑顔にする為に藻掻き苦しむような人でした。そんな人間の舞が魅力的じゃないはずがないじゃないですか」
 確信に満ちた口調だった。意識の端に、観囃子の期待に満ちたざわめきが上ってくる。
「約束ですよ。きっと会わせてくださいね。私の大好きな名探偵に」

 

 闇夜衆の舞奏は、櫛魂衆(くししゅう)の舞台よりも照明の数が絞られている。暗い舞台であるが故に、残された光が一層映えて覡のことを照らし出す。
 観囃子の前に一歩進み出て、皋は人の注目を集める為に声を張った。
「どうも、お立ち会い。俺達は武蔵國(むさしのくに)の闇夜衆だ。舞奏披(まいかなずひらき)で知ってくれてる観囃子もいるか? なら光栄だ。初めましての人間は今日に記念碑を打ち立てろ! 俺達はここに夢を見せにきた。楽しんでくれ」
 言い終えると、皋は扇を掲げた。
 武蔵國闇夜衆の伝統である扇は、観囃子の観たいものだけを観せる為の扇であり、覡の見せたいものだけを見せる扇でもある。
 相反するはずのその二つを結びつけ得るのが、武蔵國の舞奏である。武蔵國の舞奏衆(まいかなずしゅう)を目の当たりにした観囃子は、目の前の舞台を、自分が一番観たかったものだと思い込む。萬燈から影響を受けて皋が口にした夢という言葉は、奇しくもその性質を言い当てていた。
 皋が扇を下に振ると、音楽が流れ始める。
 そのまま滑らかに移動する扇は、櫛魂衆の舞台よりも暗く誂えられた舞台で、光を帯びて輝いている。他からの光を集めて殊更強く輝くそれは、月のようでもある。
 扇から顔を晒し、最初の一音を発すると、観囃子の注目が一気に自分に集まるのが感じられた。探偵時代はよく感じていた視線だ。それを一身に受け止め、観囃子の隅々まで視線を返す。注目してくれていい。期待してくれていい。それ以上のもので応えよう。
 闇夜衆の舞奏の本質は、個々の覡の競い合いだ。
 美しく響く歌声と、乱れない舞の中には、互いにしか分からない論戦のような応酬がある。
 萬燈夜帳という異形の才に呑み込まれないよう必死に食らいつき、離されないよう互いに技を尽くすことで、闇夜衆の舞奏は時が進むごとに苛烈になっていく。信頼し合うべき仲間と舞っているはずなのに、どうしてこうも死闘を演じているような気分になるのだろう? と、不思議になるくらいだ。
 けれど、当然の話だ。皋所縁も、昏見有貴も、萬燈夜帳も、この場で自分の為に舞っている。自分の見せたいものを観囃子に見せている。その世界のぶつかり合いが、一つの壮麗な舞奏を織り上げている。
 萬燈の歌声に添って、昏見が歌っている。掻き消されまいとしているだけではなく、その声量を利用して自分の存在感を高めている。その間を縫って、一歩進み出る。一歩引く。首に縄をかけて統率し、音の波を束ねていく。
 これが闇夜衆だ。自分達の魅せ方だ。一歩間違えば全てが瓦解してしまうような危うい闘技を、目の前で演じることへの引力。目が逸らせないだろう、と思いながら観囃子の方に不敵に笑ってみせる。
 この舞台が終わるまで、視線を余所には向けさせない。闇夜に光る月だけが、昏い道の標となるように。
 音楽が鳴り止んだ瞬間、世界の全てから音が消えたような錯覚すら覚えた。一拍遅れ、戸惑ったようなまばらな拍手が送られる。そのぱらぱらとした音で、観囃子が夢から覚めたように拍手を繋いでいき、やがて万雷の音の雨が降り注いだ。
 萬燈が優雅に礼をするのに遅れて、皋も一礼をする。昏見も礼をした後、笑顔で観囃子に手を振っていた。
 まるで自分達も夢を見ているような多幸感を覚える。ここはどの到達点でもない。これこそが始まりなのだ、と思う。ここで一つの決着がつく。それがどんな結果であれ、そこから始まっていくのだ。
 これで、果ての月が終わる。あとは、この暗闇が晴れた先にあるものを、しっかりと見据えるだけだった。


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(テキストと同様の内容を画像化したものです)

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著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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